第春章 花風①

花風

ー… 花の盛りに吹く風。主に桜がきれいに咲いているときの風を指し、花を散らす風のことを指す。


花江未来と風間秀…お互いの第一印象は最悪だった。


「なんで、こんなしっくりこないうっす〜い先輩に教えてもらわないといけないわけ?俺は鳥羽先輩の写真に憧れて入部したのに!」


「語彙力のない後輩ですね。文学部なめんなよ。頭が可哀想なことになってるきみには悪いですけど、きみの憧れである鳥羽先輩からの命令です。ちゃーんと、従ってくださいね。ツリメくん」


この瞬間から二人の間には、ビシリと亀裂が入った。


「先輩。やっぱり無理です。第一印象からダメでした。辞退の方向でお願いします」


「俺も嫌っす!第一印象から決めていました!先輩の後輩になりたいです!」


文化部の部長である鳥羽賢一は、美術室の窓辺に背を向けて、苦笑いを浮かべながら二人のやりとりを見守っていた。

静かな美術室にざあっと大きな風が舞う。

桜の木々はゆったりと揺れ、幾千もの花びらがくるくると宙を回る。

春の終わりを告げるように、花を散らしていく。


「花風、か」


美術室から見える大きな桜木は、二人の喧騒で花が散ってしまうだろう。

美しい風景が乱されるのを嫌う鳥羽は、首にかけるカメラ越しから花江に話しかける。


「聞いてます?」


「………告白タイムは終わったか?」


「絶妙に古いネタですね。オツムの悪い人には伝わりませんよ。…彼みたいな」


「わ、わかるし!」


花江と風間にピントを合わせ、カシャリとシャッターを押すと、美術室全体に響き渡る。


「辞退はないよ」


「…だ、そうです」


「ツリメくん、もとい、風間くん。君はまず文化部というものを知ろうか。しっくりこないうっす〜い先輩…いや、花江、説明を頼む」


「分かりました。カメラ小僧…すいません、噛みました。鳥羽先輩」


「部活後に話がある。君と俺との大事な話だ」


「おばあちゃんが昨日から危篤状態なので、また今度にしてください」


「おかしいな。今朝、君のおばあさんのゴミ捨てを手伝ってやったぞ。お礼に煎餅をもらった。そういえば、今日は夕方のタイムセールに出かけるらしいとハッスルしていたな…」


「わたしのおばあちゃんをタラし済みとは……恐ろし…あ、いえ、そっちじゃなく母方の…」


鳥羽はコホンと小さく咳をする。

小さきながらも、重たい息は花江の心をドキリとさせる。


「なんでもないです…」


花江は視線を風間に戻し、文化部についての説明を始める。


「一度しか言いませんよ、フォックスボーイ。知っての通り、この学校に通う生徒の数は少ないです。そのため、自分たちで自分の部活を持てるほどの人数はいません。ある程度の人気がある吹奏楽部は除きますが…。なので、人気の少ない「美術部」「写真部」などは《文化部》として一括されました。ザ・インドア系の集合体」


「その説明を聞いて、俺が分かりました、しっくりこないうっす〜い先輩の元で絵画を学びます、につながらないよね?」


「そして、なにを隠そうこの文化部の部長は、生徒会長である鳥羽先輩です」


「その顔でもう老化現象入っちゃってる?」


「フォックスボーイ・風間」


茶化す風間を鳥羽の鶴の一声が入る。

鳥羽が話せば、風間は犬のように尾をぶんぶんと振り回しながら、「はい!静かに聞いてるっす!」と体育会系ばりの元気の良い声で応答する。


「続けますよ?つねきち」


「俺の名前、変わりすぎじゃない?」


「…様々なインドア系が属している文化部では、都合上、仕方なく入る幽霊部員が多いです。そのため、鳥羽先輩が入部者一人ひとりの素質を見抜き、適材適所を行います。きみの場合、それが絵画部門だったという話です」


納得できない顔のまま、風間は花江の話を一通り聞き終える。

今にも辞めそうな雰囲気を醸し出す風間を見て、鳥羽は大きなため息をつく。

そして、彼のやる気を出させるために、普段ならありえない提案を出す。


「ただし、花江にお前の才能が認められれば、お前は好きなところに移動してもいい」


「まじっすか?!」


その一言は絶大な効果をもたらした。

目をキラキラとさせて、風間は鳥羽に食いついてきた。

鳥羽はそれを軽くあしらいながら、花江に目をやる。


「花江。真面目に取り組めよ」


「分かりました。さっさと彼の才能を認めて、先輩のところに押し付けてあげますよ」


「楽しみにしているよ」


鳥羽は二人を残し、美術室から出て行った。

仲介人がいなくなると、二人の間に大きな風が吹き始める。


「こんなセンスのない人にどうやって才能なんて認められるのか、教えてほしいね」


風間は美術室に置かれた花江の作品たちを見回す。

並べられた作品の前を素通りし、まだ何も描かれていない6号のキャンパスを手に取る。


「きみはセンスをもっているというのですか?ただ鳥羽先輩の写真に憧れただけ、というのに…」


「センスは磨けばどうにでもなる。才能はその後、開花する」


「一般論ですか?」


「ううん。自論」


「では、その自論で証明してください。どうやって憧れているだけのサッカー少年が、才能を開花できるのかを」


「少なくともあんたよりはセンスはあるよ。俺だったら、こんな陳腐な団子と桜を描かない」


それは最近まで花江が取り組んでいた油絵だった。

鳥羽にもバカにされたが、風間にもバカにされるとは思わなかった。


「美術の成績は?」


「2」


「5です」


「先生には高評価なんだね」


むっとした花江は、鳥羽が手にしたキャンパスを奪い取る。

そして、ごちゃごちゃしている机の上から、子供用のイラストが描かれた画用紙を渡す。


「きみには画用紙で十分です。色鉛筆をあげますから、まずこの部屋の好きなところを描いてください」


「何年生だよ」


「わたしは一通りの絵画は嗜んでいます。心配せずとも、それなりの評価はあげます。それに、構図がしっかりしていないようでは、鳥羽先輩のような写真は撮れませんよ」


花江の言っていることは一理ある。

従うのは癪だが、仕方なく風間は色鉛筆と黒の鉛筆を手にする。


「ふーん…」


シャッシャとなんとなく描き始める風間の絵を見て、花江は片眉をあげた。

顔だけは、なぜか、微妙に、なんとなく、良いだけの風間に美術の才能はないように見えた。


「その構図だとバランスがよくありません。近くのものは大きく、遠くのものは小さく。基本も出来ないようでは、わたしに認められるなんてまだ先の話です」


「うるさいなー。今はデッサン中なの。これから俺の絵は大いなる進化を遂げるんだよ」


それからというもの風間は、言うことは聞かないし、暇があれば花江のことを「うっす〜い先輩」と呼び、ぶすくれると、「なんで写真撮りたいだけなのに、お絵描きしなくっちゃいけないんだよ」と悪意のこもった小言をぶつけてくるのだった。

嫌な後輩。

花江の中のイライラ度はマックスに近づいていた。


「いい加減にしてください。これではわたしの大好きな美術がきみのせいでキライになりそうです」


「じゃあ、早く俺のことを認めて。そしたら、さっさと鳥羽先輩の元へ飛んでってやる」


「鳥羽先輩に対して失礼なことは出来ません。そんな中途半端なことをしたら、後々恐ろしいことが待っています」


「俺には関係ないから、どうぞご勝手に」


「さいあくです。わたしは日々のストレスを、この静かなる美術室で、発散しているというのに…。きみという存在が来てから、毎日が憂鬱です」


「ねくら」


「うるさい!」


ぼそりと呟く風間の悪口を花江は聞き逃さなかった。

あまり感情を表に出さない花江だが、風間の前ではころころと変わる。

キッとなったり、落ち込んだり、諦めたり、必死になったり、声を上げる度に変わるのだ。


「楽しそうだね」


二人の様子を遠くから眺め、時にはシャッターを押す鳥羽。


「もう少しどちらかが歩み寄ると、もっと良い絵になる」


「無理っすよー。こんな先輩にどう頑張ったって歩み寄れませんって」


鳥羽は「そう」と言いながら、風間に歩み寄る。

数枚の写真を指の間に挟ませ、風間の不恰好な絵が描かれている画用紙にそれらを散らばせる。


「新作。きみの評価を聞いてみたいな、フォックスボーイ」


「それ、かなり気に入ってますね。止めないと可哀想ですよ。それよか、つねきちの方が…」


「大丈夫だ。聞いていない」


「そうでしたか」


「これ…全部新作…。うわー、やべぇ!俺が勝手に触ってもいい代物なんすか?」


「ほら」


「彼が不憫でしょうがない。彼のことはキライですけど、この瞬間だけは同情しますよ」


「お前の悪態は底をつかないな」


鳥羽の写真は吸い込まれるように美しく、まるで自分がそこにいるようだった。


特に一番気になったのは、2枚目に彼の瞳に写り込んできた作品だ。

よく見ると、場所はこの美術室らしい。

窓から手を伸ばせば触れるほどの距離に咲く桜の花が、教室に体をそっと寄せている。

ざあっと流れる風が、頬に優しく触れる。

花びらたちが舞うその中心にいるのは…透けるように儚い少女。

風間が初めて見た鳥羽の写真にもいた少女だ。

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