第52話 もう一つの戦い リアーゼ


 鬱陶うっとうしくも、あふれる汗をぬぐいながら、負傷者の青年の胸にてのひらを当てると、リアーゼは回復魔法を行使する。

 医療班は続々と運び込まれる兵士や傭兵達を、直ちに処置が必要な重傷者、比較的時間的余裕のある中程度の患者、自然治癒する軽症者に分け、各テントで治療にあたった。

 リアーゼと弟のロシュが従事したのは、中程度の患者と重症例の患者の中でも比較的緊急性が低い者。緊急性の高い重症患者には、サガミ商会医療班のベテランの大人達や、サテラちゃんや聖女――リリノア殿下が割り当てられていた。

 ロシュは一言も口を開かず、黙々と治療に従事している。その青白い顔からしてとっくの昔に限界だろうに、それでも手を止めないのは、あのグレイの言葉ゆえなのかもしれない。

 グレイの言うように、ゼムが、ロシュにたくして命を落としたのなら、残されたロシュやリアーゼにはその期待に応える義務がある。例えそれが、英雄への階段であり、到底登るにはけわしい道であったとしても。


「私達は貴族であり将だぞ!! そんな薄汚い一般兵より先に私達を治療せよ!!」


 顔だけ向けると、豪奢な甲冑かっちゅうまとった数人の貴族がみっともなくわめいているのが目に留まる。

 またか。これで何回目だろうか。同じ押し問答で、一々、治療がストップするのはどうにかしてもらいたいものだ。

 当初、丁寧な説得を試みていたサガミ商会の職員達も、今や不快そうに顔をしかめるだけで、全くそれには取り合おうとしない。当然だ。彼らはどうみても、治療するような傷を負っているようには見えないから。


「ノバル伯爵殿、そこの小僧はキュロス公爵閣下の御子息に手を挙げた不届き者ですぞっ!」


 背後から小太りの金色の髪をカール状にした貴族が姿を見せる。

ドルト・マゴッタ子爵。私達の赤鳳旅団せきほうりょだんに卑怯者の汚名を着せ、ゼムの死の引き金を引いた男だ。

 死ぬほど憎いはずなのに、ロシュは見ようともせず、重症の兵士に回復魔法を使い続ける。


「そうか、ならば捕えよ。今も奮迅ふんじんなされているキュロス公が凱旋がいせんなされた際の手土産てみやげとする」


 彼らは今がどういう状況かわかっているのだろうか。

 この診療所にかつぎ込まれた負傷者の数。そこには、息も絶え絶えのものも多い。リアーゼ達の魔力に限界がある以上、魔力はより適切に消費しなければならない。なにせ、その魔力の使い方一つで、人一人の命の存否が決するのだから。

 長身の貴族――ノバル伯爵が命じると、伯爵護衛付きの屈強な兵士がロシュを取り囲む。


「貴様らも、さっさとそこの薄汚い平民共を外に運び出せ。今より、ここを我らの療養所とするっ!」

 

 得意げに、そんな阿呆なことを言い出した。

 重傷者の付き添いの兵士や、手伝いを買って出た負傷した傭兵などから一斉に非難の視線が集中するも、まるで気付いてすらいない。


「いい加減にしていただけませんか! この光景を見て、貴族様の我儘わがままに付き合う余裕が我らにあるとお思いですか!?」


 カルラちゃんが呼び寄せたトート村からの臨時の助っ人、タナさんが、立ち上がり、激高する。

 両腕を組みつつも、足裏でリズムカルに床を叩く様子からも、かなりイラついているのがみてとられた。


「貴様、誰に口を開いているか、理解しているのか!?」

「ええ、その傷で戦場から逃げ帰ってきた臆病者の貴族様でしょ?」


 ノバル伯爵は、剣の柄を振り上げると、タナさんを横殴りにする。

 よろめくどころか微動びどうだにすらしないタナさん。ただ、その口からの僅かな出血が、殴られたことを如実にょじつに物語っていた。


「もういい。こやつらはキュロス公にかみついた野良犬。どうせ殺処分になることは決定済みだ。連れていけ!」


 一斉にさやから剣を抜くと御付きの兵士達は、リアーゼ達にその剣先を向けてくる。

普段なら、真っ先に過剰反応するはずのロシュはやはり、一瞥いちべつすらせずに、回復魔法をかけ続けていた。


「うーん、タナ、こやつら敵じゃな。なら、ってもよいな?」


 さっきまで部屋の隅で寝ていた黒髪の幼女――ドラちゃんが、ノソリと起き上がると、涎を拭いながらも、そんな質の悪い冗談を口にする。


「駄目よ。そんなゲテモノ食べると、お腹壊すわ。第一、きっと不味いわよ」


 タナさんはうんざり気味に、掌で顔をおおいながらも、そう口にする。


「ちぇー、わらわ、今朝から何も食べてなくてお腹がペコペコなのじゃ」


くうーとドラちゃんのお腹が可愛く鳴る。


「もう少しで、グレイ様が戻っていらっしゃる。今晩はご馳走よ。だからそれまでの辛抱。いい?」

「うん! 了解なのじゃ!」


『ご馳走ぅ~、ご馳走ぅ~、ご馳走なのじゃ♩』と変てこな音調で口遊みながら、くるくると嬉しそうに部屋中を回るドラちゃんに兵士達は眉を顰めて互いに顔を見合わせる。

 無理もない。この剣を突きつけられているという一触即発いっしょくそくはつの殺伐とした雰囲気の中でも、ドラちゃんには全くおびえという感情が読み取れなかったから。


愚弄ぐろうしおって! やれっ!」


 ヒステリックな声を上げるノバル伯爵と、目をスーと細めるタナさん。


「やれやれ、今更ながら、あいつの気持ちがわかったよ」


 重傷患者であった赤髪の女傭兵――フォックスが、よろめきながらも立ち上がるとそう吐き捨てた。彼女はリアーゼも知っている。あの事件以降、たもとを分かったアクイド団長のかつての傭兵仲間にして、元恋人。

 彼女は瀕死の重傷を負い、つい先刻、このテントに運び込まれてきたが、タナさんの魔法により、癒され現在はテント内の隅で休んでもらっている。


「無茶しないで。まだ立つのは無理よ」


 タナさんの言う通り、治療したといっても、仮にも瀕死の重傷だったのだ。全くの元通りというわけにはいかない。動けば傷くらい開く。なのに、この御仁はさっきから戦場へ向かうと聞かないのだ。


「お前達はどうする?」


 赤髪の女傭兵フォックスが叫ぶと、同じく運び込まれ来た傭兵達も一斉に立ち上がると剣をとり抜き放つ。


「フォ、フォックス団、正気か!? 貴様らは我ら正規軍が雇った傭兵。貴様らの行為は、我らへの明確な反逆行為! とても許されるものでは――」


 ドルト・マゴッタ子爵がみっともなく喚き声を挙げるが、


「うるせぇ! 何が反逆だっ! この戦場でオレ達は命を賭けた! 現在、同胞や部下達も大勢、傷つき、死んでいる。それほどの戦なんだ。それをあの地獄から早々に逃げ帰っておきながら、ここをお前らの療養所とする!? 馬鹿も休み休みいえ! 

ここでは、一般兵だろうが、傭兵だろうが、傷の重傷度に応じて、冷静に判断し、癒してくれる。ここは、オレ達、戦人いくさびとにとっての希望そのものだ。お前らこそ、これ以上、この戦争の足を引っ張んじゃねぇ!!」

「う、薄汚い傭兵ごときが、我らを愚弄するか!」


 真っ赤になって怒り狂うドルトやノバル伯爵達に、傭兵達はさげすんだ薄ら笑いを浮かべつつも、剣の柄の握りを変える。どうやら、本気でやり合う気らしい。


「おやめなさいっ!」


 制止せいしの声のするテントの入り口付近に視線を向けると、腰に両手を当ててたたずむ銀髪の少女が視界に入る。


「これは皇女殿下!」


 一斉に片膝をつくノバル伯爵を始めとする貴族達に、傭兵達。タナさんもそれに習うのでリアーゼもひざをつくと首をれる。

 殿下の背後にいるのは、殿下直属の護衛騎士であり、リアーゼ達の手伝いをしていてくれた人。おそらく、事態の収拾しゅうしゅうを皇女殿下に求めたのだろう。


「ノバル伯爵、貴方達は、この施設を接収せっしゅうしようとしていると聞きましたが、本当ですか?」


 リリノア殿下の声にいつもの余裕が抜け落ちている。相当怒っているのは、声色からも容易に想定できた。


「それはもう。彼らは誇りある帝国の臣民です。この施設はいと気高き上皇陛下から賜ったもの。我らの指揮のもと運営するのが最適かと愚考いたします」


 まさに愚考そのものの暴論に誰も言葉を発しない。無論、強烈な呆れからだ。この国では皇帝よりも上皇の方が、権威けんいは上。自分達の権威の源である上皇の名を出せば、全てが想い通りに運ぶ。そう理解しての発言なのだろう。しかし、それはあくまでも大人のまつりごとの話。


「この施設は、陛下の名で運営されているものです。なぜ、お爺様の話をなされるのかわたくしにはわかりません」


 リリノア殿下の声色がさらに一オクターブ下がっている。リリノア殿下は、ゼムの死の顛末てんまつとグレイへの街での噂を耳にしてから、機嫌がすこぶる悪かったのだ。

特にこの施設は、ゲオルグ陛下が直々にリリノア殿下に任せた直轄施設ちょっかつしせつ。それを接収する時点で、ゲオルグ陛下とリリノア殿下に喧嘩を売っているに等しいわけだし、怒るのも無理はないことなんだけど。現に殿下の御付きの騎士達は、皆、屈辱に顔を歪めている。


「皇女殿下、それは高度に政治的なお話故、どうか、ご察しくだされ」

「この施設の一切は陛下からこのわたくしが一任されております。貴方達に口を出される筋合すじあいはありませんわ!」

「殿下、上皇陛下がお悲しみになられますぞ!」

「だから、なぜ、お爺様のお話になるのですっ!」


 まったく、ついていけない。この国は、いつまでこんなくだらない茶番を続けるつもりなんだ。


うるさいなぁ、くっちゃべっている暇あるなら、早く癒しなよ。あんた達も怪我人なんだから寝ていろ。部外者は立ち入り禁止、とっとと出てけ」


 ロシュの不機嫌そうな声。背筋に冷たいツララを当てられたような寒気が走る。

 門閥貴族と皇女殿下に対する発言としては確実にアウトだろう。

 ノバル伯爵達は、ポカーンとした顔でロシュを見ていたが、直ぐに額に太い青筋を張らせる。


「薄汚い平民の餓鬼ごときが、聖魔法を使えるからといって聖人気取りかっ!」

「皇女殿下、この者はキュロス公子に暴行を働いた小僧。直ぐにでも捕縛すべきです!」


 馬鹿馬鹿しい。もし本当に捕縛が必要ならば、とうの昔にグレイ同様、ロシュも捕縛されている。何よりちまた蔓延まんえんしている噂でも、実際のキュロス公側の主張においても、キュロス公子に暴行を働いたのは、あくまでゼムであり、ロシュの罪など一言も出てはいない。それが、奴ら自身が声高々に叫んでいる事実だったはずだ。

もっとも、そんな幼児でもわかる常識が通用しないのが、この帝国なのだ。

 

「違う! その子はラドルの民を助けようとしただけです! 俺はあの時あの場所にいました。だから、間違いはありませんっ!!」


 負傷していた兵士の一人がふら付きながらも起き上がり、ひざまづくとそう声を張り上げる。


「殿下、恐れながら、私も証言いたします。そこの貴族様が、ラドルの民に暴行を働いている際に、キュロス公の御子息がラドルの民を殺し、奥方も殺そうとしたところを、その子供が助けようとした。これが真実です!」


 同調する負傷兵に、テント内はざわつき始める。


「んなっ!? き、貴様ら、そんな出鱈目でたらめ、口にすれば――」

「出鱈目なんかじゃないっ!!」


 ドルト・マゴッタが、血相を変えて反論を口にしようとするが、剣が地面に叩きつけられる。

 ドルトは、叩きつけた人物に視線を固定しながらも、口をパクパクさせていたが、


「貴様、何のつもりだ!?」


 直ぐに激高し、その意思を尋ねる。それもそうだろう。その人物は、貴族達の御付おつきの衛士であり、リアーゼ達に剣を向けていた一人でもあったのだから。


「もう沢山なんだよっ! 何が貴族だ! 何が上皇だよ! そんな言葉だけで、簡単に人が死んじまう。現に、ラドルの民もあの子の仲間も貴族や勇者のお遊びで殺されちまった。

なのに、なのにだ。俺達がこんな卑怯でくだらない話をしている間も、あの子はずっと休まず、癒し続けているんだ。もう、俺は心底情けない。いつからこの国の俺達大人はこんなに腐っちまったんだ!?」


 その兵士の言葉に、ある者は下唇を噛み締め、もうある者は、苦渋の表情で硬く握った拳を震わせる。


「……」


 そして、次々に剣を地面に放り投げると、全員、座り込んでしまう。


「貴様らこの私に逆らってただで済むと思っとるのか!」


ドルトが憎悪に満ち溢れた顔で、恫喝どうかつするも、誰も起き上がろうとしない。


「思っているよ」


 この混沌こんとんとした状況下で、二人の男性が、テントに入ってくるとそう言い放つ。

そのうち一人は、華美な衣服を着用した金色の長い髪を後ろで結んでいる目が線のように細い青年であり、もう一人は黒色の短髪で無精髭を生やした中年の男性だった。


「なんじゃ、貴様は!」


 ドルトが不機嫌そうに怒鳴り散らすも、ノバル伯爵により強く胸を殴打され、目を白黒させながらも、その顔色をうかがう。


「これは、ライナ侯爵閣下、ご無礼、どうかお許しを」


 ライナという名前を耳にした途端、ドルトの顔色から急速に血の気が引いていく。


「いいよぉ、僕の目的は既に達している。今回に限り、僕個人は直接動かない。でもさぁ、君らごとき小物こものに、散々引っ掻きまわされたわけだし、死刑宣告くらいはしておこうと思っているわけ。おわかり?」

「死刑宣告……でありますか?」


 恐る恐る尋ねるノバル伯爵に、金髪の青年――ライナの顔が凶悪に歪み、ドルトへ向き直る。


「我ら商業ギルドは、キュロス家とマゴッタ家に対するあらゆる取引を永久凍結することを先ほど正式に決定した。特にドルト君、君には多額の貸付がある。速やかな返却を求めるよ」

「ちょ、ちょっと待ってくだされ。そんな横暴おうぼうなっ!」

「横暴って言われてもねぇ。ギルド僕らに正面切って喧嘩を売ってきたのは君とキュロス公の方だろう?」

「わ、私はギルドに無礼など働いておりませぬ!」

「いやいや、君らのせいで、僕ら帝国出身のギルド会員はマジで大変だったんだよ。まさに一歩間違えば、祖国に破滅を宣告しなければならない可能性すらあった。この程度で済んだのはまさに奇跡さ。ホント、協力してくれた地方豪族達には感謝しきれないね」

「それでは私はこれで失礼いたします」


 明らかに雲行きが悪くなってきたのか、ノバル伯爵は一礼するとドルトを残し、逃げるように退出してしまう。

 リアーゼだって、商業ギルドの恐ろしさは伝え聞いている。それでも、皇女殿下にさえもひるまなかった貴族達がこうも無様ぶざま滑稽こっけい動揺どうようする様は、どうにも強烈な違和感がある。


「ああ、そうそう、今日僕はあくまで付き添いさ」


ライナさんの背後に無言で控えていた短髪の男性が、一歩前にでるとふところから羊皮紙を取り出すとそれをかざす。


「ドルト・マゴッタ子爵、貴殿にはラドルの民の殺害の共犯及び、商業ギルドに対する詐術の共犯の容疑がかかっている。これから、司法局まで出頭願いたい。もし抵抗するようなら実力でこれを排除することになる」


 短髪の男性がパチンと指を鳴らすと、ドルトはテントに武装した多数の衛兵により囲まれる。


「何の証拠があって、このような愚行を!?」

「証拠? それは裁判の際に司法官にでも説くがいい。私に貴殿の罪科に関し判断する権限などない」


 短髪の男性が顎で合図をすると、衛兵は縄でドルトの両手首を拘束する。


「待ってくだされ!」


 べそを掻きながらすがるドルトを引っ立てると、殿下とライナさんに一礼し、短髪の男性はテントをでていってしまった。


「ライナ叔父様、感謝しますわ」

「不要だよ。グレイ君は僕らギルドの至宝。こんな場所でつまずいてもらっては困るのさ」


 そのとき、外から聞こえる地鳴りのような大歓声が鼓膜を震わせる。


「ほーら、どうやら、外も一段落ついたらしい」


 皇女殿下は、胸に両手を当て、安堵あんどの表情で、まぶたを閉じていたが、


「さあ、皆様、もうひと踏ん張りですわ」


 殿下がそう促し、リアーゼ達も回復魔法の行使を再開する。

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