僕の心のスピード

こうえつ

第1話 クロとの出会い

「おかえりなさい」

 僕の「ただいまに」お母さんが答えた。

 僕の名前は裕太、十歳、小学校五年生。

 小学校から帰ってきた僕は、玄関で靴を脱いでいた。その時、奥の方からお父さんの声。


「裕太、靴を脱ぐ前に……車庫に行ってみろ」

「車庫? なにかあるの?」

 車を置くはずの車庫だけど、最近は物置に使われている。

「まあ、いいから。ただ、少し気をつけろよ」

「気をつける? 何に?」


 お父さんは、それ以上は何も言わず、ただニヤリと笑った。脱ぎかけた靴を、もう一度と履きなおし、僕は玄関の廊下にランドセルと帽子を置いて、車庫へと向かった。


 僕の家は小さな食堂をしていて、お父さんもお母さんもいつも忙しい。

 だから、僕はすぐに帰らず、学校で遊んで帰る事も多かった。今日も少し遅くなった。


 家の半分は、お店になっていて、その前は車が三台とめられる駐車場があり、そこを横切り歩いて行く。見えてきた錆びたシャッターが少し開いている車庫。これは三年前から閉まらない。夕日が落ちてきて、薄暗くなった。シャッターの奥は電気をつけないと真っ暗だ。


 シャッター隙間から、奥へと身体を屈めて入り込む。中はやっぱり暗くて、置いてある、店で使っていた倚子やテーブル、雑誌の束、それの、シルエットだけが分かる。

 電気をつけようと思ったが、何度も見ているので、どこに、何が置いてあるのかは分かっている。見回してみたが、変わった事はない。


「お父さんに騙されたかな……」

 お父さんは、たまに僕を騙して、喜んでいる事がある。

「……お腹も空いたし……戻ろう」

 その時、車庫の奥の方で、何かが動く。

 そして感じた、微かな臭い。


 ドキリとした僕は、それが見間違いではないかと、確認のため車庫の奥へと進む。

 それはいきなり、僕に飛びかかってきた。

 「うぁあああ」

 本当に驚いた僕は、大きな声を上げる。

 それは黒くて、大きかった。


 黒いそれに押されて、お尻をついた僕。

 焦って立ち上がろうとするけど、黒いものが僕を押していて、うまく立ち上がれない。


 さっき感じた臭い、それがハッキリと伝わる。

「これは獣の臭い……」


 パチ、車庫の電気がついた。


 僕の目がはっきりと、目の前のものを見た。

 目の前の黒いもの、それは大きな犬だった。


 その毛は全身が黒く、鼻のあたり、手足、尻尾のあたりが白い毛で覆われている。

「どうだ、びっくりしたか?」

 電気をつけたお父さんが、お尻を床についている僕を見て笑っていた。

「ハアハア」黒い犬は息を吐きながら、僕を見ている。犬はやはり大きく、僕を不安にさせた。少し怯えた僕を見た犬は、半歩下がり、僕が立ち上がりやすくしてくれた。


 それから、黒い大きな犬は、僕と同じ格好、お尻を床につけて座って、僕の方を見ている。


 どうやら、僕を襲う気は無さそうだ。


 立ち上がった僕は少し安心して、床に手をつきながら、ゆっくりと立ち上がった。

それから、お父さんに言った。


「驚くよ普通……どうしたのこの犬?」

「いつのまにか、住みついていた。今日の昼に食堂で使う調味料を取りに来たら、そいつがいた」


 その時、お父さんは、今の僕と同じ目にあったのだろう、それで僕も同じ目に合わされた。


「もう~お父さん、僕を巻き込まないでよ。さっき、教えてくれたらいいのに」

「今度から、そうする……くく」

 絶対、またするな……僕が思っていたときに、黒い犬は僕の手に鼻を近づけた。

「うぁあ!」

 ビックリした僕を見て、お父さんはまた嬉しそうに笑った。

「そいつ、おとなしいし、頭も良さそうだろう?だから、裕太を驚かそうと思ったんだよ」


 たしかに、僕の前に座っている大きな犬は、静かに僕たちを見ていて頭も良さそうだ。

「……大きい、犬だね」

 僕の言葉にお父さんはうなずいた。

「ああ、たぶん、猟犬じゃないのかな。ちゃんと訓練された犬のようだし」

「そう……あ!」

 安心した僕は、やっと気がつく、大きな黒い犬は、ケガをしていた。それも、いくつも……深い傷もある。


「お父さん、この犬、いっぱいケガしてる!」

「ああ、どうやら、車にひかれたらしい。少し後ろ足を引きずっているし」

 改めて僕は、大きな犬を見た。

 ケガもしているが、身体も痩せていて、しばらくご飯を食べていないように見えた。


「お父さん、この犬、どうするの?」

 僕がお父さんの方を振り返る。

「さあ……裕太はどうしたい?」

「こんなにケガしているし、ご飯も食べていないみたい……ケガが治るまで、うちに置いていい?」

「裕太がそう言うなら。ただし、お父さんとお母さんは忙しいから、おまえが面倒を見れると約束するならな」

 僕の家は食堂をやっていて、お客さんが嫌いな人もいるので、犬を飼う事は今まで無かった。


「うん、この犬が元気なるまで、僕が面倒見るよ。約束する」

「良かったなおまえ。しばらく、ここで暮らす事になったぞ。早く元気になれ」

お父さんが頭を撫でると、黒い犬は嬉しそうに尻尾を振った。

「よしよし、うれしいか……のらくろ」

「クロくろ?この犬の名前なの?」

僕が聞き返すと、お父さんは犬の頭を撫でながら答えた。

「ああ、お父さんが子供の頃見た、漫画に出てくる黒い犬、手足と鼻の部分が白かった。こいつも同じ模様だし」


 僕が初めて面倒をみる事になった犬は、ケガをした猟犬、名前は「のらくろ」……だった。

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