第35話 一ノ瀬和也は初めまして

 別に俺は人相が悪いわけではないはずだ。もしそうなら、俺は今とは別の意味で一人になっていただろう。その方がありがたかったかもしれない。


 にもかかわらず、俺の目の前にいる生き物は体をこわばらせ、顔を引きつらせている。しまいには足がガタガタ震えだしている。チワワの生まれ変わりか? それとも大きなチワワか? 大きなチワワと言われてもそれほど驚かないのだが。


 というかこの空気どうしたらいいんだ? こんなガタガタのやつと話すのか? それとも知らん顔してこの場においておけばいいのか?


 でも、やはりここで知り合っておく方がいいな。色々と動くのに大隅おおすみが俺のことを知らなかったら面倒なことが多くなる。大隅に警戒された状態で動くのはしんどいからな。


「えっと・・・・・・大隅」


 俺が大隅のことを呼ぶと大隅は俺とは反対方向を向いて走り出そうとした。もう少し正しく言うと走り出した。だが、それが未遂みすいに終わってしまったのだ。大隅が漫画のようなこけ方を披露ひろうした。


 俺は一瞬の間、呆気にとられてしまったがぐに大隅の許に駆け寄った。


「大丈夫か?」


 俺が声をかけるのと大隅が起き上がるのがほとんど同じだった。俺が手を出して立ち上がるのを助けようとしたが、大隅はその手には目もくれず、自分で起き上がろうとした。どうやら双葉ふたばの言っていた「強がり」とはこのことらしい。


 それでも俺が「立ち上がろうとした」と言ったのは理由がある。なぜなら立ち上がる前に再びこけた、と言っても今度は尻餅をついた程度、からだ。別に前日に雨が降って滑りやすくなっているというわけではないのだがな。


 それにしても、この生き物は何がしたいんだ? 頭が弱いの一言で済ませられないほど弱い気がするんだが。


「大丈夫か?」


 もう一度声をかけてみる。「大丈夫か?」と聞いたが俺には大丈夫そうには見えない。どうしてかというと顔が真っ赤になっているからだ。どうやら羞恥心は人並みに、いや、これだけのことでこれほど赤くなるのだから人一倍あるようだ。


 大隅が申し訳なさそうに俺の手を取る。それを確認してから俺が引き上げる。なんとも華奢きゃしゃな腕だ。折れてしまいそうと言うほどでもないし、ガリガリと言うこともないが、それにしても弱々しい。


 そして不思議だ。俺とはベクトルの異なる弱者がこんな教員に立ち入りを禁止されている場所に一人で来るだろうか? それともそれは俺の偏見なのか? なんとなくいつも誰かといるようなイメージがするのだが。


「あ、あの・・・・・・」


 立ち上がった大隅がようやく口を開いた。声まで震えている。そしてなりよりもボリュームが小さい。聞き取りづらさで言ったら、他の陽キャどもと真反対くらいに位置するだろう。


 俺は声が小さいからと言ってキレたりはしない。ただなぜかイライラしてくるだけだ。それもどうかと思うがな。


「ん?」

「ひっ・・・・・・」


 いや、「どうした?」って意味で「ん?」と言ったんだが。そんな息を吸いながら体を後退させられたら、俺が脅迫か何かをしたみたいじゃないか・・・・・・俺ってそんなに怖いのか?


「えっと・・・・・・大隅で合ってるよな」

「・・・・・・うん」


 よかった、ようやく反応してもらえた。うれしいと言うよりも安堵あんどに近い感覚だ。あのまま怖がられ続けたらさすがの俺でも落ち込んでいたかもしれない。無視されることは慣れていても、怖がられることには慣れていないからな。


「俺は一ノ瀬いちのせ和也かずや


 以上。それ以外に何を言えばいいんだ? 好きな食べ物か? それとも好きな色か? どれにしても俺は直ぐに答えを出せない。


「知ってる。ノーちゃんの彼氏だよね」


 二の句がげなかった俺の空気を驚くべきことに大隅が繋いだ。しかも俺が最も苦手とする話題だ。それもそうだが、大隅がそんな話題を出すのは驚きだ。これも多少なりとも偏見が入っていると思う。


「ごめんなさい・・・・・・もしかしてこの話はだめだった?」

「平気だ」


 そんなに申し訳なさそうにされたら何も言えない。確かにその話はしないでもらった方がありがたいのだが、謝られるほど禁忌きんきな話ではない。


 普段のやつらとは違うやりづらさがある。寧々ねね三波みなみは頭が切れすぎるので駆け引きがしんどい。桐ヶ谷きりがやは逆に物わかりが悪すぎて面倒くさい。そして大隅おおすみはもう何が何やらわからなくて困る。


 俺の高校にはこんなやつらしかいないのか? 陽キャのベクトルずれを起こしているやつらが多すぎるだろ。特別な入試制度でももうけているのか? 頭がおかしい人用の入試・・・・・・それはそれでやばいな。


「あの・・・・・・」


 そんなことを考えている俺に大隅が再びおどおどした声で話しかけてきた。


「どうして一ノ瀬君はこんなところにいるの?」

「まぁ・・・・・・電話をしに」

「そうなんだ」


 えっ、何? 急にどうした? 話題がなくなったからと言って無理に話さなくてもいいんじゃないか?

 だが、そんなことを聞かれると、大隅がここにいる理由が気になる。


「大隅はどうしてここにいるんだ?」

「ご、ごめんなさい!」


 ものすごい勢いで深々と頭を下げる。調子が狂う・・・・・・どうして俺は謝られたんだ? 何か悪いことをしたか?


「謝らなくていいんだが」

「ごめんなさい!」


 頭を下げた状態で再び謝られた。もうどうしていいかわからない。誰か俺を助けてくれ。この生き物との関わり方を教えてくれ。関わらなくていいのであれば、それが一番いいのだが・・・・・・


「とりあえず顔を上げないか?」


 俺の言葉が終わって一呼吸置いて大隅が頭を上げた。その動きが恐る恐るだったのは、俺に何か言われると思っていたからか、それともこいつの癖なのか。どうでもいいことだが。


「別に怒っているわけではない。そもそも俺は大隅のことをよく知らないしな。人格を知らないやつにキレるほど、俺は人格ができていないわけではない」

「そ、そうなんだ・・・・・・」


 何か回りくどい言い方になったな。そのせいかわからないが、大隅の返事もどこかよそよそしい感じだった。と言っても、このやりとりの前もよそよそしい感じだったのはいなめないが。


「だから、聞かれたから聞いたというか、社交辞令というか、まぁ、そんな感じだ。別に俺はお前に興味があるとか、もっと話をしたいとか、そんな意図はない」


 これには多少なりとも嘘がある。俺がさっき言ったとおり「もっと話をしたい」わけではないが、「もっと話をしたい」という欲求はある。


 大隅のことを知らなさすぎる俺としては、この状況がチャンスであり、この機会を逃すとなかなか面倒なことになりそうな予感がする。寧々の協力がられなかった時点で面倒なことになってはいるがな。


「そ、そう、なんだ」


 一瞬の間が空く。


「私は、部屋に居づらかったから・・・・・・」


 大隅に悲しげな色が浮かんできた。なるほど、どうやらことは俺の思っている以上に大変なようだな。これを寧々の協力なしでやるとは・・・・・・


 まぁ、なんとかなるか。いや、なんとかなるんじゃなくて、なんとかするんだ。

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