正反対姉妹と心配の行方

末野みのり

第1話

 彼が何の為に旅をしているのか、多くの者が知っていた訳ではない。

 だが、同時に彼もまた、多くの者のことを知っていた訳ではない。


 それは、そんな当たり前の、知らぬ者同士の運命と運命が、ほんの少し交わった時の話である。






 水の都、アルトゥール。

 旅の途中、その美しい都市に身を寄せたアルドに、しわがれた声が届いた。


「もし。旅のお方」


 突然の呼びかけに、アルドは思わずきょろきょろと周囲を見渡す。

 大通りというほど広くもない路地に人はまばらで、それもみな近くに家があるのだろう軽装だ。

 ならば、おそらく自分のことだろうと、自分を指さし、声の方に向き直る。


「もしかして、オレのことか?」

「ああ、そうだよ。ずいぶんと珍しい装束を着ているね。よほど遠くから来たようだね」


 しわがれてはいるが、意思のはっきりした声の主は、穏やかそうな老婆だった。

 アルドは最低限の警戒心による、わずかな緊張を解いて老婆に何と答えたものか思案する。


「まあ……そうだな。ちょっと、かなり……うん、すごく、遠くから」


 曖昧に答えて、老婆の様子を見る。

 一瞬、老婆の瞳に好奇の光が差したかのように見えたが、それが言葉になることはなかった。

 あえて訳あり気味に告げたのが、功を奏したのかもしれない。

 実際、時空を超える訳ありなのだが。


「それなら……ちょっと、頼まれてくれないかい? この辺りの人間にはちょっと頼みにくいことでね……」

「悪いことじゃなけれれば、まあ……オレの手伝える範囲でなら」


 便利屋のごとく、小さなことから大きなことまで人の事情に関わることの多いアルドである。

 今更頼みにくい頼み事の一つや二つ、臆する彼ではなかった。

 当然、犯罪など他人に害を与えるような事ならば断わるが、それもまた話を聞いてみなければわからない、といつものように、すでにアルドは半分は頼み事を聞くつもりで尋ねた。


「ああ、よかった。いやなに、私には二人の孫がいてね……一人は、つい最近まで人のところへ修行させに行っていたんだが、ようやく帰ってきたはいいものの、なんだか二人の関係がギクシャクしてしまってね……」

「うーん、離れた時間が長いと、ちょっとギクシャクしちゃうってのは誰でもあると思うけど……おばあさんが人に相談したいぐらいのギクシャクなのか?」


 話のさわりだけ聞けば、よくある人間関係の悩みで、これはただの心配性なのかも、と思ったアルドの考えは、老婆の長く深い溜息で消されることになる。

 古代から時の狭間まで、場所を越え、時代を超え、多くの者と関わってきたアルドでも、そうそう聞いたことのない重い溜息であった。


「二人は治癒の術と、薬の調合をそれぞれ学んでいてね。やることは二人とも人を癒すことだが、方法が全然違うだろう。だからか事あるごとに対立してまってね……昔はどこに行くにもべったりの仲の良い姉妹だったんだが」

「ああ……つまり、ライバルでもあるってことか……それはちょっと難しい話になってきたな」


 古来から未来まで、同じ分野のライバルがただ仲良くするのは難しいものである。

 共に巨大な困難を乗り越えれば、終生の友となりうる存在でもあるが、そうそう巨大な困難が転がっているわけでもない。


「そして二人とも、私の治療院……まあご近所さんの便利屋みたいなものだが、その後継者候補でもあるんだ。私としては、二人で力を合わせて継いでほしいんだがね……」


 アルドは渋い顔をした。

 彼は机上の勉学においてそれほど熱心な方ではない。だが、後継者争いというのが歴史上でかなりのややこしさと解決の難しさで行われてきたことぐらいは知っている。


「ううん、それはただ仲良くするのは難しそうだな……全部いっぺんに解決しないとまたどっかで意地の張り合いになりそうな………二人はどっちとも、相手に負けたくないって感じなのか?」

「治癒の術の修行に行っていた方……姉のネネはそれほどでもないんだが……。妹のモモの方が、意固地になる場面が多くてね」

「そっか」


 姉妹の関係性を聞いて、アルドの表情が少し明るくなる。

 これでどちらもいがみ合っているのだったら、かなり難しい相談だったが、片方でも態度に柔らかなものがあるのなら、愛情が失われたわけではないのだろう、と希望がもてる。


「それじゃあ……ひとまずお姉さんの方に話を聞いてみようかな?」

「そうだね、お願いしてもいいかい?」


 途端、老婆の表情が明るくなる。かなり気を揉んでいたのだろう。

 彼女からしてみたらかわいい孫がいがみ合っているのである。アルドの身に置き換えれば、育ての親と妹が喧嘩しているようなものである。想像の上ではフィーネが圧倒的に勝っている様子がすぐに想像できてしまったので、老婆の心を理解するまでには至らなかったが。


「上手くいくかはわかんないけど、とりあえず行ってみるよ」

「ネネだったら今頃は足の悪い患者さんのところだ。いつも噴水の近くで日光浴をしている」


 姉の行き先を教えてもらい、アルドは足を進めた。

 その後ろで、ヴァルヲが任せておけ、とばかりに尻尾を揺らしたのは、老婆だけが見ていた。






 彼女がネネだとアルドがすぐにわかったのは、その指先から柔らかな治癒の光が漏れ出ていたからだ。

 患者らしき女性を見る、彼女の眼が老婆と同じ色で、おそらく間違いないだろう、とアルドが話しかけようと近づいたときだった。


「ああ、よかった。ネネちゃんが帰ってきてくれて。モモちゃんの薬も悪くないんだけど、苦かったり、塗ったり、ちょっと面倒なこともあるでしょう?」

「そ、それはそうですけれど……」

「治癒の術っていいわ~楽だわ~」」


 女性の言葉に、ネネはごにょごにょと何か返したようだったが、アルドには聞き取れなかった。

 ただ彼女の目に浮かんだ悔しそうな、悲しそうな色が胸を刺して、アルドは思わず大きな声で彼女を呼んでしまった。


「あの! ネネさん!」

「あっはい! どうしました!? 急患ですか!?」

「や、あの、えーと……」


 まさか人前で祖母から姉妹喧嘩の仲裁を頼まれたなどとはっきり言う訳にもいかず、アルドは何の計画も立てずに呼んだことを後悔した。


「あのその、ええと……」

「……あら?もしかして……ウフフ」


 しどろどろになっているアルドと、戸惑った顔をしているネネを見比べて、患者らしき女性はニヤニヤしだした。

 アルドは余計に焦った。何か勘違いをされている気がする。


「ネネちゃん、これはきっと、あれよ、あれ……」

「あれ……?」

「いやね、あれよ。私がいたらお邪魔ね」


 きょとんとした顔をしたネネを残し、女性はゆっくりと歩き出した。

 そして意味ありげな笑みを浮かべて、アルドの方に近づく。


「キミ…中々男前だけど、ネネちゃんを泣かせたら承知しないわよ」

「いや、オレはその、そういうんじゃ」

「いいからいいから」

「いやほんとにそうじゃないんですってば」

「いいからいいから」


 その後も弁明しようとするアルドに、いいからいいからとだけ残し、女性は去っていった。

 アルドにとって腑に落ちない展開ではあったが、結果的にネネと二人きりで話せる状況になったのは間違いなく、感謝していいやら、誤解を解きたいやら、複雑な気持ちだけが心に残った。


「あの……私に何かご用ですか……?」

「えーと、おばあさんから聞いたんだけど、妹さんが前みたいに接してくれなくてネネさんが困ってるんじゃないかって……」

「……!」


 頼みの内容を少しずらして答えれば、ネネの目が見開く。

 その表情は、悲しみと、少しの悔しさのようなものが滲んでいた。仲直りしたいのに、仲直り出来ないときの顔だ、とアルドは思った。ネネは十分に大人の女性だったが、不思議とバルオキーの子どもたちがするものとよく似ていた。


「あなたは……人生相談屋さんですか?」

「いや、そういうわけじゃないけど……。旅してるから、いろんな人の相談に乗ることがあってさ。力になれるならなりたいなと思って。特に、おばあさんが治療院をしてるんだろ? オレたちみたいな旅人は、結構世話になるし」


 後半の言葉は、半分はネネに信用してもらう為の理由づけだったが、口から出まかせを言っている訳ではないのがアルドという青年である。

 治療だけならば、アルドの仲間にも得意とする者はいる。だが、旅をしていて最大の安らぎとなる人々の営みは、その地に住む人々が生み出しているものである。だから大事にしたい、力になりたい、という心は、心底からのものだった。


「なるほど、そういうことなら……ちょっと相談に乗ってもらってもいいですか?」

「もちろん」


 噴水の淵に座るよう促されて、アルドは少し間をあけてネネの隣に座る。

 ネネは深くため息をついた。悩んでいる深さだった。


「……さっきの……患者さんの聞いてましたよね?」

「うん。薬より治癒の術の方がいいって……」

「私が帰ってから、そういう人が結構いるんです。もちろん、褒められるのは嬉しいんです。でも……それで妹が悪く言われるのは、辛くて……悪く言ってるつもりはないとは思うんですけど、妹も妹で頑張ってるのに……」

「そうだよな……」


 ネネだって、努力してこなかったわけはないだろう。

 それでも、相手が妹だ。悲しみが目に浮かんでしまうほど想っている、妹である。


「ネネさんだけ治癒の術を修行したのは……」

「師匠の術は、生まれながらの素質が必要だったんです。それで、教えてもらえるのは私だけに……」

「そうか……」


 生まれながら、というものは時に残酷だ。

 それは、生まれ順にもそう言えるかもしれない。姉と妹。永遠に変わることのない間柄。


「こんな状態で、私が何を言ってもモモには届かなくて……」 


 顔を伏せ、ネネは両手を祈るように握りしめた。

 そう、顔を伏せていたネネは気づかなかったのである。


「…そう、そんなこと思ってたの」


 不意に落ちて来た冷たい声は、平素なら涼やかな美しいものだったのだろう。

 アルドは目の前にいる女性の目の色を見て、サッと血の気が引いた。

 ネネと、彼女の祖母と同じ色の目。


「モモ!」

「お姉ちゃんに、そういう風に同情されるのが私は一番いやなのよ」

「ちがうの、モモ、わたしは」

「違う? 違わないでしょ、治癒の術の才能がない私に同情してるんでしょ」


 肩を震わせたモモは、今にもネネを張り倒しそうでもあったし、同時に泣きそうでもあった。

 やはりアルドは、バルオキーの子どもたちの顔を思い出していた。


「ちょ、ちょっと二人とも落ち着いて」

「部外者は黙っててよ」

「いやそりゃ部外者だけどさ!」

「モモ……モモは、わたしがいなくなった方がいい……?」

「んな極端な!?」


 ぎょっとしたアルドの言葉を、姉妹のどちらも気に留めていないようだった。

 互いに見えているのは互いだけ。


「違うでしょ」


 火花でも散りそうな視線の交錯は一転、妹の視線が地に落ちたことにより終結した。


「いなくなるのは、わたしの方でしょ」


 そう言った声は、かすかに震えていた。

 一瞬、再度姉妹の視線がぶつかる。泣きそうなのは姉の方だった。

 そうして視線を切ったのはまた妹。姉の瞳は、走り去る背中をただ映すばかりだった。


「追いかけないと……」

「わ……私がだめだったのかなあ……私が帰ってきたから、治癒の術なんか勉強したから、ダメだったのかなあ……」

「人の役に立つことが悪いことなわけないだろ!! 二人とも、人の役に立つためにがんばってるんだ、今はただ、気持ちがすれ違ってるだけだろ!!」


 子どものように泣きじゃくりそうになったネネの肩を、アルドが強く掴む。

 その言葉の半分は祈りだ。純粋な善意が、悪いなんてことあってはならないという、祈り。そして、彼の世界がそうあってほしいという願い。


「ご、ごめんなさい……。そうよ……そうよね、先生がこんなんじゃ、患者さん不安になるわよね……しっかりしないと!」

「よし、気を取り直したな。それじゃあ……」

「ネネちゃん、ネネちゃん! 早く来てちょうだい! 酒場で人が倒れていて……! アラッ」


 動転した様子でネネを呼びに来たのは先ほどの女性だった。そしてネネの肩を掴むアルドの様子を見て、ポッと顔を赤らめる。アルドは焦って肩から手を離したが、こういった手合いの誤解は、焦れば焦るほど、その行動を訝しがられるもので、逆効果だったのだが。


「おばさん、それより酒場で人が倒れてるって……!」

「そうなんだよ、早くいってあげてくれないかい」

「でも、モモが……」


 モモが向かったのは街はずれの方角。もしかしたら街からすでに出ていっているかもしれない。

 そう思うと、ネネの判断は鈍った。

 ようやくオレの出番かな。そう判断して、アルドは自分を指さした。


「そっちはオレが行っておくよ。連れ戻すまでは出来なくても、引き止めるぐらいは出来ると思うからさ」

「ではお願いします! おばさん、先に行ってますね!」

「よろしく頼むよ!」


 駆け足のネネは、恐ろしく早く、そこに迷いはなかった。

 姉としての迷いはアルドに託されて、そこにいたのはただ人の痛みを取り除かんとする、治癒の術の使い手。


「それじゃオレは……」

「キミ……」

「はい」

「奥手そうな顔して、なかなかやるわね!」

「だから違いますって!!」


 誤解を解きたかったアルドだったが、強い否定の言葉だけを残して、モモの後を追うため駆けだした。

 同じ場所にさえ戻ってくれば、言葉はいくらでも交わせる。だから今は、行動あるのみと。

 後ろで聞こえた、いいからいいから、は聞かないことにした。

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