第七章 シニガミの祖

7-1

 薄い霧がかかっているかのようなぼんやりとした外界の明るさに嫌気が挿した。大気汚染が日に日に進行していて、それを食い止めようと努力している人間がいる一方で、汚染の原因を作った人間は我関せずというような態度を示している。中途半端で一進一退を繰り返すこの世界は現状変わらぬままであればこれを維持し、いつの日かどちらかの人間が消滅した時に再生、あるいは崩壊を迎える。私は前者であってほしい。そのためにこの身を犠牲に戦っているのだから。


 荒野を車で疾走している間、荷室ではヒューイがイーヴィルの義足を取り外して用意してきた新品の右脚を装着する作業が行われていた。揺れるたびにジェドの運転に文句を言いながらも作業を進め、ものの十分足らずでイーヴィルはみすぼらしかった義足に別れを告げた。正常に動くか確認して、イーヴィルは満足そうに何度も頷く。あとは自分の癖が染み込むまで実戦で慣らしていくしかない。


 私はその様子を眺めながらアラランタに残してきた家族のことを考えていた。母は元気に過ごしているだろうか、恋人のジルダは十年も会わない男のことなど忘れて別の男の元へ行ったのだろうか……嫌な想像しか浮かばない。さすがに十年も音信不通なら、そうしているかもしれないか。無事ならなんでもいい。いっそ、人間ではない私のことなど忘れていてほしい。こうして今でも彼女のことを想い続けている私が惨めに見えてしまう。


「お前が俯く時は必ず考え事をしている時だ」


 その言葉に顔を上げると、脚の調子を確かめたイーヴィルが私に顔を向けていた。


「自分の身体か? それとも家族か?」


「母とジルダのことだ」


「忘れろ」即答するイーヴィル。「シニガミになった瞬間から俺達の家族はチームの仲間達。今、俺達が敵にしているのは何だ?」


「アルバとアラランタの住民達」


「そう、その通り。俺達は以前の家族すらも敵にしている。いいか、守るものがある奴は弱い。自分を優先できないからだ。奴らに勝利するには全てを捨てる覚悟で挑まなければならない」


 反論ができなかった。確かにそうだった。幼い頃を思い返せば、私は母を守るために毎日喧嘩に身を投じ、そして負けていた。母が無事なら自分なんてどうでもいい。その考えが敗北へ導いていたことに当時は気付かなかったが、シニガミになってからはどうだろう? いや、結局は何かを守るために動いていた。アラランタを守るため、研究に貢献するため、色んな理由を背負って戦場に出ていた。だが、アルバを離脱した現在、私達は枷を外されて自由になった。悪魔とも言えるべき指導者による桎梏もなく、何もかも自分達の意思で事を進められる。守るものを失ったわけではないが、守ることもなくなった。つまり、孤独だ。


「そういえば、お前の家族の話を一度も聞いたことがない。どうなんだ?」


 私がそう問いかけた途端、軽快に動いていたイーヴィルの口が止まった。少しの間、沈黙した後に彼は喋り始める。


「自慢じゃないが、俺は裕福な家庭に生まれた。何不自由なかった。金にはな。俺が物事を理解できる年齢に達した頃、父は出張という名目で全く帰って来なくなった。最初は信じ込んでいたみたいだが、母の様子からしておかしいと疑ったそうだ。後の家政婦の話で判明したが、どうやら父は子供を望んでいなかったらしい。母は強く子を望んでいて、育児の全てを引き受ける代わりに子供を作った。そうして生まれたのが俺だ。父は養育費だけを払い、父親としての役目は一切果たさなかった。だが約束を守るべく母は家政婦にも頼らず一人で育児をこなしたらしい。最初のうちは努力していたようだが、俺が七歳になる頃、母は俺に対して興味を示さなくなっていた。父は家にいない、母も行き先も告げずどこかへ出かける毎日だ。俺は独りだった。人と関わりを持つことが苦手だった俺はいつも部屋に閉じこもって……そして真実を知った。それは一五の時だ。父は俺が産まれてから人が変わったようで、時たま帰宅した際に母と顔を合わせれば暴力を振るっていたらしく、母はその鬱憤を晴らすために俺に危害を加えていた。何故それを後から知ったかって? 俺には一五歳より以前の記憶がほとんどなかったからだ。母の罵声と暴力から自分を守るために記憶を遮断していたんだ。自己防衛のためにな。おおよそのことを母から打ち明けられて知った。父が他に愛人を何人も作っていること、母が深淵教という宗教にはまっていたこと、俺が産まれた瞬間から家庭というものは崩壊していたことも。母に絶縁を言い渡され、居場所を失った俺は金を持たされアルバが管理する傭兵学校に入学した。もうこの人生どうにでもなってしまえと投げやりで、とにかく優秀な成績を残すことだけに全力を注いだ。するとどうなったと思う?」


「……シニガミの実験体に選ばれた……?」


「そうだ。俺の他にエセルバート、ルシアン、ハンニバルも選出された。本当、笑えなかった。家族を捨てた次は自分の肉体を捨てなければならなくなった。俺に残されたものはこの意識だけだ。これも消えれば俺がこの世にいた証拠など何も残らないだろうな。写真も、俺の私物も、俺が家を出る際に母が眼前で処分してしまったから」


 絶句する私と、それを聞いていたヒューイとクライシス。運転していたジェドも完全に口を閉ざしていた。チームメイトになってから一度も自分の過去について触れなかったイーヴィルだったが、聞いたことすら後悔しそうになってしまう内容は予想外だった。クライシスはよく自分のことを話していて、孤児だったことや引き取られた家族に多額の金と交換でアルバに売られたことは知っていた(こちらも内容は強烈だった)が、それを更に上回っていると私は感じた。どうやらこの中でまともな人生を送っていたのは私だけのようだ。二人とも望んでシニガミになったわけではない。私は愚か者なのだろうか。自らこの身体を選ぶなんて。


「もう三○年近くも前の話だ、両親がどこで何をしているのかなんてさっぱりわからないし、わかりたくもない。死んでくれていると嬉しいんだがな」


「自分を捨てた家族の死を望むのはどんな気分だ?」


「あるのは憎しみだけだ」彼は淡々と続ける。「それ以外に何もない」


「……そうか。大変だったな」


 そう言葉をかけるしかなかった。私が愚か過ぎてどうしようもなかった。


 日が暮れ始めるまで車に揺られ、遠くにジンの姿を見ながら荒野を駆け抜けること六時間半。ヒューイが特定したというバベルストロームの地下実験施設に到着した。停車した車の目の前にはそびえたつ崖。下車したヒューイはその崖の地肌を何かを探すように手であちこち触り、しばらくそれを続けて崖を何度か押していたが、どうやらダメだったようで車に駆け足で戻って来た。


「施設の電源設備は死んでいるみたいだな。別の入り口を使うしかない。イーヴィル、一緒に来てくれ。中に入って電源を回復させるのを手伝ってほしい」


「ああ、わかった」


 イーヴィルが車から降りてヒューイの後をついて行く。姿が見えなくなり、いつジンが襲ってくるかと緊張しながら一時間が経過した時だ。崖だったはずのそれは地面を震わせながら両方に開いて内部が見えた。巨大な入り口で自慢げに立つヒューイとイーヴィル。ヒューイにかかれば電源を復活させるのはお手の物、というところか。ジェドはゆっくりアクセルを踏んで車は中へと進む。完全に入ったところで入り口は閉じ、私達は荷物を車の外へ運び出す。


 どうやらここは大きな格納庫のようだった。どこかで見たような気がするデザインのヘリコプターや戦闘機が分厚い埃をかぶって沈黙していて、全く荒らされた形跡はなかった。煌々と私達を照らす数個の電灯が眩しい。いつも目にする太陽よりも強い光に感じられる。


 イーヴィルによれば地下に管理室があるらしく、広々としたエレベーターに荷物を運んで、三回に分けて地下へ持って行くことになった。


 最初にイーヴィルが行き、次に私が乗った。大量の荷物が空間を圧迫する。これは……ああ、WMBの部品達だ。一から作り直すと言っていたが、恐らく足りない部品もあるはずだ。どうやって補う気なのか……と考えているうちに地下五階に到着。扉が途中で閉じないようボタンを押して、戻って来たイーヴィルの手伝いを受けながら大きな荷物を管理室に運搬した。


 施設内は本当に綺麗だった。まだ使用されているのではないかと思えるほどだったが、私達のセンサーは何も感知しない。完全なる無人だった。ただ一つだけ気になることがある。綺麗だが、あまりにも物が少ないような気がした。引っ越す前の空き家みたいに余計な物が一切置かれていない。実験施設として使用されていたはずなのに妙だった。


 全ての荷物を管理室に搬入し終えたが休む暇はない。すぐにヒューイは施設内の酸素濃度や有害物質の有無などについて残された機器を使い調べ始めた。機器は正常に機能していて問題はなかったが、施設に置かれたタンクの酸素残量はわずかだった。後ろで作業する三人をよそに私はモニターを覗き込む。


「厳しいな。外の空気を浄化する施設はあるようだが?」


「格納庫の汚染度から見て人間が防護服なしに生活はできなさそうだ。まあ、この区域の汚染度はないが、外から来た我々の荷物や身体に有害物質が付着しているから、むしろ我々がこの区域を汚染したと言っても過言ではない。まずは我々を除染してから設備の復旧を始めることにしよう」


「それがいい。おい、まだ荷物を開けるな。出した物は戻してくれ」


「なんだ?」


 イーヴィルが手を止める。


「荷物と私達の除染から始める。この部屋もだ」


 私がそう言い渡すと三人は作業を中断した。すぐにヒューイがエレベーターから出てすぐの機能していない除染室の修理に取りかかり、少しもすれば除染室が使用できるようになった。有害物質L-30を中和させるのはルジモンという自然界には存在しない人工物質である。除染室ではこの物質が大量にタンクの中で保管されていて、センサーが物体を感知すると霧状になって前後左右から対象に吹き付ける仕組みになっている。ルジモンにはアルコールが含有しているが、揮発性なので全くの無害である。


 管理室や私達が歩いた廊下など、この区域一帯を除染し、それを終えた後に全員で酸素供給システムの復旧に時間と労力を費やした。このシステムはアルバでも採用されているものだったので、比較的早く復旧へ持ち込めそうだった。外界から汚染されたそのままの空気を取り込み、ルジモンと何層にも渡るフィルターを使って空気を浄化して拠点内で循環させる。巡り巡って二酸化炭素など余計なものを含んだ空気は再び外界へと排出される。永遠にそれが繰り返されるのだが、ルジモンは永久資源ではないので無駄遣いは禁物だ。苦痛を感じない最低限の供給で済まさなければならない。


 必要最低限の修理が終了した。酸素供給も上手くいっているので、ヒューイとジェドはようやく防護服を脱ぎ去ることができた。汗で濡れた頭髪が防護服を纏う過酷さを示していた。


「ようやくだ」ジェドは身軽になった身体に嬉しそうな顔をする。「まずは使えそうな設備を見て回ることにしよう。クライシス、俺と来てくれ」


 頷いたクライシスは彼と共に管理室を出て行く。


 残された私達は改めて荷物の整理を始めた。数種類の工具箱、衣類などの生活用品、食料の缶詰と水、あとは細々とした部品ばかりだった。


「こんなに部品を持って来て何をするんだ?」


「WMBを作る」イーヴィルの問いにヒューイが返答した。「あんなデカブツを三機も持って来れんからな。重要な部品をかき集めてきたわけだ。これがなければジンと対等に渡り合えない」


「なるほど。ジンを殺して身体を持ち帰ることができれば手っ取り早いが、何もかもWMBを装備することが前提だ。それがなければ……俺達は本当に非力だな」


「悲観するな。WMBがないからと言って何もできないわけじゃない」


「そうだが……まあいい。二人が戻る前に早く片してしまおう」


 イーヴィルの言葉を最後に黙々と作業を続ける。冷たい静寂が心地悪い。物音だけが無機質な空間に短く響いては吸い込まれるように消えていく。ただ、この時だけは無心でいられて安心感がどこかにあった。何も考えたくなかった。何も考えなくてよかった。平穏だった。


《こちらクライシス。聞こえるか? 誰か応答してくれ》


 まさかここで通信が入るなど私もイーヴィルも予想していなかった。私が応答する。


「どうしたんだ? 問題でも?」


《とんでもないものを見つけたぞ。すぐに来てくれ。同じ階の第一実験室だ》


「わかった、今行く」


 通信が切れる。イーヴィルはわかっていたが、これが聞こえなかったヒューイは何事かというような顔をしていた。私は簡潔に説明する。


「二人が何かを見つけたようだ。行こう」

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