第126話 執務室にて

「ようこそお越しくださいました、陛下」


 整列する騎士や軍人たちを背に、一歩前に出て片膝を地面に付き、こちらにあいさつしてくれたのは、暗赤色の髪に口髭をした男であった。この人がここ、サリィ北東駐屯地のトップなのだろう。


「うむ。ジーグス将軍、出迎えご苦労」


 言葉を返したのはソダル翁である。ジョンポチ陛下は、手を後ろに組み、胸を反らせて自分を偉そうに見せていた。それに対して一歩引いて目を伏せるように立つディアンチュー嬢に侍女、そしてバンジョーさん。うん、バンジョーさん、まるで陛下の臣下のようだね。


「ソダル将軍もご壮健のようで」


 とジーグス将軍も言葉を返す。


「なに、今はしがないジジイじゃよ」


 と謙遜している事から、ソダル翁が元将軍であった事が窺えた。陛下の側に従っている人だ。元将軍くらいの地位があってもおかしくないか。


「して、そちらの少年が例の『神の子』ですか?」


 ジーグス将軍の鋭い視線がこちらへ飛んでくる。いや、将軍だけではない。後ろに控える騎士や軍人たちの視線もこちらへ向けられていた。超怖いんですけど。俺は首筋を冷や汗がダラダラ流れるのを感じていたが、この場で汗を拭って良いのかも分からず、そのまま放置せざるを得なかった。


「ふむ。既に情報を入手しているとは、流石にやるな」


「ありがとうございます。それでこの駐屯地にどのような御用があって来られたのでしょう? 陛下だけでなく神の子まで。ただの視察とは思えませんが?」


「それは茶でも飲みながら話そうかの」


 とのソダル翁の言葉で、この続きは将軍の執務室で行われる事となった。



 執務室の接客スペースにあるソファに、俺、ジョンポチ陛下、ディアンチュー嬢の順番で座り、その後ろに、バンジョーさん、ソダル翁、侍女さんが立っている。いや俺、場違いじゃね?


 目の前でにこにこしているジーグス将軍。夏だからだろうか、気を利かせて、俺たちの前には果汁百%であろうジュースが置かれていた。喉カラカラなのですぐにも飲みたいのだが、流石に陛下が口をつけていないのに、俺がジュースに手を伸ばす訳にはいかない。


 陛下もそれを知ってか知らずか、片手を軽く上に挙げた。どう言う事だろう? と思っていたら、ソダル翁の腕が後ろからにゅっと伸びてきて、陛下のジュースに口をつけた。何やってるの!? と思ったが、ソダル翁は当然のように口をつけた部分をハンカチで拭いてテーブルに戻す。そうしてやっと陛下がジュースに口をつけたのだ。


 意味分からん。と思っていたら、バンジョーさんが後ろから耳打ちしてくれた。


「あれは毒味だよ」


 おお。あれが毒味か。初めて見るな。そう思いながらディアンチュー嬢の方を見遣ると、侍女が同じようにしていた。大事にされているんだな、ディアンチュー嬢。マスタック侯爵邸でお菓子を食べたのは、自分たちで提供したものだったからなんだろうなあ。


「ボクも毒味しようか?」


 とバンジョーさんに耳打ちされたが、「いらない」と断っておいた。誰かが口をつけたものを飲むなんて、潔癖でなくても、現代日本人的にはちょっと嫌なシチュエーションだ。


 俺がそんな事を考えながらジュースを口にしている間に、話はどんどん進んでいっていた。


「ふむ。祈る事でスキルが獲得出来るのか実験してみて欲しいと?」


 研究者たちの長である女性研究者が、ジーグス将軍に説明している。


「それに協力して欲しいと言う事だね?」


「ええ」と首肯する女性研究者。


「その実験に協力する事は構わないが、どうにも疑わしいかなあ」


 とジーグス将軍は研究者たちの案に懐疑的だった。


「何故です? この事が証明されれば、軍の戦力は大幅にアップするでしょう?」


 女性研究者も他の研究者たちも納得いかない、と言った顔だ。同行しているオルさんはフラットな感じだが。


「何故なら、我々はいつも祈っているからだよ。戦場とはどれ程準備をして臨んだところで、いつも何かが足りないところでね、あれを持ってくれば良かった、これを用意すれば良かった、あの魔法を練習しておくんだった、あのスキルがあれば良かったのに。我々はいつも戦場で神に祈っているのだよ」


 ジーグス将軍の言葉に、研究者たちは黙ってしまった。


「まあ、ここで議論を交わしていても始まらないね。レベル三十以上の者だったね。今、隊の半分は出払っているので、あまりいないのだがね」


 とジーグス将軍は部下にレベル三十以上の者を呼びに行かせた。


「あれで、半分だったんだ……」


 俺は、出迎えてくれた駐屯地の騎士や軍人たちを思い返すが、あの壮観さでも常時の半分なのかと驚いていると、


「今、北に行っているんだよ」


 と耳聡くジーグス将軍が答えてくれた。


「すみません、北の話は耳にしていますけど、何がどうなっているのかまでは知らないので……」


 部下さんが呼びに行っている間、暇を持て余すのもなんなので、ジーグス将軍に尋ねてみた。


「今、このオルドランド帝国は、大陸の北東を治める遊牧民族であるジャガラガと緊張状態にあってね。今は小競り合い程度なのだが、今後それが大きく発展しないとも限らないので、今の内から首都軍を派遣して圧力を掛けているのだよ」


 へえ。北東はジャガラガと言う遊牧民族が治めているのか。


「小競り合いに発展した理由って何なんですか?」


 俺が尋ねると、言葉を濁すジーグス将軍。まあ、戦争の火種なんて話したくないかな。と思って、あまり突っ込まないようにしていたが、ジーグス将軍は隠す事なく教えてくれた。


「駆け落ちだよ」


「駆け落ち、ですか?」


 どう言う事?


「北のホップ山脈を越えた辺りは、レーン辺境伯の治める領地なのだが、レーン辺境伯の息子であるザクトハが、ジャガラガの有力氏族であるトム氏族の氏族長の娘、ティカと駆け落ちしてどこかへ雲隠れしてしまったのだ」


 なんか、下らない理由だなあ。そりゃあジーグス将軍も言葉を濁すよねえ。


「更に厄介だったのは、ティカはジャガラガの君主、オームロウの婚約者だった事だ」


 うわあ、それはジャガラガも怒るわ。君主の婚約者が、他国の貴族の息子と駆け落ちしたら、国の面子丸潰れだもんなあ。何としても落とし前つけさせようとするよ。それで国と国との戦争になりかけているなんて、とんでもない話である。


「なんか、馬鹿な質問してすみませんでした」


「いや、こちらこそ国の恥部を曝す真似はあまりしたくないのだが、皆知っている事だ。気にしないでくれ」


 ああ、知れ渡っちゃってるんだ。辺境伯さんとかいたたまれないだろうなあ。


 そうやって会話を繋いでいるうちに、十人のレベル三十以上の騎士や軍人さんが執務室に集められた。

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