号泣と過去と猫

犬丸寛太

第1話号泣と過去と猫

   号泣と過去と猫

 好奇心は猫をも殺す

 元はイギリスの諺らしい。

 イギリスには他に猫に九生ありという諺もある。つまり、旺盛な好奇心は九つの命を持つ猫でも容易く殺してしまう。要するに何でもかんでも首を突っ込んでいたら命がいくつあっても足りないという事だ。

 しかし、歴史を鑑みて人間という生き物は命が一つしかないと分かっているのに好奇心を抑えられない。

 ある人は人間は考える葦だという。

 とどのつまり、人間は知り尽くさなければ死んでしまう生き物なのだ。矛盾しているようだが事実だ。

 好奇心に殺されるか、解明という欲求を満たせず死ぬか。世界は初めから殺すために人間を作ったのだと思う。そうでなければ生まれたその時にこの世の全ての知識を持って生まれてこなければ道理が合わない。

 などと思索に耽っている私だが、実は今まさに死を目前にしている。

 突然車から飛び出した猫を掬い上げるため走り出したまでは良かったが、私は運動音痴なのだ。車止めに足を引っかけすってんころりん。

 私の時間は目前に迫る大型トラックのクラクションと共にしばし静止した。

 自らの過去から現在が脳裏に浮かぶ。大した内容では無かったがこれが走馬灯と言うやつかと妙に感心した。残念ながら未来までは見えなかった。命を差し出したというのに世界はどうにもケチ臭い。

 あと、ひと呼吸か、それとも鼓動一回分か、やがて時間は動き出すだろう。

 死を前に、人間はかくも鋭敏な知覚を得る事ができるのか。息を吸い込み、心臓が収縮する。私の目には大型トラックとエリザベスカラーを首に巻き付けたキジ猫が路上のカマキリに向けて猫パンチを繰り出している。

 息を吐きだし、心臓が拡張する。

 私の耳には、鼓膜を引きちぎらんばかりのクラクションと少女の泣きわめく声が聞こえる。ボロボロと涙の流れる音まで聞こえそうなほどの号泣だ。

 そこから先は覚えていない。

 目を覚ますとやけに背中が痛い。まるでコンクリートに寝そべっているような感覚だ。

 視界には人影らしきものと、バカでかいメガホンが見える。

 人影がしきりに私の肩をたたき、巨大メガホンから伸びた何某かが私の顔面をべしべしと小突いてくる。

 さくっ

 鋭い痛みに私は我に返り、全てを思い出した。

 私の頬を暖かい液体が伝っていくのがわかる。そうか、少女よ、私の死に涙を流してくれるのか。ありがとう、私の生は無駄では無かった。

「コラッ!ミーちゃん!爪立てちゃダメ!」

 少女は巨大メガホン、もとい、無事去勢手術を終えたミーちゃんを抱き上げる。

 猫パンチってこんなに痛いのかよ。血出ちゃってんじゃん。

「大丈夫ですかっ!」

 寝転ぶ私の視界にもう一人が現れた。え、めっちゃ美人。

「千尋っ!ちゃんとミーちゃん抱っこしてないとだめでしょ!」

「だって、ミーちゃんいきなり飛び出しちゃったんだもん!」

「だってじゃない!」

「いきなりおねーちゃんが車のドア開けるからでしょ!」

 少女と美女が喧嘩を始めてしまった。ミーちゃんはふてぶてしい顔で私を見下ろしている。

「まぁまぁ、お二人とも、喧嘩はよしてください。私は何ともありませんから。」

 私はすっくと起き上がり両手を広げて見せる。

「いえ、病院に行きましょう!もしもの事があったらいけません!」

 美しい上に心優しいとは。

「いやいや、本当に大丈夫ですよ。それよりミーちゃんが無事でよかったです。」

 さりげない気づかいはモテる男の嗜み。

「でも・・・、あ、それじゃあもし何かあったら連絡してください。これ、私の名刺です。」

 千歳さんか。いい名前だ。ほうほう中学校の教師と。なるほどなるほど。

 私は頂いた名刺を丁寧に名刺入れにしまいその場を後にする。

「本当にご迷惑をおかけしました。ほら、千尋も。」

「おじさん!ミーちゃん助けてくれてありがとう!ほら、ミーちゃんもお礼して!」

 千尋ちゃん、私はまだ二十代だよ。振り返りながらさりげなく笑顔。ミーちゃんと目が合った。なんとふてぶてしい猫だろう。百個くらい命を持っていそうだ。

 千尋ちゃんがミーちゃんの左の前足を持って揺らしている。

 左手を上げる招き猫は人または恋愛を呼ぶと言われている。いいぞ、千尋ちゃん。いいぞ、ブーちゃん。

 私は再び前を向き、軽く手を挙げて立ち去る。決まった。と思ったらまた車止めに足を引っかけて派手に転んでしまった。

「あのやっぱり病院に!」

「いや、私元々運動音痴なんで大丈夫ですよ。」

 起き上がろうと手に力を込めたところで手首に激痛が走った。

「あの・・・病院、連れて行ってもらっていいですか・・・」



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