第42話 最悪の中でも最悪の状況 ゲオルグ

「あの大馬鹿共、地獄のかまふたを開きやがった!」


  アーカイブ帝国皇帝――ゲオルグ・ローズ・アーカイブが、凄まじい怒りをまゆの辺りにわせ、円卓に右拳を叩きつける。

 稲妻が直撃したような爆音。大理石でできた特製の黒色の円卓には大きなヒビが入っていた。


「陛下、落ち着きなされ。貴方が取り乱してどうなさいます!」

「そうですぞ。聞けばグレイ・ミラードが勇者ユキヒロを傷つけ、キュロス公の子息を殴ったのは事実らしいですし、此度(こたび)はキュロス陣営にも一定の正当性があるのでは?」


 若い青年の書記官の言葉に、ゲオルグは、きつねにつままれたような顔で、口をパクパクさせていたが、直ぐに顔を真っ赤にして憤然と立ち上がると、発言した書記官の胸倉を掴む。


「お前……何年私の書記官をやっている!? 正当性だと!? グレイの陣営からは、人一人死んでおるのだぞ! しかも、キュロスのボンクラ息子が、婦人を殺そうとしたのを助けようとしてだ」

「そうは仰いますが、それは全てジーク老が、ミラード陣営から聞いた話ではありませんか!」


 普段口答えすらしない書記官の青年の反論は、次々に同意者を生む。


「その通りです、陛下。目撃証言は、全て、ラドルの民に愚劣団が逆恨みをして、暴力を振るっているところを勇者殿に助けられた。そんなものばかりです」

「どれほど卓越した力を持とうとも、所詮は子供。愚劣団の言葉をおいそれと信じた彼が甘かった。そういうことでしょう」

「第一、あの勇者――ユキヒロがたった一つの魔法で為す術もないなど到底考えられぬこと。きっと卑怯な手で罠におとしいれたに違いない」


 もはや、反論することすらせず、椅子に座ると頭を抱えるゲオルグに、初老の宰相さいしょうが深い息を吐き出し、


「陛下、事態の切迫性せっぱくせいにお気づきですかな?」


 疑問を投げかける。


「ああ、十分すぎるほどな。それで状況は?」

「キュロス公の要求は次の二点。

 一つ、此度の事件において、グレイ・ミラードを商業ギルドの影響の少ない―サームクスで公正な裁判を受けさせること。

 二つ、此度のキュロス陣営にした違法行為につき、グレイ・ミラードの有する諸権利を損害賠償として請求する。

 以上です」

「あの無能な蛆虫うじむしめっ! 禁忌をいとも簡単にみ越えやがるっ!!」

「陛下」


 再度、火を吐くような怒りで、全身を震わせながら、立ち上がる皇帝に、冷静に自制を求める宰相。

 背後のメイドの持つ盆の上のコップをひったくると、皇帝は冷たい水を喉に通す。


「すまん。続けてくれ」

「当然のごとく、二つ目の権利の譲渡につき商業ギルドは猛反発。我が帝国のギルドの強制退会の緊急動議きんきゅうどうぎが複数の幹部から発議はつぎされています。キュロス公の二番目の要求が受け入れられた時点で、我が帝国の商業ギルドからの脱退は避けられないかと」


 宰相の言葉に、皆、困惑気味こんわくぎみに、顔を見合わせる。


「グレイ・ミラードの持つ権利の譲渡先が、キュロス公に代わるだけ。大した違いなどありますまい。なぜ、ギルドはそこまで目くじら立てるんです?」


 不思議そうに眉を顰める書記官の青年に、一瞬、ゲオルグ皇帝は眉間にしわを寄せるが、直ぐに能面のうめんのような無表情へと顔を戻す。


「宰相、このバカ共に、教えてやれ」

「大ありなのだよ。商業ギルドは、究極の実力絶対主義、利益追求主義を謳う組織。そして、彼らは自分たちのルールを資産と同等レベルにとうとんでいる。しかも此度の特許とっきょは、ギルドが主導でグレイ・ミラードと共に進めたもの。彼らにとって、この権利の譲渡の要求だけは、何よりも許しがたい大罪なのだ」

「他に理由もあるが、大まかには、宰相の言う通りだ。しかも、このタイミングでのグレイ・ミラードのサザーランドからの排除。鈍い、お前達にもどこの関与があるのかなど予想できるだろう?」


 急速に血の気が引いていく皇帝の側近達。ようやく、彼らも事の重大さを理解したらしい。


「アムルゼス王国、エスターズ聖教国のいずれかの国の関与があると、陛下は仰りたいのですか?」

「まだ確証まではない。だが、グレイの策により、我が帝国は未曾有みぞうの災害から救われる光明こうみょうが見えた。その策が実行されようとするときに、この度の事件だ。帝国が滅びて最も利益を受けるのが誰だかそれを鑑みればある意味明らかだろうさ」


 このゲオルグ皇帝の断言にも似た言葉で、はちの巣をつついたような騒めきが部屋中を支配する。


「騒ぐなら後にしろ! すまんが、今の余は、お前達の生産性のない会話に付き合うほど余裕がない」


 皇帝が、イライラと指でテーブルを叩きながら宣言すると、一同から会話が消えた。


「キュロスの要求は防げそうなのか?」

「キュロス公陣営が執拗に虚言をばらまいた結果、この部屋の文官達がそうであったように、サザーランドの帝国民のほとんどが、サームクスでの公正な裁判を求めています。グレイの護送は避けられないでしょうな。報告では、サザーランドの司法局は、明日の朝に護送するよう通達を発布しているようです」


 皇帝は額に右の掌を当て、天を仰ぎ唸っていたが、顎を引き、宰相に向き直る。


「ならば、権利の譲渡の方は?」

「帝国が商業ギルドの加盟国である以上、このサザーランド以外での権利関係の有無は帝国の司法局がその有無を裁定することになります。

 つまり……」


 言いよどむ宰相、乾いた笑いを上げる皇帝。


「帝国がギルドに脱退勧告だったいかんこくされぬためには、裁判でグレイが勝利するか、あの強欲野郎キュロス公が自発的にうったえを取り下げる他ないってわけか……」


 このサザーランドでは、商業ギルドの権利関係のイザコザが多いという性質上、商業ギルドが選定した司法官しほうかんが権利関係につき裁定し、帝国の司法局はあくまで事務的な役回りとなっている。

 商業ギルドの情報収集能力は半端ではない。このサザーランドで裁定する限り、真実は確実に白日のもとにさらされる。

 一方、サームクスはキュロス公の領地の一つ。審理も裁定もキュロス公の思うがままにされるに決まっている。もはや、裁判と言う建前を取っているだけの処刑場に過ぎない。


「グレイの件にはまだ僅かですが、時間があります。今は間近に迫ったアンデッド襲来について議論すべきです」

「ああ、そうだな。だが、仲間を殺され、グレイまでも捕縛されて、奴の部下は協力するだろうか?」

「ジークから、『サガミ商会は今回に限り協力する』との確約を得ることができたとの報告がありました。どうやら、グレイの祖父であるダイマー・マグワイアーが彼らを説得したようですな」

「流石はグレイの部下や祖父達だ。本当に、悔しいだろうに感謝する」


 皇帝は両手を組んで瞼を閉じていたが、立ち上がり、左手を掲げる。


「ならば、今は全力でアンデッドを迎え撃つ。此度の戦の勝利というサガミ商会の功績をもって余の名で、大々的にサザーランドの民に真実を訴えかけ、グレイをこの地に戻し、裁定を行う。それしかあるまい」


 祖国の滅亡の危機に光明が見えたと、皆、瞳に安堵の色を滲ませる中、宰相は苦渋の表情で首を左右に振る。


「正規軍からは此度のグレイ・ミラードの案を取り下げ、当初の策を取ることを強固に主張しています。今すぐ、穴を埋めよと」


 ゲオルグは、暫し、魂を奪われたようにぼんやりしていたが、ようやく話の内容を理解したのか、鼓膜が破れんばかりの怒号を上げる。


「帝国に寄生し、足を引っ張ることしか知らぬ蛆虫共めっ!! 滅びたいなら貴様らだけで勝手に駆虫されろ! 俺達人間様に迷惑かけんじゃねぇ!!」

「宰相閣下、まさか、ミラード家は穴を埋めたと?」


 躊躇ためらいがちに、書記官の青年が疑問を口にする。その顔は幽鬼のように血の気が引いていた。

 

「むろん、直ぐにでも着手する用意はあると、皮肉を言われたらしいですな」

「当たり前だ! むしろ、俺なら激怒して全員ぶち殺してるわっ!!」

「それで、どういたします?」

「くっく、どうする……だと? 決まっている。どの道、このままではこの帝国は俺の代で滅亡する。門閥貴族? キュロス家? 上等ではないかっ!!」


 その黄金の髪を掻きむしり、引きちぎり、皇帝は血走った眼で、ヒステリックに叫ぶ。


「へ、陛下、落ち着きを!」

「うっさいわっ! 今から言う言葉を一言一句諸侯に伝えよ!

 皇帝――ゲオルグ・ローズ・アーカイブは、グレイ・ミラードの策を採用する! もし反論するようなら、その者は国賊こくぞくであり、我が帝国の仇敵きゅうてきよ! アンデッド共との最前戦で死ぬまで酷使こくししてやるからそのつもりでいろ!!」

「陛下、流石にそれは……」

「いいから伝えよ!! 反論は認めぬ!! いいな!!?」

「はぁ……」


 板挟いたばさみの中間管理職の苦悩。まさに、今の彼らを表現するにつき、これほど適した言葉はあるまい。


「声が小さいっ!!」

「「「「はいっ!!」」」」


 返答し、泣きそうな顔で、部屋を出ていく。


「陛下、皆不安なのです。あまり、配下のものを酷使こくしなさいますな」

「ああ、わかってる。わかってるさ。全てが済んだら皆に謝る」


 先ほどの威勢とは一転、項垂うなだれてテーブルに突っ伏す皇帝に一礼すると、宰相も部屋を出ていく。

 歪ながらも、アンデッド殲滅作戦は、ここに佳境かきょういたる。

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