勇者X
弘中ひらた
プロローグ
緑色の体をした小鬼、ゴブリン。ワシの上半身と獅子の下半身を持つグリフィン。鱗を持ち武器を扱う人型の怪物、リザードマン。
俺はそんな空想上の怪物が描かれた本や図鑑を物心つく前から愛読していた。病めるときも健やかなるときも常に肌身離さずに持っていて、何回買い直したかわからない程だ。
なぜそれほどまでに怪物が好きなのか、その答えは俺にもわからない。ただ怪物が好きだった。現実逃避がしたいわけでもなく、人間に絶望もしていない。どうしても理由を付けるならば、怪物を愛する才能を持って生まれたからと表現するのがいいだろう。
そんな俺をここまで育ててくれた両親も俺の怪物に対する愛を止めることはできず、ただ俺が間違った方向に進まないように祈りつつこんな言葉を残してくれた。
父いわく、「動物園に連れて行った時のお前のテンションに正直引いた」
母いわく、「あんたが生まれて初めて喋った言葉はリヴァイアサン」
そして成人を迎えた記念すべき今日という日に俺は――
「おめでとうございます。あなたを勇者として異世界に招待いたします」
神様にスカウトされた。
太陽が昇り切った頃の明るく騒がしい住宅街での出来事だった。突然目の前に神と名乗る女性が現れた。
信じられないことにその直後から周囲の風は止み、窓から漏れていた人々の話声も今は全く聞こえない。塀から降りようとする猫が不自然に空中で止まっているのを見た時に、俺はようやく事態を察することが出来た。
俺と神様以外の時間が止まっているのだ。
「驚きましたか? ちょっとだけ時間を止めさせてもらっています」
神様は得意げな顔をして俺の反応を楽しんでいるようだった。
肩にかかる真っ白い髪に、整った西洋風の顔立ち。その顔にはうっすらと笑みが浮かんでいる。若い女性のような見た目だが、ダボっとしている薄茶色のローブがかろうじて神様感を醸し出している。
神様は軽く咳払いをして俺と目が合うのを待ってから言った。
「突然で申し訳ありません。あなたにはこれから異世界に行って、勇者として世界を救ってほしいのです」
「すいません質問いいですか?」
「そうですよね、質問の一つや二つありますよね。いいでしょう、なんですか?」
「その異世界ってドラゴンとエッチなことできるんですか?」
「はい?」
「いやドラゴンっていろんな種類がいるじゃないですか。友好関係を結ぶ以前に知能のかけらもないドラゴンしかいないんだったら嫌だなと思って」
「そういうことを聞いたんじゃありません。ていうかダメです。無理です。なに私の世界で異種姦しようとしてるんですか! 死んだ魚みたいな目が急に輝きだしたと思ったら何言い出すんですか……」
「神話じゃ異種姦なんてよくある話じゃないですか」
「微妙に反論しずらいこと言わないでください。そもそもドラゴンとなんて……。同族同士ならまだご勝手にどうぞと言えるんですけど」
「じゃあ俺の体をドラゴンに転生させれば大丈夫ですね」
「そんな鱗まみれの体になってどうやって勇者としてやっていくつもりなんですか……」
俺が五才のころから描いていた夢はあっけなく拒否されてしまった。しかし実際に生きている怪物のいる世界は非常に魅力的だ。
「まあ、本物の怪物を観察できるなら少しは我慢しますけど……」
「あなたが真性の変態で安心しました。異世界に行きたくないなんて言われたら困っちゃいますからね」
腕を組んで謎に感心している神様は「さて」と前置きして、本題について切り出す。
「ではこちらの事情について説明しますね」
神妙な顔つきになり、これから俺が行くことになる異世界について話し始める。
「私の世界にいる魔王は手ごわくてですね、どこにいるかもどんな人物なのかもわかっていません。城も持たず軍隊も持たず、巧妙に姿を隠し暗躍するタイプですね」
魔王といったらトゲトゲがいっぱい付いた城の玉座でふんぞり返り、部下に命令を下しているイメージだが、そんな魔王もいるらしい。
「その魔王を討伐するため異世界人を勇者として異世界転移させたんですが、魔王とは違って目立つんですよ、これが」
「多少はしょうがないんじゃないですか? 世界を救うわけだし」
「そうですね、もてはやされれば気が大きくなるのは仕方がない事です。最初の勇者は色々とやらかして超有名人になったんですが、同時に魔王に見つかってしまって……」
「それで、負けたと?」
神様はバツが悪そうに頷いた。
「そして私は思いつきました。木を隠すなら森の中、勇者を隠すなら勇者の中。というわけで、色々なタイプの勇者を一度にたくさん転移させることで討伐率を上げる作戦です!」
「それってただの物量作戦じゃ……?」
「そうとも言いますね。ちなみにあなたは二十六人の中の二十四番目の勇者、怪物マニア枠で採用です」
二十四番目。某RPGゲーム風に順番に勇者A、勇者B、勇者Cとつけていくなら俺は勇者Xというわけだ。というか怪物マニア枠ってどんな採用枠?
それにしても、この神様の説明ぶりと後先考えてなさそうな感じから察するに、拒否権など最初から存在していない気がする。現に神様は空中に作り出した光球の中から、布の服やブーツなどの初期装備と思われる物を取り出し始めている。
「この感じだと拒否権って無さそうですね」
「よくお分かりで。でも餞別はありますよ」
「おお! やっぱりチートスキル的な、凄い魔法とか使えるようにしてくれるんですか?」
「人間を大量に異世界転移させるのにパワーを使うので、チート的な凄い力を付与する力は残ってません!」
全知全能の代名詞である神様とは思えないほど素晴らしい作戦には涙を禁じ得ない。
俺の不安をよそに、神様は自信満々で布の小袋を見せつけた。
「餞別はこれです!」
手渡された袋を開けると、いくつかのガラス玉が見えた。ビー玉よりは少し大きい程度だが、特に何が凄いかはわからない。
「いきなりこんなに凄い物を餞別として無料で渡すなんて、私は太っ腹ですね。いいですか? それは異世界では貴重な物なんです。なので、私に投げつけようとするのはやめてもらえませんか?」
「そうなんですか。てっきり投げつけてストレス解消するための物かと思ったじゃないですか」
「それは魔道具という物です……」
聞けば異世界には魔法があり、その魔法を簡単に誰でも扱えるようにしたのが魔道具という物らしい。
「異世界ではあなたに対する脅威は十中八九魔法です。それは、そんな魔法を無力化するための魔道具なんです。簡単な魔法なら一個で百回は無力化できますよ」
「強力な魔法なら?」
「多分一個使い切りますね」
「それよりも強力な魔法は?」
「遺書を書く時間くらいなら稼げます」
そんな状態で誰がその遺書を受け取るんだ、というツッコミはこの神様にしても無意味だろう。
餞別の魔道具はありがたく受け取っておくとして、いざ転移する先の異世界について何も知らないのはさすがにまずい。というか、それを教えておくのが神様の役割じゃないだろうか。
「異世界について聞いてもいいですか? 魔法とか文明とか」
「結構普通のファンタジー世界だと思います。怪物がいて、魔法があって。文明レベルも魔法のおかげでそれなりに高いですよ」
「その魔法っていうのは俺も使えるようになるんですか?」
「魔法は体内に魔力が無いと使えませんね。習得にもそこそこ時間がかかるし才能も関係しています。アニメやゲームを嗜むあなたにもわかりやすく言えば、あなたのMPはゼロです」
「あれ? つまり俺は今のままの、特別な力の無い肉体のまま転移して、魔法も使えないということですか」
「そうですね」
「すぐ死ぬのでは?」
「そのための餞別です」
「…………この魔道具って弓矢とか剣とか防げるんですか?」
「日本人って真剣白刃取りで剣を止めたり、指で矢を止めたりできるんですよね?」
私なにかおかしい事言いました? と言わんばかりの顔が腹立たしい。
話題を変えたほうが良さそうだ。人これを現実逃避と言う。
「異世界の言語についてはどうでしょう?」
「これから習得してもらいます。安心してください、私こう見えて人に教えるのが上手だねって言われるんです。どんなバカでもすぐに異世界語を習得できますよ」
なんかもう何もかも世知辛い。
俺が無言になったところで、神様はもう質問が無くなったと思ったのか、切り替えるように手をパンと叩いた。
「さて、言うべきことは全て言いましたね」
とても短い時間だったが、神様との別れのようだ。俺はこれから異世界で怪物達と楽しく暮らす。そう考えると心が躍った。
「では早速――」
「異世界に行くんですね」
「何言ってるんですか、異世界の言語を覚えてもらうんです!」
俺の異世界行きは一体いつになるのやら。
――そして三か月の時が経った。
「そうです! もっと前歯の裏に舌先をつけて発音してください」
「あの、神様? もうそろそろ異世界に行きたいんですけど」
「ん~、まあいいでしょう。簡単な読み書きと日常会話も及第点ですし」
「ありがとうございます。神様の教え方が良かったからですよ」
「それほどでもありますね」
時間の止まった住宅街の一角で俺は異世界言語を習得した。時間が止まった世界というのは奇妙なもので、食事も睡眠もしばらくしていないが、体は何ともない。神様パワー万歳である。
「さて、ではお待ちかねの異世界転移を始めましょう!」
「おお! 随分プロローグも長くなってきましたからね。そろそろだと思ってました」
待ちに待ったとはこのことだ。異世界への期待と興奮を糧に異世界言語を習得した俺にとっては、何よりもうれしい瞬間だった。
神様が手をかざすと俺と神様の間の地面に、光の環が現れ空高くまで伸びていた。
「ここに乗れば異世界へ転移できます。くれぐれも目立たず騒がず行動してくださいね。場所もなるべく田舎のほうにしておきますから」
「絶対ですよ」と念を押されるとまるでそういうフリに思えてくる。
俺は目立つことがあまり好きじゃないのでたとえフリでもそんなことはしない。思えばずっと何もない人生だった。山あり谷ありの人生が嫌で、まるでPCの壁紙に最適な平原のようになだらかな人生を送ってきたのだ。
「最後ですが、このネックレスを持っていてください。無くしちゃだめですよ。これであなたの居場所がわかるので」
木を加工して作られた指輪のような物が紐に通っている何とも簡素なネックレスだった。もしも盗賊などに襲われてもこれを狙う者はいないだろう。
「では、行ってらっしゃい。二十四番目の勇者様!」
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