第45話 主の危機と救援の是非

 アクイドが建物内の住民の一斉転移を敢行した後、シルケの上空には異国の城のようなものが悠然ゆうぜん顕現けんげんしていた。

 ジュド達一部の大人の職員達や、テオを始めとするラドル軍の幹部達と連絡を取り、電光石火でシルケ内に存在する全兵士と捕虜の撤退てったいを敢行した。

 そして今、キャメロットの会議室に一同が会している。

 なお、今回の会議の出席者は、グレイが攫われたことを聞きつけたシルフィと、ジュドとアクイド、クラマ、ハッチ、カマー。ラドル軍はテオとカロジェロ、あとは事情に精通していそうな王国兵の捕虜の代表者達のみ。

 特に暴発しかねないサテラとカルラには、今回の件の対応が決定するまで伝えないこととされた。


「失態だな、アクイド」


 苛立いらだち気に足裏で床を叩きながらジュドは非難の言葉を吐き出す。


「ああ」


 アクイドは下唇を噛みしめ小さく頷く。


「ジュド殿、今アクイド殿を責めても意味はありますまい。ことは一刻を争います。これからのことを議論すべきでは?」


 クラマのとがめるような言葉に、ジュドは数回首を振っていたがいつもの冷静沈着な奴に回帰する。


「その通りだ。すまない。それでその城とやらは?」

「ええ、今もシルケ上空にそびえ立っているだけで、良くも悪くも動きは一切ありませんよ」

「シルケ在住の市民の保護は済んだのか?」

「つい先刻、捕虜を含めた全員のアークロイの砦への移動が完了したとの報告を受けています」

「ならば、今後の件について皆の意見を聞きたい」

「議論など無意味! 今すぐその城とやらに乗り込み、我があるじを救い出すのみ!」

 

 脇に置いた剣を手に取り、カマーが立ち上がると声高々こえたかだかに宣言する。


「そうよぉ、どこの誰だかしらないけど、あたしの主様あるじさまさらうなど身の程知らずもいい所だわん! ただでは置かないっ! ゆっくり、じっくりなぶり殺して――」


 ハッチも勢いよく立ち上がると、悪鬼の形相で怒りをぶちまけるが――。


 ミシリッ!


 シルフィが、石のテーブルに右拳を叩きつけていた。こぶし大に深く陥没かんぼつするテーブルに頬が痙攣けいれんするのを自覚する。


「あなた――」

「少し黙れ」


 瞳孔が縦に割れ深紅に染まったその眼光を向けられただけで、ハッチはまるで金縛りにあったようにその動きを止める。

 カマーも、軽い舌打ちをすると大人しく席に腰を下ろし、両腕を組む。


「そのリーマンとかいう人間が、我が主殿をその空に浮かぶ城に呑み込んだ元凶だと?」


 長い青色の髪を鬱陶うっとうしそうにき上げながらも、シルフィが虚空こくうを見つめながら、数人の王国兵に向けて尋ねる。今のシルフィからは、グレイと同席で見せるいつもの陽気さが明らかに欠落していた。


「あれは絶対リーマンじゃありません! 彼は――本来軍人には相応しくない心の優しい――」


 短い黒髪の王国兵――ニルスが立ち上がり異を唱えるが、


「お前の評価など聞いちゃいない。われは本当にその人間が主殿を閉じ込めるなどという大それたことを成したのかと尋ねているのだ」


 やはり、シルフィが一睨にらみで黙らせ、意見を出させる。


「それと関係があるかわかりませんが、先の戦争で一部の兵士からリーマン上級士官殿が大量の血を流して倒れているのを見たとの情報を得ています」


 カイの言が真実ならば、リーマンは撃たれて重傷を負っているということか? しかしそんな様子は微塵みじんも感じられなかったぞ。


「俺から話そう。多分、これが真実に一番近い」


 会議中一言も口を開かなかったテオが初めて口を開き、アークロイの出来事についての委細いさいを説明し始める。


 ……

 …………

 ………………


 テオの説明が終わるが、皆誰も口を開かない。むろん、話の内容があまりに突飛とっぴぎて、半信半疑だったからだ。

 テオ達が足を踏み入れると、屋敷は不思議な世界に代わり、外と一切の交通が遮断されてしまう。そこで、化け物と化したラドル人やブル将軍達に遭遇する。その哀れな化け物達を操っていたのは、自らを【青髭】と呼ぶ薄気味の悪い男。グレイは屋敷に展開されていた不思議な領域を魔法で吹き飛ばし、【青髭】に勝利する。そんな冗談としか思えない話。

テオの説明により、誰もが微妙な顔をする中、


「主殿、なぜこの我に黙っていた!」


 シルフィだけは、滝のような汗を流しながら奥歯を噛みしめていた。その瞳に色濃く浮かぶのは、先ほどとまた異なった感情。


「貴方はかの者達を知っておいでか?」

「まあな」

 

 シルフィは再び顔から一切の感情を消すと、不思議な形状の剣をつかみ、椅子から立ち上がる。


「どこに行くつもりですか?」

此度こたびの相手は格が違う。お前達では無理だ。この地で待つがよい」

「何を勝手な――」


 憤怒の形相で、席を立ちあがるハッチの口先に、シルフィの剣先が付きつけられていた。


(おいおい、いつ抜いたんだ?)


 アクイドにはシルフィがさやから剣を抜くという予備動作すらも認識できなかった。まさに気が付くとハッチの前に剣先があったのである。


「主殿を捕らえた奴は正真正銘しょうしんしょうめいのバケモノだ。こんなものにも反応もできねぇんじゃ、論外。戦力外もいいところなんだよ」


 シルフィはアクイド達に背を向けると、転移を発動する。


「それでも我らは行かねばならないのです!」


 立ち上がるテオに、シルフィは転移の発動を解くと、スーと目を細める。


「我は無理。そう言ったはずだぞ?」

「それでもです!」

「そうか」


 シルフィの姿が消える。刹那せつな、テオの身体がクの字に曲がり、壁に叩きつけられていた。


もろいお前が動けぬ程度の強さで殴った。そこで寝ていろ。直ぐに全てが終わる」


 再度、背を向けたシルフィに立ちふさがるハッチ、カマー、そしてクラマ。


「あー!? お前らまでどういうつもりだ!?」


 目じりを吊り上げシルフィが三人に激高する。


「我らはグレイ様と共に修羅の道を歩むと誓ったもの。ここで我が身可愛さに、尻尾をまいて逃げ出すわけにはいきませぬ」


 シルフィは、興味もなさそうにぐるりと眺め、


「お前達も……同じなようだな」


 大きくため息を吐く。

 当たり前だ。これは、あるじたるグレイの身の安全に関する事項。

 例え敵との間に圧倒的な差があろうとも、臆病風おくびょうかぜに吹かれて黙ってみているなどできようはずもない。


「はい。我らも連れて行っていただきたい」


 隣に立つジュドがそう進言する。

 あんな空中に浮かぶ城には、今のアクイドには侵入不可能だが、シルフィにはできる。でなければ、先ほどの発言はありえまい。

 シルフィは疲れたように首を左右に振ると、


「身の程知らず共め」


 その様相を一変させた。

 一瞬にして異界に変貌へんぼうした室内。何か巨大なものに後頭部を床に押さえつけられている。そんな独特な感覚。

 皆、両膝を付いて床に顔面を押し付けた状態で、身動き一つできなくなってしまう。


「悔しいか?」

 

 シルフィは温かみなど皆無の声色で尋ねてくる。

 

(くそがぁっ!!)


 悔しいさ! 涙がでるほど口惜くちおしい。今は主人たるグレイの危機。そして、その危機のレベルはあのキュロス公の場合とはけたが違う。今すぐけつけ力にならねばならないときなのに、この肉体は指先一本すら動かない。


「それはただの威圧。取るに足らない力だ。それでも、弱いお前達にとっては毒となる」


 弱い。その通りだ。認めるよ。アクイド達は弱い。毎回、毎回、グレイが手を下さねばならぬほど。

 グレイには、当初から奇妙なちぐはぐさを感じていた。それは、いわば子供という小さな器の中に、大人の精神が入っている。そんな到底あり得ぬ違和感。

 だから、ずっとアクイド達はグレイを完全無欠の至高のあるじとみなしていた。

 それはある意味正当だろう。何せ、グレイはこの帝国でも随一ずいいち智謀ちぼうもあるし、超高位の魔法も使える超人。その評価は、鉄板てっぱんであり、動かしがたい事実のはずだから。

 しかし、サテラから母親に抱きしめられ大泣きするグレイの様子を耳にし、グレイの持つもう一つの相反そうはんする側面についても気が付いてしまった。

 即ち、グレイは最近13歳になったばかりの子供だという事実。これは、ただ肉体が子供ということを意味しない。中身も母に甘えるべき幼い少年なのだ。子供は守護しなければならぬ。たとえ至高の主であっても変わらない。

 だから――。


「ぐぉっ!!」


 両腕に力を入れるだけで、全身の骨肉にバラバラになるかのごとき激痛が走る。何かに心臓を鷲掴わしづかみにされたかのような強烈な嫌悪感により、床にみっともなく吐瀉物としゃぶつをばらいていた。


「私の威圧はお前ら人間ごときに破れるほど甘くはないよ。あらがうな。さもないと心が死ぬぞ?」


 死? 馬鹿言うな! これはグレイの危機。ここで立ち上がらなければ、それこそ死体しにたいと同義だ。


「ぐごぉぉぉ!!」


 内臓がぐしゃぐしゃになるごとき形容しがたい不快感を全てわきに追いやり、自分の足に指示をおくる。

 普段は直ぐに従う両足はまるで鉛のように、アクイドの命を拒絶する。それでも、ただ一つを願いながらも、アクイド達はその使命を果たそうとした。

 そのとき――。

 

『称号――【人間道】の解放条件を満たしました。グレイ・イネス・ナヴァロの肉体と精神の再構築を開始いたします。

常時発型 パッシブ効果エフェクト【正覚者】の稼働を確認。グレイ・イネス・ナヴァロと魂で接続した者に【覚者】が受け渡されます。

 ――【人間道】の完全解放まで、残り84%』


 突然、頭の中に響く感情の起伏きふくのない女の声。

 同時に圧倒的ともいえる圧迫が一気に減弱する。シルフィが解いたのだろうか。


「何ぃ?」


 シルフィの驚愕の声。どうやら違うようだ。先ほどまで青白い顔で地べたを舐めていた全員もアクイド同様、立ち上がっていた。


「今の女の声……【人間道】の称号? まさかな……」


 シルフィは右の人差し指を空中で少しの間動かしていたが、口を押えて身体を小刻みに震わせる。


「シルフィ殿?」


 シルフィの奇行に、わずかにまゆしかめて尋ねるジュド。


「くくっ……くはははっ! 流石は我が主殿、こんな奥の手を残しておいでか!! まったくもって恐れ入る」


 天をあおぐと、シルフィは顔を恍惚こうこつに染めながらも噴飯ふんぱんする。

 先ほどまでの暴発しそうなピリピリとした感じから、いつもの陽気で奇抜な彼女に戻っていた。


「だとすると、これは主殿が配下の者達に課した試練の可能性があるな。我がしゃしゃり出るわけにはいくまいよ」


 シルフィは床に放り出され転がった椅子を立てると腰を置く。


「お前達の希望通り、今から10分後、あの城内へ送ってやる。速やかに十分な支度を整えるがよいぞ」

「私も連れて行ってくださいっ!!」


 ニルスがよろめき、テーブルにしがみ付きながらも、シルフィの前までくると深く頭を下げて、懇願こんがんの言葉を述べる。


「「ニルス!」」


 カイ達の殊更ことさら強い制止の声。その声を歯牙しがにもかけず、ニルスはシルフィをその黒色の瞳で射抜いていた。


「うむ。構わんぞ。我にもこの茶番の結末が見えた。それに、お前の存在は我らに利することになりそうだしな。

だが、きもにだけはめいじて置け。あの城にお前が足を踏み入れれば、どんな結末を迎えようとお前に決して癒えぬ傷を残す」

「癒えぬ……傷?」


 オウム返しに尋ねるニルスにシルフィは大きく頷く。


「ああ、きっとお前は選択を迫られる。お前の人生だ。好きに選べばいいさ」

「俺もいこう」「あたしもいくぜ」


 二人の王国兵の男女が進言してくる。


「お前達は仮にも我が主殿の敵だった者達。命の保障まではできねぇ。それでもかまわないか?」

「「……」」


無言で頷く二人に、


「では速やかに行動に移せ」


シルフィは再度、準備を促してくる。



 今、アクイド達はシルケの砦の城壁の上にいた。

 上空には巨大な城が今も荘厳そうごんにも浮遊している。

 

「どうだ? 今ならまだ間に合う。辞退したいものがいれば受け付けるが?」


 シルフィに誰も返答せず、ただ一同、あの空に聳え立つ城を凝視しているのみ。


「あの城の中は特別な空間となっている。一度踏み込めば、空間の構築者を滅ぼす等、空間そのものを動揺させるか、構築者自らが術を解くまでは基本脱出は不可能となる」

「要するに、構築者の撃破をすれば終わりってわけねぇ」

「手っ取り早いのはまさにそれだ。だが、タイムリミットがないわけではないぞ」

「大将の身の安全だな?」

「そうだ。我らが主殿の力を使用可能である以上、まだ無事なのは疑いない。しかし、仮に奴が主殿の存在の消滅に成功すれば、あの城は消え、奴はまんまと逃げ延びる」


 最後通告のつもりなのかもしれない。シルフィはアクイド達を見渡す。


「させるわけがないのでござるっ!!」


 カマーが吠え、


「もちろんよ! どこのどいつだか知らないけどねぇ。絶対に許さないわぁ。足の指先からゆっくりと溶かしてあげるっ!!」


 顔を憎悪に染め、城を睥睨へいげいするハッチ。


「そうですな。我らが偉大な主に対する不敬、ぞんぶんに味わわせてやりましょうぞ」


 とっくに限界だったのかもしれない。クラマの額には太い青筋が張り、ゴキリッと両手を鳴らした。


「領主殿は我らラドルの救世主メシア。こんなところで、あんな俗物に奪われるわけにはいかぬ。それに――」


 テオは一度言葉を切ると隣に視線を向けると、


「そうだ。俺達には同胞の解放という目的もある。やり遂げてみせるさ」


 カロジェロが大きく頷く。


「大将は俺達の大事な家族だ。絶対に取り戻す!!」


 ジュドが宣言するとアクイドに最後の言葉を求めてくる。

 そうだな。仮にもアクイドはグレイから直々にこの争いの収拾しゅうしゅうを任されたのだ。けじめはアクイドがつけるべきだ。


「気合を入れろ! 人をバケモノにするような外道に戸惑とまどいも躊躇ちゅうちょも、慈悲じひも必要ない。徹底的に蹂躙じゅうりんしてやれ!!」

「「「「「「おう!!!」」」」」」


 アクイドが剣を抜き天にかかげると、全員武器や拳を持ち空へ突きあげる。


「さっそくあの城内へ送るぞ。あの手の領域は、脱出は難しいが侵入は容易に作られている。あの城をこうして直視できていることからも、その傾向が強いのは間違いない。つまり――」


 シルフィの瞳が真っ赤に染まり、右手を掲げる。すると、複数のいくつもの魔法陣が浮かび上がり、アクイド達の周囲に展開される。


「その術は空間を切断する効果がある。だから、あそこまで飛んでいければお前達はあの中に入れる」


 青色の球状の被膜がアクイド達を包み込み、皆の身体を持ち上げてき、次第にその高度を上げていく。


「あーそうそう、少し手荒くなるから許せ」


 シルフィの弾むような言葉を最後に、その速度は加速度的に上昇していく。そして、アクイド達は見事に城へと衝突しょうとつしたのだった。

 

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