第4話 Sクラスの日常

 自然に皆の視線は、窓際の席で頬杖をつき外を眺める赤色の髪の少女に注がれている。

 いつもの何気ない教室の風景なのに、彼女が入るだけで、まるで英雄譚や御伽噺のワンシーンを切り取ったかのような錯覚に襲われる。


「サテラ、教えて欲しい箇所があるんだが?」


 頭を右手で掻きつつも、野性味溢れた燃えるような赤髪の少年――アラン・クリューガーが、サテラの前の席に座ると懇願の言葉を吐く。

 アランはプライドが高く、実際に文武ともに極めて高い水準にあった。だからこそ、その親友がこうも素直に、他者に教えを請う姿にロナルドは新鮮な驚きを覚えていたのだ。


「いいよ。どこ?」


 いつものそっけない態度でサテラは、教本に目を通すと、他の生徒達もワラワラと二人の傍に集まっていき、サテラの言葉に耳を傾ける。

 実のところ、昨日の『物理学』の授業の話は難解すぎてロナルドも一応の納得をするのに真夜中までかかってしまった。

 今まで帝国でも有数の学者たちから教授を受けていたのだ。この学院に入学するまでは、学問についてもある程度の自信はあった。その硝子のような自信は毎日のような非常識な授業により粉々に打ち砕かれる。

 このSクラスの授業はこのようにまったくの未知なものばかりだったのだ。

 魔法や武術はもちろん、化学、物理学、生物学、医学、農学、経済学、政治学、様々な分野につき、その道の専門家を呼び、授業を受けている。

 そして、どの教官もシラベ・イネス・ナヴァロの弟子たちで占められていた。

 物理の教官の一人――パーズから、師であるシラベ・イネス・ナヴァロについて聞いたことあった。

シラベ教授はあらゆる分野につきあまりに卓越しすぎているため、彼らが辛うじて修めることができた分野は一人一分野のみ。己の生涯の目的を遂げるために彼らは日々琢磨し、歩み続けている。


「君も大変だな」


 ぼんやりとサテラの様子を眺めている金髪の少女――アクア・ミラードに声をかける。

 あんな非常識な人間がかつては己の屋敷の使用人の少女だったというのだ。


「いえ、彼女の立場は何となくわかっています。むしろ……」


 アクアの言葉は、尻すぼみになって消えてしまう。

この奥歯に物が挟まったような物言い。前々から思っていたが、彼女、ロナルド達が知らぬことを明確にそして確定的なものとして予想しているのではなかろうか。


「ときに君は、卒業したらどうするつもりだい?」


 優秀な彼女なら、各分野につき引く手あまただろう。


「それは、卒業するときにでも決めようと思います。それまでには、この帝国も大分様変わりしていると思いますので」


 彼女のこの言葉は、現在の体制批難にとられかねない。ロナルドも、このクラスに入る前なら眉を顰めていたことだろう。

 だが、このクラスでの授業を受け、今まで当たり前に先進国だと思っていたこの帝国がいかに古く、未熟な国家かがわかってしまった。

 国家の心臓である経済は大きな戦略もなくただ年貢として麦やライ麦を収めさせているだけ。そこには将来の国家的繁栄という思考が欠けている。

 国家の骨格たる司法と行政は門閥貴族と癒着しており、もはや目も当てられぬ状況だ。

 そして、国家の血液たる国民全体を有効活用する人員登用や教育の制度が皆無。

 これでは、確かに衰退国家の烙印を押されても致し方ない。このまま無策で突き進めば、近い将来、他国に侵略され植民地となるのは目に見えている。

 

「それもそうだね。僕も同じだよ。でもね――」


 まだ将来のことは全く予想すらつかない。だが、一つだけわかることがある。それは、シラベ・イネス・ナヴァロという帝国歴史上最上の傑人が、ロナルドたちにこの帝国の未来を背負うことを期待していること。

 ――だからこそ。


「僕らは彼らに負けられないんだ。君も立場もあると思うけど、一切の情は不要だよ」


 当初は、シラベ教授の授業を受けたい一心だった。だが、それもこのクラスの意義を察知してから明確に変わる。

そうだ。次期に実施される試験は、シラベ・イネス・ナヴァロの後継者選定のためのもの。即ち、将来の帝国を背負う資格のあるものの選定試験というわけだ。

現に来月の試験の採点方法は学科が5割、実地が5割となっている。魔導騎士学院では、クラスごとに授業内容が異なることもあり、学科試験の内容も当然異なる。

学科試験の内容も異なる当然の帰結として、今までは実地の配点が高く、去年は学科2割、実地8割だったと聞く。

 それがこの度変更され、点数配分は五分五分となり、しかも、SクラスとGクラスのみ統一試験となった。

 これからも、後継者選定試験の意味合いはさらに強くなっている。

 

「ええ、わかってます。私にも絶対に負けられない理由がありますから。

でも、殿下こそ大丈夫なのですか?」


 おそらくミアのことだろう。アクアにはミアとロナルド達の事情を話したことがあったから。


「それこそ不要な危惧さ。いわばこれは帝国の未来を決める試験だ。個人の感情など挟む余地はない。それにね。既にミアは救われているんだ。だから、一切の配慮は不要だよ」


アランを経由し、ミアの母は病気から無事回復した上、今、夫であるフォール・キュロスと仲睦まじく共同生活しているとの報告を受けている。

そう。もうミアは自由なのだ。ならば、ミアにこれ以上配慮する必要はない。敵となった以上徹底的に叩きのめす。

それに、ミア達はあのシラベ教授の授業を直に受けているのだ。手加減できるような甘い相手では断じてない。


「はいはい、皆さん、授業を始めますよ。席についてください」


 教壇付近で気弱そうな青髪を七三分けにした青年が両手を叩いているのが視界に入る。

 トッシュ先生は政治学の教官だ。この授業は、今一番ロナルドが興味のある授業でもある。

 全員がサテラの席から自己の席へと戻り、トッシュ先生の言葉に真剣に耳を傾けた。


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