第194話 一夜一夜に人見頃

 開かれた第一の門から、俺、バンジョーさん、そしてゼストルスが下っていく。オルさんとアンリさんはお留守番だ。ここから先は何が起こるか分からない。二人を連れては行けないだろう。


 第二の門も難なくクリアして、第三の門で止まる。


「どうしたんだよ?」


 高い場所が苦手で、下っている間ずっと目を瞑って俺に引っ張られていたバンジョーさんが、第三の門まで到着した事で目を開いて尋ねてきた。


「いえ、この門がルート2なのは分かっているんですけど……」


「だったらさっさとダイヤルを合わせれば良いだろう?」


「そうしたいのは山々なんですが、ルート2、俺十桁も知らないんです」


「はあ!? どうするんだよ!?」


 本当にどうしよう。1.41421356ひとよひとよにひとみごろまでは知っているが、これじゃあ九桁だ。


 ルート自体は中三で出てきたし高校の数学でも使うが、どうやって計算すればルート2になるのか、俺は知らない。


「これまでみたいに、111……とか、222……とかじゃ駄目なのか?」


「駄目です。絶対触らないでくださいよ、バンジョーさん」


 俺に言われたバンジョーさんが、ビクッとなって祭壇に伸ばしていた手を引っ込める。


「何が起こるか分からないんですから、下手な事はしないでください」


「そうは言ってもなあ」


 バンジョーさんの焦る気持ちは分かるが、ここで下手な事をされるのは本当に困る。第一の門とは訳が違う。


 恐らくこの門の暗号錠を設定した人物は、俺たちがルートを理解して下りてきたと判断しているはずだ。復号を間違えて入口まで転移させられるくらいならまだマシで、もしも門にロックが掛かって開かなくなりでもしたら、打つ手がなくなるのだ。だからここを一発で通過したい。でもルートの算出方法を俺は知らない。


 ここが地球なら、ネットに繋いでルート2と打ち込めばすぐに答えが得られるのだが、あいにくここは異世界だ。地球のネットとは繋がっていない。そう思いながら俺は『空間庫』からスマホを取り出す。スマホには標準で電卓アプリが付いているが、これって簡単な四則演算しか出来なかったはず。ルートはルートの計算が出来る電卓でないと計算出来ないんだよねえ。


 一縷の望みを賭けて電卓アプリを開いてみるが、そこにあるのは0から9の数字に、加減乗除の記号だけだった。はあ。思わず嘆息してしまう。


 なんかさあ、こうやって横にスワイプしたら、なんか出てきたり、


「したあっ!?」


「どうした!?」


 俺がいきなり大声を出したので、バンジョーさんが同じように声を張り上げてきたが、今はそれどころではない。出てきたのだ。ルートが。


 電卓アプリを横にスワイプしたら、ルートだけでなく、サイン、コサイン、タンジェントなどの三角関数なども出てきた。え? 初期設定の電卓アプリなのに、意外と使える? などと思いながら俺はルートの記号の後で2を打ち込む。ちゃんと十桁以上の数字が出てきた。


「ハルアキ?」


「うわっ!?」


 心配そうに顔を覗き込んできたバンジョーさんに驚く。


「大丈夫か?」


「え? ええ。もう大丈夫です。ここも、この後の門も、全て突破出来ますよ!」


 俺の言葉に、喜ぶバンジョーさんにゼストルス。とにかく、ルートが全部分かるならさっさと通り抜けてしまおう。と俺たちは第三の門を潜り抜け、どんどんとデレダ迷宮を下っていく。



「これが最後の門です」


 祭壇の前で振り返る俺に、バンジョーさんとゼストルスが首肯する。俺は祭壇の方へ目を戻すと、ダイヤルを一つ一つ合わせていく。まあ、ルート9だから簡単なんだけど、それでも緊張する。この先は戦場かも知れないし、バヨネッタさんとリットーさんが既に殺されているかも知れないからだ。


 最後のダイヤルの目盛りを合わせると、正方形に引かれた斜線が、ゆっくりと開いていく。最後の門が開くと、微かな血の匂いが立ち昇ってきた。その匂いに心臓の鼓動が早く強くなっていくのが分かる。門が開き切るや否や、ゼストルスがデレダ迷宮に飛び込んで行った。


 そして主の姿を求めるように、強く咆哮する。その声がデレダ迷宮にこだまするが、虚しく響き渡るのみで、主からの返答はなかった。


 下り階段はそれまでの螺旋階段と違って真っ直ぐ続いていた。それを、万が一を考えて、心臓の鼓動が更に煩く鳴り響く中、俺とバンジョーさんは辺りを警戒しながら下っていく。


 一番下まで下りると、前に大きな通路が口を開いて出迎えていた。迷宮内は不思議と明るく、通路の奥まで見通せる。だからすぐに、嫌でも目に入った。通路の少し先に死体が山となって積まれている事に。


 駆け寄ろうとするバンジョーさんの、腕を掴んで止める。俺を振り返ったバンジョーさんは泣きそうな顔をしていたが、それはきっと俺も同じだったのだろう。バンジョーさんの力みが抜けた。


 俺とバンジョーさんは注意深く辺りを警戒しながら、ゆっくりと死体の山へと近付いて行った。見ず知らずの人間の死体が無惨に八つ裂きにされ、山となっている。俺は無言でそれを一個一個『空間庫』に仕舞っていく。バヨネッタさんとリットーさんの姿がそこにない事を祈りながら。


 思えばいつの間にやら俺の『空間庫』も広くなったものだ。これも坩堝のフタが開いたからだろうか? そう考えるとバヨネッタさんの『宝物庫』も、単に坩堝のフタが開いて大きくなった家型の『空間庫』なのかも知れない。まあ、フタが一つ開いただけの俺と複数個開いているであろうバヨネッタさんとでは、容量にかなり差があるだろうけど。


 などと考えているうちに、全ての死体を回収したが、幸いにバヨネッタさんとリットーさんの姿は、欠片も見掛けなかった。


 俺たちはその事に安堵して、そして次に何をするべきか思案する。が、思考を巡らす時間は短かった。壁に真新しい弾痕を発見したからだ。よくよく見れば弾痕だけでなく、リットーさんの螺旋槍によるえぐれた痕跡も見受けられ、それが先の方まで続いていた。


「道を見失う事はなさそうですね」


 俺とバンジョーさんはゼストルスに跨がると、一秒でも早く二人の元へと駆け付ける為、迷宮の通路を飛んでいく。

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