第16話 予兆

 学園の大食堂。


 シリンの一件から数日後。

 ぼくたちは今まで通りの平穏な日常を取り戻していた。


 ……個人的な状況の変化を除けば。


「オネス先輩、おいしいですか?」


 ぼくの目の前で、シリンが手のひらに顎を乗せてにっこりと微笑んでいる。

 食事中、ずっとこんな様子でぼくの一挙手一投足に注目している。


「あ、あの……どうしてさっきからぼくのこと、ずっと見てるのかな……?」


「だって、オネス先輩、なんか可愛くて」

「かっ……」


 ぼくは危うくむせ返るところだった。

 シリンが今度は心配そうに覗き込んでくる。


「大丈夫ですか? 背中、さすさすしますか?」

「い、いや、気にしないで……」


 あの一件以来、なぜかシリンはやたらとぼくの近くに付き添っている。

 そしていつもこんな風ににこにこと機嫌が良さそうだ。

 これほど直接的な好意を向けられたことがないので、ぼくとしてはどう反応していいかわからない。


「ここにいたのか、オネス」


 ぼくがシリンの積極さにたじたじになっていると、ぴしっと背筋の伸びた少女が現れた。メルセだ。


「あ、メルセ先輩……いや、生徒会長」


「今日の放課後は空いているか? ちょっと個人的な用事で付き合ってほしいのだが」


「あ、はい……べつにいいですけど――」


「ちょっとぉ、どういうことですか生徒会長。オネス先輩を独り占めする気ですかぁ?」


 なぜかシリンが食って掛かる。

 すべてを指先ひとつで滅却する滅菌系炎系魔術師のメルセに、こんな風に食って掛かることのできる生徒はそういない。


 だがシリンの言葉にメルセは気分を害した様子もなく、むしろ余裕の態度で口元を緩めた。


「ああ、オネスは私の婚約者だぞ。なにもおかしいことはあるまい」


「え、そ、そうなんですか!?」


 シリンが目を丸くする。

 ぼくは力なくうなずいた。


 もっとも、本来はメルセが親の決めたその婚約を嫌がっており、最終的に主人公の活躍もあって婚約解消されてしまう末路なのだが。

 なぜか今は、メルセがそのことをむしろ受け入れているようにすら見える。


 いったい、なぜこんな展開に?


「そういうことで、君が良いなら私に付き合ってもらうぞ」


「ちょっ……ずるいです! だったらシリンも一緒に付いていきます」


 メルセが僕の手首をつかむと、逆の腕をシリンがぎゅっと抱き寄せた。


「君はオネスの一体なんなんだ?」


「えっとぉ……オネス先輩に命を救ってもらったので……オネス先輩のもの?」


 メルセとシリンの視線が空中でぶつかる。

 お互い穏やかに微笑しているが、謎の緊迫感が、食堂の空気を張り詰めさせていた。


「オネス君……なにやってるの?」


 続いてやって来たのはルッカとロイドだった。

 ふたりはメルセとシリンに両方に引っ張られて冷や汗をかいている僕を、きょとんとして見つめる。

 いったいどう説明すればいいのか。


「いや、これは……」

 

「オネス、人気者だな。ちょっと羨ましいくらいだよ」


 ロイドは爽やかに笑っている。

 いやいや、本来はこのポジションは主人公であるお前の役割なんだけど……。


 ルッカといえば、なんとも感情の見えない表情でぼくを見ている。

 ぐっ……気まずい……。


「そういえば、一つ報告があった」


 突然、メルセがぼくの腕を離し、反動でぼくはシリンに抱き着く格好になる。

 嬉しそうなシリンから慌ててぼくは距離を取った。


「彼女――シリン・シェイドだが、【ゲットー】に飛び級で編入することになった」


 メルセの言葉に、ぼくたちは目を丸くした。


「彼女の成績なら、なにも問題はない。予科生からの飛び級は前例がないわけでもないしな。君たちとは同級生というわけだ」


「でも、それって……」


 シリンの表情を見ると、先ほどまでの笑顔は鳴りを潜めている。

 首輪を使って脅されていたとはいえ、まだ自分がスパイだったことに罪の意識を抱いている様子だった。


「そうだ。本当の目的は、彼女を君の目の届くところに置いておきたい、という理由からだ」


 メルセの判断は、しかし生徒会長としては当然のことだ。


 ぼくがどんな言葉をシリンにかけるべきか迷っていると、ルッカがシリンに歩み寄った。


 そして、手を差し出す。


「じゃあ、これからはクラスメイトだね。よろしくね、シリンちゃん」


 ルッカの優しい笑顔に、シリンの顔がぱぁっと明るくなる。

 ぼくの不安は杞憂だった。


 ルッカがいれば、他のクラスのみんなも、ちゃんとシリンを受け入れてくれるだろう。

 

 そのとき、にわかに周囲が騒がしくなった。



 直後、フクロウの大群が、食堂中を駆け巡った。

 

 

「大変だ! フクロウたちが……!」


 生徒のだれかが叫んだ。

 使い魔のフクロウは、この学園では郵便物を届けたり、夜間の監視をしたり、様々な役割を持っている。学園の中だけでも何十匹も飼われているし、とても身近な存在だ。


 だが、なぜかそのフクロウたちが、一斉に騒ぎ始めていた。


 食堂の中をところ狭しと暴れまわる。


「様子がおかしい、いったいなにが……」


 メルセも唖然としている。

 ぼくも原因はわからなかったが、ひとまず、フクロウたちをここは落ち着かせるべきだ。


 ショップを開き、魔術道具の項目を選択する。


【獣王の笛】

 17,000,000,000ゴルド


 ▼以上の商品を購入しました。またのご利用お待ちしております。


 ぼくが買ったのは、あらゆる使い魔たちを意のままに操ることができる魔笛。

 それを人鳴らしすると、一心不乱に暴れまわっていたフクロウたちが、一斉に落ち着いた。


「ふぅ……よかった」


「オネス、助かった。さすがだな」


 メルセがぼくの手腕を褒める。他の生徒たちも、ぼくがフクロウたちを静めたことに気づくと、称賛の拍手を向けた。相変わらず、ぼくが凄いのではなく、金の力なのだが……それはともかく。


「でも、どうしてフクロウたちが……」


 普段なら、こんな行動をとることはない。

 ましてやすべてのフクロウたちが一斉になんて。


「考えられるとすれば、なにかの危険を察知した、などだが……」

 

 メルセは真剣な表情で思案する。

 すると、突然シリンの顔色が変わった。


「そうか……大変です……」


「ど、どうしたの?」


 シリンは青ざめていた。

 その様子は、ただ事ではない。


「オネス先輩がシリンの首輪が破壊したことで、あいつらは……シリンがしくじったと判断しているはずです」


「えっと、それがいったい……」


「計画を変更して、いつ強引な手段に出てきてもおかしくありません」


 シリンの言葉の意味を理解した瞬間、背筋が凍りついた。

 シリンを操っていた敵――学園の生徒たちを襲ったテロリストたち。


「あいつらは、この学園を直接襲うつもりです。今すぐにでも――」


 シリンが恐ろしい言葉を口にした瞬間だった。


 医務室にけたましいサイレンが鳴り響いた。


 ルッカが驚いて小さく悲鳴を上げる。


「びっくりした……。これって、非常用のサイレン? どうして……」


「まさか――」


 シリンの強張った表情が、最悪の事態を物語っていた。



 テロリストの襲撃だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る