私と自転車
哲学徒
第1話
私は6歳の頃から自転車を乗っている。父親と車通りの少ないところで自転車に乗る練習をさせてもらい、こけて「もう二度と乗らない!」と泣いた次の日に乗れるようになった。それ以来、登下校時以外、外ではずっと自転車に乗っていた。友達の家に行くときは、前かごにゲームキューブを載せていったし、まったく自転車が入れない山に行くときも自転車だった。兄の友人に虐められて、靴を奪われたときも自転車で追いかけた。近くの畑を燃やしているので、煙を見に兄と自転車で出かけて煙の中を突っ切ったこともある。
中学に上がると、登下校時も自転車に乗れるようになった。ヘルメットも被るので、自分が強くなったような気がして危険運転をしまくった。おかげで5,6回死にかけた。2回ほどこけた後自転車の下敷きになって、3回ほど道路に投げ出された。それでも自転車に怖いだとかそういう感情は湧かなかった。
高校生になると、電車通学のために自転車に乗る回数は少なくなったかに思えた。だが、電車までの道を自転車に乗ったり、塾に通うために安物の自転車を買ったりと逆に乗る回数は多くなった。逆に、受験勉強でのストレスのため、長距離でのツーリングをするほどだった。あまりに腹が立った日は、10キロほど離れた高校まで自転車で走ったり、行き先を決めずにただ東へ東へ向かったこともある。雨の日はカッパを着こんで、長い坂を登って、そのころハマっていたアニメを真似て傘を構えながら叫んで坂を下った。随分ストレスが溜まっていたのだと思う。盗んだバイクでないだけマシなものだ。
大学でとりあえず都会に引っ越したのは「子どもじゃないのに自転車に乗り続ける異常者」という田舎の偏見から逃れるためだ。つまり、大学に行ったのは自転車のためである。私は移動手段としての自転車が好きなので、自転車部などには全く興味を示さなかったが。それでも一日2時間ほど走るととても気持ちがいい。最近は体力が落ちたのか、自転車に乗るのがおっくうになってきていたが、自転車の問題だった。自転車屋のオヤジが趣味で作った寄せ集めの安自転車に5年も乗っていたので、走るのが楽しくなくなっていた。2万円ぐらいのママチャリに買い替えると、原付と同じぐらいのスピードで走れるので笑ってしまった。
私の子供時代、青年時代は自転車とともにあった。病めるときも健やかなるときも、自転車はただ側にあった。駐輪所に停めていた自転車が、不良の手によってバラバラに分解され部品を持っていかれたとき。部活をサボってジャージを着て、サイフとケータイだけ持ってブックオフに走ったとき。友達とそれぞれ自転車に乗ってカラオケに行ったとき。私の人生は常に自転車と隣り合わせだった。私が自転車に乗るのを止めるときは、私が死ぬときだけであろう。たとえ車を買っても、自転車だけは手元に置いておこう。なぜなら、自転車だけは永遠の友達だからだ。
私と自転車 哲学徒 @tetsugakuto
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