行商人は、今日も戦場へと赴く

名沼菫

第1話 

 無精髭の男が手渡した代金に、ほんの気持ち程度の割増があったことに行商人は驚かなかった。

 行商人はそのことについて何も言わず、男から手渡された金を受け取ると、男からの注文内容が書かれた伝票を、行車の荷台で品出しを担当している少女に──年端もゆかない幼い顔立ちの少女に「急がなくても大丈夫ですよ」とだけ伝え、それを手渡した。

 少女は伝票の内容を確認すると「了解しましたですっ、ボス」と、ニパッと満面の笑みを浮かべ元気よろしくな返事をすると、そそくさと早い足取りで荷台の奥へと消えていった。


(ちゃんと伝わっているのでしょうか? まあ、早く戻ってきてくれたら、それはそれで助かるのですが)


 行商人は少女に若干の心配を覚えながらも、それはそれで良しと切り替えて、ほんの気持ち程度に気前のいいお客様の方へ、何時もの営業スマイルを貼り付けて向き直った。無精髭の男はその意味を察したのだろうか、おもむろに口を開いた。


「今の戦況は?」


「戦況はどうかと言われましても、私はただの行商人ですので、そういったことはわかりかねます」


「何でもいい、てめぇが知っていることを教えろ」


 男は苛立ちを隠そうともせず吐き捨てる。

 商人の元には情報が集まる、これは傭兵にとって常識である。だから男が行商人に情報を求めたことは至極納得できるものだった(安い手間賃ではあるけれど)。しかし、傭兵が商人に戦況を尋ねるということは、つまり商人が傭兵に市場の動きを尋ねるのと同じ行為でもある。傭兵にとって戦況は勝ち負けを決める大事な情報かもしれないが、しかし商人にとって戦況というものは、その日の市場を決める情報に過ぎない。戦況が悪化しているさのならば包帯が売れ、戦況が拮抗しているのならば食料品以外は売れ難く、戦況が好転しているのならば飛ぶように酒が売れる──商人にとって戦況とは、その程度の認識だった。


「そうですね……いち個人の感想でもよいのでしたら話させて頂きましょう」


「…………」


 行商人は沈黙を肯定と捉えた。


「現在最前線とされる北方・東方戦線は、依然として拮抗状態が続いているそうです。私たちが現在位置します北方前線以南の周辺地域は、安全圏として保たれるそうです。各地域で第二戦線が展開されているそうですが、戦況に影響を及ぼすほどの戦果を私は聞き及んでおりません」


 嘘だ。

 いや、正確には。

 限りなく事実に近い嘘だった。

 行商人が言った今現在の戦況の見方に、何ら不審な点も間違いはなく、周りで店を広げる他の商人たちに金を積んで尋ねたとしても同じ意見が返ってきたに違いない。だが、行商人だけが知っている本当の情報を言わなかった──いや、そもそも端から言うつもりはなかった。行商人だけが知る、行商人だけが知り得る、──


「そうかい……で、この戦争にいけすかねぇ大英雄共は参加してんのか? あいつ等のうち誰か一人でもいたんなら、丸っきり戦況がひっくり返るからな」


 『いけすかねぇ大英雄共』というのは『ニ十ニ大英雄』のことで──世界中に名を轟かせる世界最強と名高いニ十二人の傭兵のことである。大英雄などと誉れ高い呼び名ではあるが、英雄などと呼ぶにはあまりにおこがましく、実際のところは、戦場でより多くの敵兵を殺したから、他の誰よりも敵兵を殺したから、数々の戦場で残虐非道の暴虐の限りを尽くしたから、そう呼ばれるようになったまでの話である(味方にいれば英雄、敵方にいれば死神であるのだが、前者が先行した結果、今の呼び名が定着したのである)。そんな彼ら彼女は、理解し難いまでに強過ぎて、常軌を逸したまでに強過ぎて、たった一人で戦況をひっくり返すとまで言われている。


 一騎当千──否、一騎当万。


「『ニ十二大英雄』は噂によると──金を積まれればどんな戦場でも赴く者もいれば、金を積まれても戦場に赴かない者もいるらしいですし、それだけ気まぐれな人種ということですから、彼らと戦場で出会うのもまた神の気まぐれなのでしょう」


 男は顎に手を束ね穿った眼差しで、行商人の表情をじっくり読み解こうとするが、しかし、行商人は行商人で貼り付けらた営業スマイルが剥がれ落ちることはなく、表情ひとつ変わらない。結局、男は諦めたようで、露骨にふうんっと不機嫌に鼻を鳴らすと明後日の方向に向いてしまった。


 と、その時。


 タイミングを見計らったかのように、ジャストタイミングで、両手いっぱいに注文の品を抱えた少女が荷台から降りてきた。「ボス、注文の品を持ってきましたですっ」と、満面の笑みで言う少女。行商人が「ありがとうごさいます」と礼を言い、少女の頭を優しく撫でてやると、少女は甘えた仔猫のように行商人の足元に張り付いてた。


(まだお客さんの前なのですが……)


 少女を引き剥がすことも容易に出来たが、行商人はその後の未来を想像し断念した。


(こんな所でギャン泣きされたら困りますしね……)


 仕方なく、足元に少女を貼り付けたまま接客を続けることになった行商人ではあるが、接客とは言っても残すところは、注文の品の確認だけだった。

 男の目の前で手早く確認を済ませ、品を手渡す。


 これにて商売成立──のはずだった。


「なあ兄ちゃん。それは兄ちゃんの趣味か? それとも商品か?」


 品を受け取った男は少女を指差していた。

 心なしか少女の抱きつく力が強くなるのを、行商人は身を持って感じ取る。戦場に年端もゆかない少女を連れているのは、人目を引く理由にならない訳がなかった。これまでに何度も、少女を連れて戦場に赴いてきた行商人ではあるが、客から少女について尋ねられなかったことはない。だから、既に模範解答として、ある程度の返答は決まっていた。


「いいえ。この子は私の娘です」


「俺には餓鬼がいねぇから、親の気持ちはわからねぇけれどよぉ、てめぇの餓鬼を連れて戦場に来るなんて正気の沙汰とは思えねぇよな」


「ははっ、我が家の教育方針でして。実践を持って経験を積む、この子には将来、私の後を継いで立派な行商人になってもらいたいものですから」


「そうかい。だがなぁ、てめぇとその餓鬼が家族と言われても、それは信じられねぇよなぁ。兄ちゃんみたいな黒髪から、そこの餓鬼みてぇな白髪が生まれるのかねぇ? 俺は聞いたことねぇよ」


「よく言われます。実は、この娘の母親が白髪でしてね。この娘は私には似ず、何から何まで母親似なんですよ。ははっ、私みたいに陰気臭い黒髪でなくて良かったと思いますよ、本当に」


「ふうん、まあそんな細けぇことはどうでもいいんだけどよぉ──で、その餓鬼をいくらで売る?」


(脈絡もなく饒舌になったかと思えば、この人はそういう口ですか。結局はそこに行き着きますよね……)


「ですから最初にも言った通り、この子は私の実の娘ですから、売るも何もありません」


「そんな家族ごっこはいいからよぉ──で、いくらで売るんだ? 言い値で買う。もったいぶらずに売ってくれてもいいじゃねぇか。それとも、その餓鬼は兄ちゃんのお気に入りなのか? んん?」


 男の下卑た視線が少女に注がれる。

 行商人は震える少女の肩にそっと手を回し、抱き寄せる。これまでに何度も同じ状況に陥ったことはあったけれど、しかし、ここまで最悪の状況に陥ったことは、行商人も初めてだった。大抵は、あらかた適当に説明をしたら、相手も相手であらかた察して諦めてくれたのだが、生憎この男は随分と察しが悪いようだった。どうしようかと、行商人は考え倦ねる。面倒事は避けたい、けれど面倒事を避けられる状況にない。どうしたものかと、考える。


「俺は待ことが何よりも嫌いなんだよ。代金は出世払いってことで頼むわぁ。いつかまた、別の戦場であった時に金は払うからよぉ。んじゃあ、今日はこの餓鬼で遊ばせてもらうぜ」


 しびれを切らした男は乱暴にそう言い放つと震える少女に目掛けて荒々しく手を伸ばした。


 が、男の手は少女にまで届かなかった。


男の手が少女に届く前に、膝から地面に崩れ落ちたのだ。地に伏せる男は、既に絶命していた。一瞬の出来事だった。瞬きをする間もなく、ふとした時にはその男は殺されていた──恐ろしく静かに、恐ろしく精確に、無精髭の男は殺されていた。

 崩れ落ちた男の首から上は何もなかった。鋭利な刃物で斬首されたかのように、綺麗さっぱりと、まるで最初からそこには何もなかったかのように、先刻までそこにあったものは──突然として消え去っていったのだ。がしかし、それから数秒の時間を要して──男が膝から崩れ落ちてから数秒の時間を要して、男の亡骸の側で、ドサッと質量を持った何かが地面と衝突する、そんな鈍い音がした。


 下卑た表情を浮かべたままの男の生首だった。


 もはや言うまでもなく。

 男を殺したのは行商人である。

 行商人の手には、ほんの微かに男の血が付着していた。行商人は、紳士らしくジャケットの胸ポケットから真っ白なハンカチを取り出すと、男の血で汚れた右手を入念に拭き取ひ、男の血で汚れたハンカチを男の亡骸の上にひらりと投げ捨てた。


「こちらが下手に出ればつけ上がって、これだから野蛮人の相手は苦手なのです。ははっ、客が店を選ぶように、店も客を選びたいものです。まあしかしどうしましょうか……やはり、既に殺してしまったものは仕方ないですし、既に死んでしまったものは同仕様もないですからね……」


 これまでの一連の殺人行為に、目撃者がいなかったということはなかった。それどころか、目撃者は大勢いた。なんせ殺人が行われたのは、白昼堂々、数多の商人たちが軒を連ね、数多の傭兵や兵士が行き交い、店先で備品の買付をする──市場の真っ只中で起こった殺人事件であったのだから。

 だがしかし、行商人の殺人行為を咎める者はやはりいなかった。それも当然で、誰もが皆、男の死などどうでも良かったのだ。ここは戦場だ。人ひとり死んだ程度で騒いでいては埒が明かないのである。


 戦場では。

 何人も死ぬ。

 何十人も死ぬ。

 何百人も死ぬ。

 何千人も死ぬ。

 何万人も死ぬ。


 一人死んだところで、変わりはない。この市場をを行き交う誰しもが、明日死ぬかもしれない。明日は我が身の人生を送る連中の集まりなのだ。死ぬことが前提で、運良く生き残ったら万々歳な人生を送る連中たちの集まりなのだ。だから、戦線に向かう前に誰が死のうが、戦線で誰が死のうが、たとえ今日死のうが、たとえ明日死のうが、たとえ明後日死のうが、たとえ明々後日に死のうが──どんな死を遂げようが、彼らにとって、死ぬことには大差はないのだった。だから誰も、男の死に構わない。


 ここは戦場、人が死ぬ。

 己が弱ければすぐに死に。

 己が強ければ生き残る。

 己の運が悪ければ誰でもに死に。

 己の運が良ければ誰でも生き残る。


 過去の戦争は今はなく。

 宗教、思想、人種の壁を越え。

 金が成るから戦争をする。

 金が動くから戦争をする。

 戦争の拡散、収束が繰り返される。

 国が滅び、国が生まれ、また滅びる。

 国が統合され、分裂し、吸収される。


 戦争のおかげで雇用が生まれる。

 戦争のおかげで武器が売れる。

 戦争のおかげで薬が売れる。

 戦争のおかげで経済が回る。


 金が無ければ戦場へ。

 金が欲しければ戦場へ。

 名誉が欲しければ戦場へ。

 人を殺したいのなら戦場へ。

 世界平和を願うのなら戦場へ。

 大英雄になりたいのなら戦場へ。




 行商人は男の亡骸へ一瞥もせず、自分の足に張り付いて離れない少女の頭を、まだ少し血生臭い手で優しく撫でた。少女は甘えた仔猫のように、気持ち良さそうに目を細め、行商人に身を委ねる──少女の目にもまた男の亡骸は写っていなかった。


「ニーナちゃん。私はこの戦場が明日には収束すると見ました。そろそろ店閉まい頃合いでしょう。可能ならば、日が沈むまでにはこの場を後にしたいのですが、もう一働きお願いできますか?」


 行商人は少女──ニーナに優しく語りかける。


「了解しましたですっ、ボス。ですがボス、わたしは一体何をしたらいいですか?」


「そうですね……では、ニーナちゃんには荷台に積んである在庫確認と在庫整理を頼めますか? 店舗の撤収と食料の調達は私がやっておきますので、その二つを頼みます」


「頼まれましたですっ、ボス」


ニーナは様にならない敬礼をすると、どこか楽しげにきゃっきゃ言いながら、荷台の奥に足早に消えていった。その様子を最後まで見送った行商人は、そっと溜息をついた。足元に転がるモノの処理について困っているようだった。流石の流石に、市場の通りに死体を放置するわけにもいかない。そして何よりも、男の死体を放置し続けて、これ以上、男の醜態を晒すわけにはいかなかった。生前の男には罪があったかもしれないが(行商人にとっては極刑で死罪に値したらしい)、死体に罪はないのだから。


「あなたには必要のない物のようですし、商品は返して貰いますよ。ははっ、安心して下さい。代金はきちんと返金致しますので、その点悪しからず」


 男の亡骸からさっき売ったばかりの商品だけを受け取ると、行商人は、さっき男から受け取ったばかりの代金から、ほんの気持ち程度の割増分だけを懐に収め、その残りを男の歴戦のアーマーベストの内ポケットの奥底に押し込めた。


「私も律儀なものですね……いいえ、難儀とでもいうのでしょうか? まあ、どちらでもいいでしょう。私がやりたいことを、私がやりたいようにやっただけですから。ははっ、死人に口無し、これ以上、難癖をつけられる心配もありませんし、ね」


 行商人は営業スマイルを貼り付けたまま「さてさ てさーて、それでは──」と呟くと、男の亡骸に背を向けた。行商人の手には、いつの間にか、どこからともなく現れた、細長い黒色のステッキが握られている。そのステッキで地面を、トントンとリズム良く二度叩いた。すると不思議なことに、先刻まで店舗として機能していた大きなテントが、まるで魂が宿ったかのように、人知れず勝手に動き出したかと思えば、慌ただしく片付けが始まった──それも道具が勝手に、である。天幕は波打つように、けれど皺が残らぬよう折畳まれてゆき、八箇所に散らばった支柱は束ねられてゆく、その他にも、机や椅子等々と片付けは勝手に進んでゆき、そして最後に残ったのは、年季の入った、使い古された革の鞄だけとなった。行商人は付着した塵を手でパッパっと払いながら、鞄を丁寧に拾い上げた。


「これで撤収は完了ですから……あとは、食料の調達ですか。さてさて、ニーナちゃんは何が食べたいのでしょうか? どうにもこうにも、好き嫌いが多いようですからね…………おっと、これは失礼。そう言えば、あなたの弔いがまだでしたね。ははっ、殺された相手から弔われるなんて、あなたもさぞかし無念でしょう。しかしまあ、どうかその点はご容赦ください───それにしても、既に話せもしない死体相手に、こうも長々と無駄話をするなんて、我ながら随分と可笑しな奴ですね。他人の目に私はどう映るのでしょうかね? 変態ですか? 奇人ですか? 殺人鬼ですか? それとも愚者ですか? まあ私からふればどれでも良いですがね。結局は、どれも私のことなのですから──どうでも良いですけどね」


 行商人は「そろそろ夕刻も近いですね」と茜色に染まった空を確認しながら呟くと、「そろそろお時間です──」と男の亡骸に告げた。行商人は、ステッキを右手に、そして革の鞄を左手に提げ、行商人が店舗を構えていた通りよりも、もっと人通りの多い市場の通りへと足を向けた。


「もし次に生まれ変わる時は、せいぜい私のような愚者にならぬよう、神様にお祈りを捧げることをお勧めします。ははっ、そう言えば、あなたがお祈りをする間もなく、私が殺してしまいましたよね。これは失礼」


 行商人が歩き出したその時には、既に男の死体は跡形もなく燃え尽き、灰となり、塵芥となっていた。










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