『僕は死ぬことにした』

θ(しーた)

1話

 僕は、死ぬことにした。

 きっかけはとても簡単なことだった。自分の中で何かが少し“ズレた”だけ。それだけなのに何かふと切れたような気がして、何もしたくなくなった。

今振り返ってみれば、僕は異常なまでに死を恐れていなかった。むしろ、死は僕の近くにずっといた。僕の右肩の方にスッと邪魔にならないよう居座っていた。

普通であれば、「死なないほうがいいよ」とか「生きていれば良いことがあるって」と言うだろう。生きてれば良いことがあるかもしれない。とびっきりの億万長者や、そうじゃ無くても人並みの幸せを得ることはできるかもしれない。でも、違う。未来に絶望しているんじゃない。そもそも未来が「無い」んだ。

 小さな頃、「将来の夢はなんですか?」と一度は聞かれたことだろう。「サッカー選手!」とか、「ケーキ屋さん!」「お花屋さん!」と夢見たいな仕事をしたいと本気思っていた。けれど、大人になっていくにつれて、社会っていうものを嫌でも感じ、親と喧嘩し、そしてそれなりに進んでいく。そんな未来は想像つく。死ぬよりかはよっぽど良い世界なのかもしれない。

そうやって考えた時、僕の未来は何もなかった。比喩じゃあない。本当に何もないんだ。空っぽ、空白、空虚。そこには何もなくて深くて暗い穴がぽっかりと空いている。つまり、僕は否が応でも死ぬんだ。肉体的に死ぬか、精神的に死ぬか。だから選択肢は二つしかない。人生を僕自らの手で終わらせるか、右肩の「ヤツ」に任せるか。

 死ぬってさ、本当は悪いことじゃあないんだと思う。立派な選択肢なんだと思う。むしろ、死を否定する奴らが偽善者で気持ち悪い仮面を被った人間なんだと思う。もっと、死を身近に感じ、肩に乗せ、慈しむように過ごさないといけない。死は僕らにとって悪いものじゃないんだ。それを履き違えている人が多すぎる。


 僕は死ぬことにした。

 きっかけは単純だ。でも、そのきっかけは本当に“きっかけ”にすぎない。そんなこと、「少し頑張れば」なんとかなるはずだと思う。でも、その「少し頑張れば」の意味が見出せないんだ。どうして頑張らないといけないんだ?どうして人の目を気にして生きなきゃいけないんだ?どうして、どうして、自分が悪いんだ?自分を責め続けなきゃいけないんだ?こんな悩みを抱いて、抱いて、抱き続けて、心の壺の水が溜まり続けて、ある時決壊する。表面張力が崩れて、水がどっと溢れ出す。溢れてしまった壺には何も残らない。空虚な穴だけ。僕の先にある穴は、こうして生まれた。

 将来が絶望的であるとは思わない。それなりの良い生活があるだろう。でも、その人生は仮初のものにすぎない。誰かの押し付けの幸せにすぎない。「一般的な」幸せにすぎない。だから、本当に僕の思う「未来」はとうの昔にないんだ。

 それに気づいた時、僕の右肩の死はさらに大きくなり、生き生きとしていた。いつでも準備はできていると言わんばかりの大きな態度だ。そうして、その右肩の死は僕に話しかけるようになってきた。僕はそいつに“mori”と名付けた。

「死ねよ」とmoriは言う。

「そうだね」

「じゃあ、早く台所から包丁を持ってきて自分の心臓に突き刺せよ。一発で終わるぞ?」

「でもさ、痛いのは嫌なんだよ。それに準備がいる」とmoriに言う。

 臆病は面倒な性格だ。怖いんだ。飛び込めないんだ。未知の世界である「死」の世界に飛び込めないんだ。ちゃんと計画を持って飛び込みたいから。

「痛いのなんて一瞬だ。心臓が止まり、脳に血がいかなくなり、意識が飛んじまえば勝ちだ。晴れて俺とお前は真の意味で一体になる」

「そうだけどさ、できれば痛いのは嫌だし、殺されたいね」

僕はそう言って、コーヒーを啜る。一人暮らしの部屋、誰もいない。僕は一人でコーヒーを飲みながらmoriと喋る。

「そんなのは大した夢だぜ?誰かに殺されたいなんて。そんな贅沢を言っちゃあいけねぇ。死ぬと決めたやつは最期まで自分一人なんだ。誰にも迷惑をかけない。誰かに殺してもらおうなんて都合のいいこと言っちゃあけねぇぜ」

「そうなのかなぁ」

僕は、ノートに「死ぬための方法」の計画を作る。moriはそれを見ながら、

「変なやつだな。死ぬのに計画なんて」

「それが僕の強みってやつさ」


 僕は死ぬことにした。moriは「いつもの口癖だ」と言う。でも、今回ばかりはちょっと違う。ちゃんと計画も立てて死ぬ。やると決めたらやり切る男。それが僕。僕が死ぬのは、ちょっと先のお話になる。

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