第26話 一ノ瀬和也は喫茶店に行く

 俺と三波みなみは現在、駐輪場から徒歩で五分くらいの喫茶店にいる。ちなみに、喫茶店とカフェは違う。食品営業許可を申請する際に、飲食店営業許可を取っているのがカフェ、喫茶店営業許可を取っているのが喫茶店である。


 この違いはひとえにアルコールの販売ができるかどうか、単純な加熱調理以外の料理が提供できるかどうかが異なり、喫茶店営業許可の方が飲食店営業許可よりも取るのが簡単である。


 とは言え、カフェが「喫茶店」と名乗ってはいけないという決まりは無いため色々とごちゃ混ぜになっている現状はある。


 俺と三波は店員に案内されるがまま二人がけのテーブルに向かい合わせになるように座っている。座る際に俺はブレンドのホットを、三波はホットカフェラテを頼んだ。


 ここに来るまで俺たちは一言も話さなかった。俺が距離をとっていたからということもあるのだろうが三波にも話す気はなかったように感じた。俺としてはありがたかったが、気味の悪さも感じた。


 そして、その静寂は座って三秒後にやぶられた。


「先輩、将棋とチェス、どっちが好きですか?」


 こいつのことは少しずつわかってきたが、それでも何がしたいのかわからないところの方が多い。そんな俺でもここで断るよりものる方がいいだろうということくらいはわかる。


 ここで断ったところでこいつが退くとは思わないし、少しでも情報を引き出そうとするのであれば相手の土俵の上で進むのが一番だ。


「どちらかといえば将棋か」

「じゃあ、私のスマホにアプリを入れてるんで、これでやりましょう」


 三波がスマホを取り出す。そして画面を操作して一台を俺の方に渡してきた。おそらく対戦のような形になっているのだろう。最近の技術の進歩というものは素晴らしいな。誰とも会うこと無く、人間関係というものを排除した勝負ができるのだから。


和也かずや先輩の先手でどうぞ」


 将棋において先手の方が有利だと言われる。プロ棋士きしにはそれぞれの指し方があるので単に言うことはできないが、統計的に見ると先手の勝率の方がわずかながら高い。

 だからどうしたと言うことなのだが。


 【3六歩】


 ごたごた考えてもしょうがないので、始める。


 【8四歩】


 【6八銀】


 【3四歩】


「『人生は神ゲーだ』って言う人いるじゃ無いですか」


 【7七銀】


 三波が何の前触れも無く話し始めた。俺は答えるのもおっくうなので好きに話させることにした。


「でも、私思うんですよ。人生ってクソゲー以外の何ものでもないって」


 その言葉に、だんまりを決め込んでいた俺でさえ顔を上げて、三波を見てしまった。こんな勝ち組を絵にいたようようなやつが言う台詞とは思えない。こういうことは俺のような見てひねくれているやつが言うものだと思っていた。


「意外そうな顔をしてますね。でも、本当ですよ」


 と言うよりも声が俺の耳に届いてくる。おそらく、俺相手にはかざる必要は無いと思っているのだろう。


「だって、こんな人生、誰だって攻略法を知っているじゃ無いですか。レベルアップも最強の装備も無い。決まり切った手筋てすじも無ければ、持ち駒も無い。しかし一見平等に見えても不平等でしかないゲーム」


 【6二銀】


「ストーリーもなく、自由度が高いくせに、自由に遊ぶことができない。お手本のような打ち方があるのに、いくら研究したところで打つことのできない手筋の数々があたりを覆っている」


「人生って腐ってるんですよ。うまく立ち回りさえすればどんどん上に行ける。でも、上に行ったところでより強い敵が出てくるわけでも無い。なのに下には他のプレーヤーがうようよしている」


「お手本のようなプレーをしていれば勝ち組と呼ばれ、はずれれば負け組と呼ばれる。なのに勝ったところで何もない。負けたからと言ってゲームオーバーになるわけでは無い」


「面白くないんですよ。退屈なんですよ。いい子ちゃんのふりをして過ごしても、褒められるか、怒られるか、おだてられるか、うざがられるかだけ。それでも正面切ってやり合おうとする人なんていないんですよ」


 【2六歩】


「だから私は自分でゲームを作ることにしたんですよ。人の上に立ったり、いじめようにしたりと色んなことをしました。それでも退屈だったんですよ。いい子ちゃんであればこのくらいできるんですよ」


「それなら、もっと他のことをしようと思いました。高校生が悩むことの多くは勉強なんですよ。でも、それ以外で何が上位に来ると思いますか?」


 俺に問いかけているにもかかわらず、ほんの少ししか間を作らない。つまり、答えを待っていないということだ。


「恋愛関係なんですよ。友達でも、部活でもなく、恋愛なんですよ。それで私は思ったんです、男の人にれてもらおうと。どんな人が対戦者でも惚れてもらおうと」


 俺は画面から目を離し三波を見た。俺の方をウキウキした顔で見ている。心が腐っているにもかかわらず、綺麗な顔をしている。声にドロドロとした人間の裏の表情は感じられない。なのに腐っているとは、驚きだ。


「楽しかったですよ。学校の人気者、逆に不登校気味の同級生、年上、年下、かわいげのある女の子。私の時間は中学の頃から動き出したんです。あっ、ちなみに私は中学上がりのエスカレーターちゃんです」


 狂気じみたことを言っているのに、声も顔もまったく狂気の色は無い。それどころか明日に遠足を控えた小学生のようなウキウキした心がうかがえる。


 それに、ものすごくどうでもいいことだが、こいつは中学上がりらしい。ちなみにもっとどうでもいいことを言うと将棋は結構進んできている。


「でも気づいたんです。どんなにその人のことを勉強して、寝る間も惜しんでその人の興味を研究しても、私の心は満たされないと。そして、そう思った瞬間に私の人生は再びつまらないものになりました」


 そこで注文していた飲み物が運ばれてきた。三波が華奢きゃしゃな腕で飲み物を受け取ると、万人に受けしそうな声と笑顔で「ありがとうございます。お仕事頑張ってください」と言った。


 店員は同性だったにも関わらず、ほおを少し赤らめ、ぺこりと頭を下げて逃げるように去って行った。こういうさりげなさを一言が喜ばれるのだろうか。ならば、俺は絶対にしない。


 三波が両手でカップを持って「ふぅ」と小さく息を吹きかけて、上品に飲んだ。上品と言っても、音を立てずにという意味で、こいつのを褒めたわけではない。の気を立てないという意味だ。


 俺もコーヒーを一口飲む。そして負けることが将棋の続きをさした。こいつの頭はいかれているが、壊れてはいない。むしろ、ねじを閉めすぎているようだ。


「そんな私のくすんだ人生にもう一度光を与えてくれた人がいたんです」


 三波が再び話し始めた。もう二度と口を開いて欲しくは無いが、俺にはどうしようもない。って、あれ・・・・・・


「高校に入学してぐに和也先輩のことを見つけました。仲良く話している人たちがいるのに、その中で唯一暗い顔をすることも無く、自転車を押している先輩の姿を見ました」


「この人しかいないと思って私は築き上げたコネクションを使って先輩のことを調べました。ちょうど、先輩と同じ中学の人とので、その人から情報を得ました」


「そしたら、あの紀野きの先輩と付き合っていたって言うじゃないですか。私はそれを聞いて落胆と興味の相反する感情を得ました。和也先輩でも恋をするのかという落胆、どうしてそれなのにあんなにも一人なのかという興味」


「私の中では興味が優位に立ちました。そして調べていくうちに、どんどん先輩に興味が湧きました。どんなことがあっても一人、体育祭でも、文化祭でも一人を貫き通している」


「もうこの人しかいない。私を楽しませてくれるのはこの人だけだって思いました。絶対に私のことを好きにさせる。そう決めたんです。先輩の口から『好きだ』と言わせるということが、私の頭から離れなくなりました」

「好きだ。これで満足か?」


 俺の元から去って行ってくれるのならばそのくらい言ってやる。目標が達成されたんだからさっさと帰れ。消えろ。二度と現れるな。


 三波が残っているカフェラテを飲み干した。そして、今までとは違って無造作にコップをテーブルにたたきつけた。そのまま俺の方に身を乗り出して、胸ぐらをつかんでくる。


 四天王と呼ばれるほどの、美少女の顔が俺のすぐ前に来る。だが、ドキドキもしなければ、わくわくもしない。逆にこいつの本性が引き出せたことにほんの少しだけ優越感を持っている。


「ふざけんなよ」


 どうやら、俺の気持ちなどこいつには関係ないらしい。真っ暗な声が俺に浴びせられる。


「こうやって話してるのは、その方が警戒されないと思ったから。こうやって面と向かっているのは少しでも揺さぶろうとしているから。こうやって近づいているのは私が楽しむため」


「先輩は私の手の上で転がされる身、自分の方が上だと思うな。私は先輩を惚れさせて、心の底から『好き』だと言わせ、隣にいるだけでキスしたいと思わせる。それが私のゴール」


 と言うと三波は俺から離れた。そして俺の持っていたスマホを取って、立ち上がった。


「あと二十三手で詰んでましたね」


 そう言い残して三波は席を離れていった。伝票はきちんとテーブルに置かれたままなのが、少々気になるが、しょうがないだろう。


 面倒なことになってしまった。俺がこれまでに合った中で一番腹が立つやつだ。寧々ねねとも桐ヶ谷きりがやとも狂い方が違うな。


 桐ヶ谷は阿呆という意味で狂っている。寧々はベクトル的にはあいつと同じだが、ゲーム感覚で動くやつじゃない。


 それに寧々は周りを動かして、退路を断ち、準備を万端にして最後のとどめを自分が刺すやり方だ。一方、三波は周りから情報を集めた後は個人プレーに走るタイプだな。


 しかも三波は性格がクソだ。人を自分の楽しみのために使うなど、ゲスの中のゲスだ。クズイ、ウザい。ああいう人種が世の中にはびこっていることに腹が立つ。それに、相手をなぶるような趣味を持つようなやつは嫌いだ。


 そのことがわかるのはあいつの「あと二十三手で詰んでましたね」だ。


「七手前に詰んでたろ」


 あいつが詰みの手筋を見逃していたはずが無い。つまりわざと勝負を伸ばしていたんだろう。


 コーヒーを飲んでも吐き気がしそうになる。気分が優れないのでは無く、悪いのだ。あのクズのせいで、俺の平穏が崩れることが許せない。


「なんとかしないとな・・・・・・」


 俺に寧々のような駒は無い。堂々と動くこともできない。だが、俺はなんとかしなければならない。


 俺はラブコメを信じない。だから、この状況もラブコメではない。そんなことがあるはずは無い。

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