第102話 頼られるのは気分が良い

 憂鬱な六月が過ぎ、七月となってもまだ、日本の梅雨もオルドランドの雨季も続いていた。


「前田をぶっ倒す!」


「おお!!」


 と、何故かタカシを倒す事が我がクラスの男子たちのスローガンとなっていた。


「工藤、本当だろうな?」


「ああ。この期末テストで男子の平均点が10点以上上がったなら、中間テストの時と同じく、タカシをモテなくさせる魔法のアイテムをお前らに渡そう」


 俺から言質を取った男子たちは、各々悪い笑みを浮かべて期末テストに向かうのだった。


「ちょっと工藤くん。分かってるんでしょうね?」


 と今度は女子たちが詰め寄ってくる。


「分かっているよ。女子の平均点が10点以上上がったなら、男子に魔法のアイテムを渡すな、ってやつだろ?」


 頷く女子たちが席に着く。その顔には鬼気迫るものがあった。


 何とも馬鹿げた話だ。魔法のアイテムなんて言う怪しげな物に振り回されて、うちのクラスは良く分からない方向へ舵を切り、突き進もうとしていた。が、期末テストに関しては、それは良い方向に進んだ。と述べるに留めておこう。男子たちは残念だった。



 期末テストも終わり、もうすぐ夏休みとなる。そんな日曜日。ベフメルは珍しく雨が降らずにいた。降らずにいるだけで、空は曇天に覆われているのだが。


 そんな曇天の空の下、俺は朝早くからアニンの翼でベフメル上空を飛んでいた。目的地は吸血神殿だ。


「おお……。凄い」


 上空から吸血神殿、堤防、そして両者を繋ぐ水路を眺めると、感嘆の声が漏れる。堤防に開いた穴から、水路を通って濁った川の水が吸血神殿に吸い込まれていくのだ。


 その勢いが凄まじく、まるで大滝を覗いているかのようなド迫力と、ドドドドドド……と言う音が上空の俺の元にまで届いてきた。これは確かにどうにかする必要があった水量で、もし水路が完成していなければ、堤防の上から川の水が決壊していたのが、俺でも分かるものだった。


(水路大丈夫だろうか?)


 バヨネッタさんを疑う訳ではないが、この水路は急造だ。水圧に負けて壊れたっておかしくない。それくらい水の勢いが凄いのだが、人と言うものは危険なものを覗き見たい欲求でもあるのかも知れない。吸血神殿の周りには、野次馬で人だかりが出来ていた。


 ワイワイと吸血神殿へと流れ込む川の水を見物する人々と、危険だから近付かないように、と彼らを押し留める兵士たち。こう言うのって、どの世界、どの国、どの地域でも、一定数あるんだろうな。と思わせてくれる風景だった。



「おっ? 何だ? ハルアキは帰ってきたのか?」


 俺がベフメ家に戻ってきたら、リットーさんに意外な顔をされてしまった。


「どう言う意味ですか?」


 俺としては真面目に訓練を受けようと戻ってきたのに、ちょっと心外だ。


「いや、今日は珍しく雨が止んでいるだろう? ジェイリスは勇んで街の外まで魔物退治に出掛けたぞ?」


 しまった! その手があったか! と一瞬俺も街の外に出向こうかと思ったが、考え直した。


「俺は止めときます」


「そうなのか?」


「だって今日一日魔物を狩っても、レベルが上がるとは思えませんし」


 どのRPGでもそうだが、基本的にレベルが高くなればなる程、必要な経験値は多くなり、レベルは上がりにくくなる。吸血神殿内ならともかく、ベフメル周辺で魔物を狩っても、今日一日でレベルが上がるかは微妙である。ならばぬかるんだ足元の中、泥だらけになって魔物狩りをするのは一利一害で、ともすれば頑張ったのにレベルが上がらず、なんか損した気分になりそうだ。


「ふふっ! ならば今日は私が徹底的に鍛えてやろう!」


 と両手を腰に当てて胸を張るリットーさん。


「今、急激に魔物狩りに行きたい気分になってきました」


「どう言う事かな?」


 顔を近付けて迫らないで! 圧が、圧が凄いから!


「まあまあ、リットー様。戦士にも休息は必要ですわ」


 と間を取り持ってくれたのはベフメ伯爵だった。


「ましてや学生さんは学業が本分であり、騎士であるジェイリスとは立場が違いますから」


「ふむ。確かに! あまりイジメ過ぎて、訓練をやらなくなられるのが一番困るしな!」


 ああ、俺、イジメられてたんだ。イジメの経験初めてだったから分からなかったや。まあ、言葉のあやなんだろうけど、リットーさんはもう少し言葉をオブラートに包む事を覚えた方が良いと思う。


「どうですか、学生さん。私の部屋でお茶でもいかがですか?」


 ワオ。人生で初めて、女の子にお茶に誘われてしまったよ。



 と、やって来ました執務室。そうだよね。私室に招き入れるはずがないよね。勘違い? 全然してないよ。心の涙は少し流したが。


 ソファに座り、ドイさんに出して貰ったお茶を飲むと、凄え渋い。が、渋く淹れるのがベフメ領の流儀だ。この渋いお茶を飲んだ後に、ほぼ砂糖で出来ているんじゃないか? と言う程甘いクッキーを口にする。するとお茶の渋さとクッキーの甘さが口の中でマリアージュを起こして、脳内の幸福物質がドバドバ出るのだ。この組み合わせ、癖になる。


「ふふっ」


 余程俺は相好を崩していたのだろう。対面に座るベフメ伯爵に笑われてしまった。恥ずかしい。


「それで、お話ってなんですか?」


 恥ずかしさを紛らわせる為に、俺がそう切り出すと驚かれた。どうやら向こうから切り出すつもりだったようだが、執務室に連れて来られた段階で、何か話があるのはバレバレだ。


 ふう。とベフメ伯爵は一息入れてからこちらと目を合わせて話し始めた。


「学生さんは学生さんであるのと同時に、商人でもあるのよねえ?」


「はあ。まあ、商人ギルドに所属しているので、商人と言われれば商人ですね。バヨネッタさんとオルさんにおんぶに抱っこなところがあるので、商人らしい活動はしていませんが」


「あら、そうなの?」


 俺の返しは意外だったのか、ベフメ伯爵は何やら考え込んでしまった。


「何かご入用だったんですか?」


「ええ、まあ。ガラスをね、欲しいと思っていたの」


「ガラス?」


 ベフメ家は金持ちだから、ガラスは結構持っていたはずだ。確かガラスの温室で砂糖瓜の栽培も行っていたはず。


「リットー様が、学生さんの扱うガラスはとても透明度が高いとおっしゃっていたのよ」


 ああ、ハイポーション作りでガラスの保存ビンを大量に用立てたからな。その話を聞きつけたのか。


「あまり大きい物でなければ、透明なガラス、ご用意出来ますけど?」


「まあ! 本当に?」


 嬉しそうである。どうやって用立てるのかは聞いてこない。商人に入手経路を尋ねるのは不粋だと分かっているのだろう。


「一メートル以内、と言っても単位が違うな」


「ああ、そんなに大きい物が欲しい訳ではないのよ」


 俺が大きさを手で表そうとしたら、止められた。


「食器がね、欲しいのよ」


「食器、ですか?」


「これから夏を迎えるでしょう? ガラスの食器があれば、涼やかだと私は思うの。それが透明のガラスともなれば、涼しさは二倍三倍だわ」


 確か魔法である程度室内の温度調節は出来るはずだから、室内にいる限り、夏だから暑い思いをする事はないだろうけど、こう言うのが粋で風流なのだろう。ここ異世界だけど。


「分かりました。それでどう言う物をご所望でしょう? やはりガラスのコップですか?」


「そうねえ。それも欲しいし、大中小と三種の平皿と、同じく大中小の深皿があると嬉しいわ」


 まあ、それなら食器を扱っている店で手に入るか。流石に百均の皿を伯爵様に使わせる訳にはいかないよなあ。


「分かりました」


 と俺は首肯する。


「じゃあ、それを五十セット。出来れば百セット欲しいわ」


「え?」


「夏の食事会で使いたいのよ」


 ああ、人間、安請け合いはするもんじゃないなあ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る