第150話 交渉

 バヨネッタさんとオルさんは、予定を切り上げてサリューンからサリィに戻って来ていた。理由はバヨネッタさんが飽きたからだ。


 一方的で理不尽な理由だが、ゴルコス商会でのハイポーションの製造は、一定のレベルに達していたので、オルさんも帰ってくる事に問題はないだろう。との判断から帰ってきた訳なんだけど。


 ゴルコス商会で作られたハイポーションの数は、オルドランドから受注された量の三分の一程だった。それでも相当な数だが、足りていない。残り三分の二は出来次第海路でオルドランドに運ばれてくる手筈になるそうだ。だがマスタック侯爵は納得いかない。と言った顔を向けていた。


 場所はマスタック邸の俺に割り当てられた客室。何で毎度この部屋で色々な話し合いがなされるのか謎だが、今日も今日とてここで話し合いがなされている。片方にマスタック侯爵とその従者に使用人。もう片方にソファに座るバヨネッタさん、オルさん、そして知らない女性。その後ろに立つのがバンジョーさん、七町さん、俺だ。


「バヨネッタ、オル殿、これではあまりに量が足りていないのだが? どう言う事か説明して貰えるかな?」


 納品書に目を通したマスタック侯爵が、対面のバヨネッタさん、オルさんを冷徹な目で見据える。


「ひぃ」


 それに対して微かな悲鳴を上げたのは、バヨネッタさん、オルさんと同じく前列に座らされた女性であった。薄赤茶髪のカムシッタさんは、サリューンに行っていた二人が、こちらへ連れてきた女性である。


「だからこの子を連れてきたのよ」


「その女性をか?」


「ひぃ。ごめんなさい」


 バヨネッタさんに紹介され、マスタック侯爵に睨まれ、カムシッタさんは恐れおののき、何故か謝っていた。


「はあ。何者なんだ彼女は?」


 カムシッタさんの態度に嘆息しながら、マスタック侯爵が尋ねる。


「ゴルコス商会商品開発部の主任研究員ですよ。今回ハイポーションをゴルコス商会で製造するにあたり、開発部の陣頭指揮を執り、量産を成功させ、自らもハイポーションの製造が可能。彼女がいれば、サリィでもハイポーションが作れます」


 オルさんの説明に、やっと納得いったと言う顔をするマスタック侯爵。


「つまり彼女にはサリィのゴルコス商会支部に留まって貰い、残るハイポーション三分の二の製造はそこでさせる。と言う事で良いのかな?」


「いえ、残る三分の二の製造は、サリューンのゴルコス商会本部で行います。そのような契約ですから」


「うん? では何故彼女をサリィに呼んだのかね?」


 オルさんの言葉に首を傾げるマスタック侯爵。


「作っていて分かったのですが、やはり大量生産にはそれなりに時間が掛かるのですよ。オルドランドさんも、出来るなら、例え少量であっても、早くに都合がついた方が嬉しいかと思いまして」


「つまり。ここで新たに売買契約を交わしたいと言う訳か」


 マスタック侯爵の言葉にオルさんが頷く。


「ふむ。オル殿も中々の商売人のようだ。良いだろう」


 そう言ってマスタック侯爵が片手を上げると、後ろに控えていた使用人が、スッと用紙をテーブルに置いて、また控える。マスタック侯爵はその用紙にスラスラと契約内容を書いていくと、最後に自らのサインをして、オルさんに渡した。


「確かに。ではこの通りに」


 と契約書に目を通したオルさんも、契約書にサインをする。するとその契約書が二枚に増えた。契約書に使われた用紙自体が魔道具であるからだ。オルさんは一枚をカムシッタさんに渡すと、もう一枚をマスタック侯爵側に返していた。


「これで契約成立だな」


「そうですね」


 双方『空間庫』に契約書を仕舞ったところで契約は成され、マスタック侯爵が部屋から出ていこうとするのを、


「侯爵、少々よろしいでしょうか?」


 侯爵に対して無礼かな? と思いながら、俺は去ろうとするマスタック侯爵の後ろ姿に声を掛けた。


「何かな?」


 振り返った侯爵は、無感情な声と表情をしていた。


「マスタック侯爵に、折り入ってお耳に入れておきたい事がございまして」


「ふむ。それは君の国の事かな?」


 やはり情報を掴んでいたか。侮れないな。バヨネッタさんとオルさんがこの場にいてくれて助かった。いてくれるだけで心強い。


「そうですね。俺の国、と言うより、俺の世界の話でしょうか?」


「世界? まさか君は自分が神界から来たとでも言うつもりかね?」


「まさか。どちらかと言えば魔王のいた世界ですよ」


 俺の言葉に、怪訝な視線を俺に投げ付けるマスタック侯爵だったが、思考を巡らせているうちに、一つの可能性に突き当たったらしい。部屋を出ようとしていた足を反転させ、席に座り直してくれた。こちらも席順を交代する。カムシッタさんには後ろに行って貰って、俺が前面に出る。


「つまり君は、大昔より全世界で語り継がれてきている、魔王や勇者などがこの地に降り立つ前に暮らしていたと言う、英雄界の人間だと言いたいのかね?」


「英雄界、ですか」


 成程。考えようによっては、勇者や魔王、英雄などの驚異的なズルいチート能力を持つ人間たちが輩出された世界なんだ、こっちの世界からみたら、地球人全員英雄みたいなチート存在だと思われていても不思議はないか。


「英雄界。と呼ばれているのですね。でも、誰も彼も英雄な訳ではないのですよ」


 俺の言葉に対しても、マスタック侯爵の怪訝な視線は変わらない。


「本当ですよ。私だって普通の人間と変わらないでしょう?」


「どこがかね?」


 あれえ? おかしいなあ。


「後ろの七町さんなんて普通ですよ。レベルも1ですし」


「ふむ」とマスタック侯爵の視線が俺の後ろに控える七町さんに向けられる。背中越しでも七町さんがガタガタ震えているのが分かった。


「確かに文献などでも、英雄界の者も最初に降臨した時にはレベル1だと書かれていた気がするな」


 どうやら一応納得してくれたらしい。


「それで? 私が聞きかじった噂では、君らがオルドランドと国交を結びたいと思っているとの話だったが」


「ええ。その通りです。私と七町さんの暮らす国、日本が、オルドランドと国交を結びたいと考えており、その前段階交渉として、この話をマスタック侯爵に持ってきました」


 腕を組み、目を閉じて、思考を巡らすマスタック侯爵。長い沈黙の時間が流れた。


「何故我が国を選んだ?」


「たまたまです」


 俺が馬鹿正直に口にしたものだから、後ろの七町さんが狼狽えていた。


「そうか。たまたまか。なら、モーハルドでも良かったんじゃないか?」


 成程。モーハルドに桂木たちが来ている事も調査済みか。まあ、向こうは隠れずに動いているからな。


「確かにモーハルドに今来ている異世界人も、我々と同じ世界から来ている者たちだと推測されます。ですが、我が国としては、モーハルドではなく、オルドランドと国交を結ぶ事を今後の方針として定めたようです。それが我が国、そして双方にとって大きな利益になると思っています」


「ふむ。利益ねえ」


 マスタック侯爵のこちらを見る目は懐疑的だ。


「ええ。……実を言えば、我々の世界に魔法やスキル、ましてやレベルなんてシステムはありません」


「は? それは本当かね?」


 この事はこういったシステムが普遍的なこの世界の人間であるマスタック侯爵や、その後ろに控える従者や使用人たちからすると、かなりの衝撃であったらしく、目がカッと見開いて驚いていた。


「ええ。ですから、我々としては魔法やスキル、レベルアップシステムなどは、喉から手が出る程欲しい代物なのです」


「確かになければ生きるのも不便だろう」


「いえ、不便はさほどありません」


「不便がない? 魔法やスキルがないのにか?」


 マスタック侯爵の問いに、俺は首肯する。


「はい。我が国は技術立国として、その名が世界に広く知れ渡っております。その技術とは、魔法やスキルに依存しない純粋科学によるものです。この技術とオルドランドの魔法やスキルが合わされば、更なる両国の発展が待っている事でしょう」


「技術ねえ。それはどれ程のものなんだ?」


 マスタック侯爵的にはいまいちピンときていないようだ。そこに助け船を出してくれたのがオルさんだった。


「数度ハルアキくんの世界に行った事がありますが、それは凄いものでしたよ。街には自走車が溢れ返り、このサリィの建物より高い建物が建ち並んでいました。侯爵がカージッド子爵領とベフメ伯爵領の問題の時に見た、映像を記録するタブレットはハルアキくんの世界の技術の応用だし、ベフメ領で川の氾濫を防いだあの策は、ハルアキくんの国では既に実行されていたものだそうです」


 オルさんの説明に、またもマスタック侯爵は腕を組んで黙考に入る。そして流れる沈黙の時間。


「流石に、この問題は私一人で答えを出すには難し過ぎるな。私の派閥で情報共有させて貰う。陛下にも伝える。良いな?」


 これは首肯せざるを得ないだろう。


「良い返事を期待しています」


 こうして話し合いは終わり、マスタック侯爵は部屋を出ていった。

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