第13話 桐ヶ谷音杏は報告する

 私は教室から一ノ瀬いちのせを呼び出して、体育館裏に来ていた。さっきちらっ聞こえたけど、一ノ瀬の名前はカズヤと言うらしい。莉音りおんと話しているときにそう言っていた。


 私と一ノ瀬は向かい合わせに立っていた。それでも私たちの間には四、五メートルほど距離が離れている。

 なかなか話が切り出せていないのはこれから話す話題があまりにも気まずいからだ。


 いきなりこの話題を切り出すのははばかられる。「昨日、寧々ねね先輩から電話があって」なんて急に言えない。


「えっと・・・・・・みんな知ってたね」

 なのでとりあえず、世間話的な話題から入った。


「私、莉音にしか広めてって言ってないのに。あっ、莉音って言うのはさっきの小っちゃい子ね」


 これを莉音が聞いたらすねるんだろうなぁ。「小っちゃいってどこが!」みたいな感じで言ってくると思う。まぁ、そこがかわいいんだけど。


 それにしても広まる早さが尋常じゃなかったことに驚いたのは本当のこと。莉音一人でこんなに広まるなんて驚き。莉音も「不自然にならないようにゆっくりやるね」って言ってたのに。


「それはそうだろ。寧々が色々としたんだろ」


 私の疑問の答えと、言いにくかった人物の名前を同時に言った。そのことに驚いてしまった。


「あいつのことだ。顔が広い分、色んなところに情報を流しやすいんだろうな」


 一ノ瀬が体育館の壁に腕を組んでもたれかかる。格好つけていると言うよりも、ねむたそうと言った方が合う気がする。


「寧々に何を聞かれたのかは知らんが、言いたくなかったら言わなくていい。ただ、あいつのことでお前が悩むな」


 私はドキッとしてしまった。それはときめいたのではなく、びっくりした。一ノ瀬は私が昨日寧々先輩と話したことを知っているようだ。それが直接寧々先輩に聞いたのか、それともただの憶測おくそくなのかはわからないけど、どちらにせよ話した内容は知らないみたい。


 でも、だからと言って私が一ノ瀬に話さなくていいということにはならない。むしろ話したことを知っているのであれば共有しておいた方がいい。


「昨日、電話があって寧々先輩に私たちの関係を聞かれた。そのときに付き合っているをしてるってことも、どうやってそれを一ノ瀬にお願いしたのかも言った」

「はぁ、んなことだろうと思った」


 大きくため息をついて一ノ瀬がそんなことを言った。言い終わった後に「チッ」という舌打ちが聞こえたのは気のせいではないはず。


 一ノ瀬がどんな表情をしているのかわからない。声からも表情は感じられなかった。怒っているのか、悲しんでいるのか、わからない。でもどれにしても私がこのまま一ノ瀬と付き合うふりをしていいのか迷ってしまう。


「あ、あの・・・・・・やっぱりやめる?」


 私が勝手に一ノ瀬を巻き込んだことだし、もしもそれで一ノ瀬や寧々先輩に迷惑をかけるんだったら私が退くのが一番だと思う。


「それに、今ならやっぱり間違いでした、みたいな感じでみんなも退くと思うし」


 早ければ早いほど間違いだったとするのが簡単。もしもこのままずるずると引きずってしまえば、否定するのも難しくなってしまう。


「はぁ、面倒くせぇ」

「じゃあ、やめ・・・・・・」


 「じゃあやめる」と言おうとしたときに一ノ瀬が壁から離れてグッと私との距離を詰めてきた。その勢いに押されて私は後ずさりする。そうしたら、袋小路ふくろこうじになっている体育館裏の壁にぶつかった。


 それでもまだ一ノ瀬は私の方に近づいてくる。そして私の方に倒れ込むようにして右手を私の顔の横について、自分の体を支えた。


 まさにこの体制はか、か、か、壁ドン・・・・・・

 顔の熱が上がっていくのがわかる。鼓動が早くなっていくのを感じる。一ノ瀬が呼吸しているのを感じる。


 こ、この状況はまずい・・・・・・何がまずいって、て、照れる・・・・・・あれ? 一ノ瀬ってこんな顔してたっけ? 近くで見ると普通にかっこよくない? 目もやる気なさそうに見えてたけど、近くで見たら透き通った茶色で綺麗きれい・・・・・・


 じゃなくて、何? なんなの? いきなりどうしたの? こういうことする人じゃないよね?


「あのなぁ・・・・・・」


 この状況についてなんの説明もなく、一ノ瀬が口を開き始めた。


「そうやっていちいち周りのことに振り回されて意見を変えるやつが大嫌いなんだ。もっと自分の意志を強く持て。やると決めたらやれ」


「他人に協力を求めるということは他人に迷惑をかけることだ。他人とつるむということは他人に迷惑をかけることだ。そのくらい理解してから他人を巻き込め。その覚悟がないのなら巻き込むな」


「お前はその覚悟を持って俺のところに来たんだろ。だったらうじうじするな。腹が立つ。寧々がどうした、俺がどうした? 協力とは他人を利用して自己利益を得ること以外の何ものでもない」


「お前は俺を利用しろ。俺もお前を利用する。迷惑云々うんぬんを気にするな。気にしたところでお前にはどうしようもない」


「お前が俺と寧々の関係を気にする必要性がどこにある? お節介せっかいやきでもあるまいし、お前が寧々と俺のことを知ったのはを結ぶ前だ」


「そのときにお前が俺たちのことを知っていなくて当然だろ。それでも、そのときには俺は知っていた。知っていたが俺はそのことを言わなかった。ならば、お前に責任があるわけないだろ」


「周りの顔色をうかがうな、周りの関係を気にするな、周りのやつらのことを気にするな。これは俺とお前の問題だ。俺もその気になればスマホを奪ってデータを消すことくらいできる」


「自分の方が上だと思い上がるな。自分に一方的に責任があると思うな。俺とお前は対等だ、対等な契約だ、だから、俺のことを気にかけるな。俺のことは俺がなんとかする」


「聞くぞ、これからどうする? 三ヶ月恋人のふりをするか? それとも周りの顔色をうかがって逃げるか? お前が決めろ」


 そう続けざまに言って一ノ瀬は離れていった。


 そんなこと言われても・・・・・・気にするなって言われても気にする。私はそんなに図太ずぶとい神経もしてないし、器用でもない。


 でも・・・・・・そう言ってもらえて少しは心が軽くなった。一ノ瀬が気にしてないっていうんなら、利用しろって言うんだったら、私は一ノ瀬のことを利用する。自分のために利用する。


 そう思ったら、心が楽になった。私の心を軽くするために言ってくれたのか、それとも本当にそういう風に思っているのかはわからない。


 後者の気がする。それはなんとなく一ノ瀬なら後者の方が似合っているからそう思っただけ根拠は全くない。だから、もし前者なら私は一ノ瀬のことを見直さないといけないかもしれない。


 一ノ瀬の言葉が心にすんなりと入ってきた。一ノ瀬のおかげで決心がついた。


 いいんだね? 本当にいいんだね? 巻き込んでいいんだね? でも、気にするなっていうのは多分無理。気にすると思う。


 一ノ瀬、ありがと。


「三ヶ月、よろしく」


 私はできるだけ堂々とした声を出せるように頑張った。それが一ノ瀬にどういう風に聞こえたのかわからない。表情が全く読めないからしょうがない。


 私の返事を聞くと、一ノ瀬はきびすを返して私とは逆方向に去って行った。その背中が少し大きく見えたのは・・・・・・私の勘違いだと思う。


 角を折れて見えなくなるまで私は一ノ瀬の背中を見送った。鼓動が少し早い気がするのはさっきの緊張がまだ続いているからだ。顔が熱を帯びている気がするのはさっきの後遺症だ。

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