第49話 聖教国の怪物 ジーモン・ゲッフェルト
「ノバル伯爵まで領地を失ったのか……」
諸侯の顔には強い焦燥で溢れていた。
ノバル伯爵は、帝国通商連合会と盛んに取引している門閥貴族中では相当な力を有する貴族だった。それが実にあっさり失脚してしまう。その理由もコロリで領民を見捨てたという、通常ならば咎められるはずのない事実でだ。
特に最近は、血統貴族連盟の間でも到底あり得ぬ失脚劇が蔓延している。もはや現帝国政府が血統貴族連盟を潰そうとしていることは明白。それ故だろう。血統貴族連盟や帝国通商連合会から距離をとり、商業ギルドに寝返る貴族が続出している。現に今や参加貴族の数も半分ほどとなってしまった。
「この不愉快な流れは、全てはあの生意気な小僧から始まっている。諸侯はどうか? このまま指をくわえて、我らへの侵略行為をみているつもりか?」
右の拳をテーブルに叩きつけるとカップが床に落ちて粉々に砕ける。
「否、断じて否! あの生意気な小僧など今すぐ、天誅を加えるべきだ!」
「そうだ。我ら血統貴族連盟が力を合わせれば、奴らなど物の数ではないわっ!」
「あんな小僧など四肢を切断し、見世物小屋に売っぱらってやるっ!」
ゲッフェルト公爵家の現当主――ジーモン・ゲッフェルトの言葉に、まるで不安を吹き飛ばすかのように勇ましい声が至るところから上がる。
しかし――。
「貴公らは呑気じゃな」
僅かな嘲笑を含んだ言葉に、ジーモンは眉を顰める。
「ん? 翁、言いたいことがあるなら聞くぞ?」
「ならこの際だから言わせてもらおう。ゲッフェルト卿、
「こんなもの、奴を今の地位から引きずり降ろして奪えばよい。我らはずっとそうしてきた。違うか?」
「そうじゃな。我らにはそれをできる武力があった。今でも帝国の正規軍は儂らが握っておる。我らが帝国の最高戦力なのは間違いない。じゃが、今後はどうかな」
「翁よ! 貴公ほどの男が、小僧に怖気ずくのか!?」
信じられない。それが、今のジーモンの内心だ。
この翁は元、生粋の武人であり命おしさに逃げるような臆病者ではなかったはずなのだ。
「そうかもしれんな。きっと儂は恐ろしいんじゃ。あの破滅的な魔法を使うあの男がのぉ」
翁は席を立ちあがると一礼すると、
「我らが、ローゼン侯爵家は本日をもって血統貴族連盟を抜けさせていただく」
「なっ!? 正気か、貴公!?」
騒めく室内を尻目に翁に呼応するかのように立ち上がる数人の諸侯。
「我らもローゼン家と同じ。抜けさせていただこう!」
「貴様ら……裏切ったなぁ」
怨嗟の声を上げるジーモンに翁は肩を竦めると、
「貴公らがグレイ卿と和解したら、また手を取り合うこともあろう。では我らはこれで」
一礼すると出ていってしまうローゼン侯爵と数人の貴族たち。
「ゲッフェルト公……」
動揺はしていたが不安たっぷりな諸侯の声に、
「心配いらん! 我らに敗北はない! あの小僧を殺してラドルを再度手に入れ、我らの楽園楽土を創るのだっ!」
今まで幾度となく口した殺し文句を口にする。
「しかし、ローゼン卿の仰る通り、勇者もおらず、あの怪物に対抗するのは……」
そうだ。問題は単純。グレイという怪物に対抗するだけの武力がゲッフェルトたちにはない。それだけなのだ。
「だったら怪物を探せばいい。待遇を度外視すれば、我ら側につく強者もいるはずだ。ようは、探せばよいのだっ!! 違うか、諸侯よ!!?」
「そのとーーりです」
力強い陽気な声。その音源に首を向けると、白い帽子を被り、異国の服を着た男が視界に入る。その男の顔半分は長く伸びた灰色の前髪により隠されており、その容姿は判然としない。
「誰だ、貴様はっ!?」
「はーーい。ボクちゃんは、ソロモン、元エスターズ聖教国人でーーーす。ヨロ!」
灰色髪の男は右手を上げて、左手にもつ真っ白の杖を持ってクルクルと回りながら部屋に入ってくる。
「元聖教国人?」
「ソロモンって、あの怪物か?」
「聖教国の怪物……」
騒めく室内の中、ジーモンは高速で頭を回転していく。
聖教国の公爵の一人、ソロモン。たった一人で龍の里を壊滅させた怪物。別名、聖教国の怪物。ソロモンは、様々な系統の魔法を使いこなす希代の大魔導士という噂だ。
この者がこの場にいる理由。そして先ほどの会話の元聖教国人という言葉。
「ソロモン殿、そなた、この帝国に亡命したのか?」
「はいな。イスカ上皇陛下の思想にぼくちゃん、キュンキュンと言っちゃってさぁ。是非、君たちのお仲間に加えてちょ」
「失礼だが、聖教国を裏切った証拠は?」
流石にいくら追い込まれているからといって、敵国の最高戦力の一人を容易に信用するわけにもいかぬ。
「もちろん、持ってきてるよーーん」
ソロモンは円柱状の金属の箱を取り出し、箱を開ける。
「ひっ!?」
微かな悲鳴と息をのむ声。そこには、男の生首が入っていた。
「そ、それは?」
「聖教国教皇ちゃんの御首級。どう? 信じる気になった?」
聖教国教皇といえば、聖教国のトップ。
「か、確認させてもらってもいいだろうか?」
教皇には一度会っている。左頬に火傷の痕があるはず。
「うんうん、思う存分やってちょ」
生首に手を振れて、精査する。
「本物だ」
火傷の痕も容姿も過去にみた教皇と瓜二つ。これほど精巧に誤魔化せるはずがない。
チャンスだ。最近散々だったが、ようやく、ゲッフェルトにチャンスが巡ってきた。
「要望は?」
「そうだねぇ。帝国でのボクちゃんの地位の確保と自由かな。君らに用意できるぅ?」
「もちろんだとも。ようこそ、我が帝国へ。上皇陛下の剣たる我らが同志よ!」
ゲッフェルトは歓喜を必死で押し殺しながらも、喉の奥から叫んだのだった。
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