待ち侘びた再会

家に帰ってみると,すでに明かりがついていた。


そこで,志穂は、ふと思い出した。今日は、お父さんの帰りの早い日だった。


「しまった!どこに行っていたと言えばいいのだろう…。」

志穂は、少しパニックになった。


しかし,このまま朝まで,家の外でぐずぐずしているわけには行かない。入るしかない。志穂は、そう開き直り,玄関を開けた。


家の中へ入ってみると,案の定,志穂の父親は、心配していた。

「志穂!この時間まで,一体,どこに行っていたんだ!」


「ちょっとお出掛けをしていただけだよ。」

志穂は、ごまかそうとした。


「門限を午後6時って決めているだろう!もう8時過ぎているじゃない!何処に行っていた?怒らないから,教えて。」

父親は、ぷんぷん怒った表情で,問い詰めて来た。


「もうすでに怒っているし…もう子供じゃないんだから,休日にお出掛けぐらいしてもいいじゃん!」

志穂は、自分でも,びっくりするくらい,反抗心をむき出しにした口調で言ってしまった。


「その口の聞き方は何だ!親によくそんな…!」

父親の顔は真っ赤だった。


「本当は、親なんかじゃないでしょう!」

志穂がとうとう怒りが爆発し,叫んでしまった。


「…何で,そんなこと?」

父親の表情が怒りから驚きへ変わった。


「おばあちゃんから聞いた!本当は、私のお父さんじゃないでしょう!…もう嘘は、やめようよ!」

志穂がそう怒鳴るなり,父親の返事が聞きたくなくて,いたたまれない気持ちになり,また玄関を出て行った。


「志穂,待って!」

父親がそう叫ぶのは聞こえたが,もう戻るつもりはなかった。嘘の親と一緒に暮らすのは,もう懲り懲りだった。


「波の中へおいで。待っているよ。」

不思議な声が今も,志穂をしつこく招き続ける。


「もう,わかったよ!行くよ!」

志穂が言い捨てた。


自分が誰に呼ばれているのか突き止めるべく,志穂は、来た道を戻り,海岸へと向かった。しかし,海岸に来ても,真っ暗で,人の気配は、まるでなかった。聞こえるものは,波と風の音だけだった。不思議な声も、珍しく静かだった。


志穂は、とりあえず岩の上に座り,自分を落ち着かせようとした。黒い海の波がさざなみをたてながら,岸に打ち寄せるのを珍しそうに眺め,しばらく夢中になっていた。


ふと我に返ると,近くに人の気配がした。志穂は目を見張り,辺りを見回した。しかし,誰もいなかった。


志穂がホッとして,小さく溜息をつくや否や,また人の気配を感じた。


「誰かがいる…。」

志穂は、怖くなり,小さく身震いをした。


すると,海の中からひょっこりと何かが現れた。人間のような頭がどんどん近づいて来た。


志穂は、恐怖で,体が固まり、動けなくなった。


不思議な人間のような生き物が志穂のすぐ目の前までやって来て,無言で,何かを求めて,手を差し出して来た。


志穂は、何をしたら良いのかわからずに,しばらく動かなかった。しばらくしてから,ふと思いついて、鞄から宝石を出した。


「…これ…かな?」

志穂が不思議な生き物に宝石を見せて,尋ねた。


不思議な生き物は、頷いて,手を志穂のすぐ前まで差し伸ばして来た。


志穂は、不思議な生き物の手に触れないように気をつけながら,宝石を渡した。生き物の手は、人間の手とは,まるで違った。蛙の手のようだった。


不思議な生き物が宝石を受け取ると,何と,すかさず口に入れて,飲み込んだ。


志穂は、目を丸くして,生き物の様子を見張った。


生き物が宝石を飲み込み,喉の辺りが一瞬小さく光ったと思いきや,突然,志穂が貝殻を祖母からもらってから,ずっと頭の中で聞いて来た声で話し出した。


「私は,あなたの姉だ。」

生き物が志穂の様子を注意深く伺いながら,話した。


志穂は、キョトンとして,不思議な生き物を見つめ返した。


「私たちの親は,この近くで,事故に遭い,命を落とした。その時,まだ10歳にも満たない私は,あなたを一人で育てる自信がなくて,さっき返してもらった宝石珊瑚の中に,魔法で私の声を吸い込ませ,あなたが何処にいても,話ができるようにしておいた。いつか,戻って来てくれるように。あなたを浜辺に寝かせた日から今日まで,私は,ずっと一声も出さずに過ごして来た。

もっと早く再会できると期待していたが,どうやら,宝石を隠した貝殻が途中で,あなた以外の人の手に渡ったようで、長いことあなたの行方がわからず,連絡も取れず,眠れない夜を沢山過ごした。」


志穂の姉と名乗る不思議な生き物が話し終わっても,志穂は、どう反応すれば良いのか,途方に暮れた。目の前の生き物は、自分の姉だ。自分のために,10年以上声が出せずに,話すことを我慢して過ごしたのだ。自分のことを夜眠れなくなるくらい心配し,思って来た。


それなのに,志穂には,この生き物と一緒に過ごした記憶はおろか,家族に対して抱くような気持ちもない。自分のために色々犠牲にして来たことや,ずっと心配していたことを聞かされても,全く親近感が湧かない。申し訳ないが,生き物の長年の心労を労うような,それに応えるような気持ちは,自分には,全くない。感謝も,再会出来たという喜びも,何も感じない。不思議な生き物にしか思えない。


不思議な生き物は、志穂の内面を見透かしたようだった。


「私たちは、家族だよ。血は,繋がっているよ。」

不思議な生き物が志穂の手を突然握って来た。


志穂は、不思議な生き物に触られて,叫び声をあげたいくらい,怖くて,気持ち悪く感じた。志穂は、すぐに手を引っ込め,不思議な生き物が触れないところまで後退りした。


「どうして、そう嫌がる?家族だよ。わからないの?」

不思議な生き物は、志穂の反応を見て,混乱した。


「なら…何で,こんなに違う?」

志穂が不思議な生き物の手を指差して,尋ねた。


「あー,人間が拾ってくれるように,魔法を使って,あなたを人間にした。海水に触れるまで,解けない魔法だ。」

不思議な生き物が志穂の疑問に納得して,説明した。


「…あなたは…何?」

志穂が訊いた。


「人魚だよ?知らないの?」

人魚が驚きを隠さずに,言った。そして,志穂に見えるように,水に隠れていた体を引っ張り上げ,岩の上に登った。


志穂は、すぐに目を逸らした。


「…怖いの?」

人魚が心配そうに志穂を見た。


すると,志穂は、とうとう立ち上がり,砂浜の方へ戻ろうとした。


「逃げるなよ!」

人魚が叫んだ。


しかし,志穂は、すでに父親の待つ家に向かって,走り出していた。嘘の父親でも,自分を大事に育て,見守って来た。話をちゃんと聞こうと思った。海辺に住む貝殻好きなお爺さんが耳を澄ませるべきだと言った「心の声」というのは,これのことなのかもしれないと思った。家族は、血だけでは、決められないはずだと思った。

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