第38話 内海

「海……ですか」


 オルさん家の応接室。テーブルには中央に海が描かれた大陸の地図が広げられている。


 クーヨンからモーハルド国はかなり西にあるらしく、ヌーサンス島があった海を越えるのが近道であるらしい。


 アロッパ海と呼ばれるこの海は、大陸内部にある内海で、クーヨンの南にあるメロウ海峡から、東の外海であるインザス海に通じている。


「何か問題があるの?」


 私に意見する気? と言わんばかりにバヨネッタさんに睨まれた。


「いや、それだと俺、途中で帰れないな。って」


「どう言う事?」


 バヨネッタさんオルさんが、顔を見合わせ首を傾げる。


「俺の転移門は、転移した場所と場所を繋ぐんです。もし、船の中で転移しても、船自体は移動している訳で、次にこの世界に戻ってきたら、俺の転移門は海の上に出現する事になるんです」


「成程ねえ。でもそんなの船が西岸の港に着くまで、ハルアキがこっちにいれば良いだけじゃない」


「無茶言わないでくださいよ。俺、学生ですよ? あまり長期に無断欠席したら、下手したら退学ですよ」


「厳しい学校なのね」


 と他人事のようなバヨネッタさんだっだが、


「まあ、それ以前に家族が心配します。異世界間の連絡手段がありませんから」


 と家族を引き合いに出すと、「あの人たちを心配させるのは嫌ね」と少しだけ慮ってくれた。


「バヨネッタさんこそ、転移扉で西岸までひとっ飛びといかないんですか?」


「転移扉は魔道具で、魔力や魔石を消費するのよ?」


 睨まれた。


「はい。すいません」


 ここは素直に謝っておく。船で西岸に行くより、転移扉で消費する魔石の方が高くつくのだろう。そう思っておこう。


「困ったねえ。アロッパ海を避けて北を回るにしろ、南を回るにしろ、自走車や馬車でも一月は掛かる。ハルアキくんのスケジュールを鑑みると、もっとかな?」


 なんか、迷惑ばかり掛けてすみません。


 確かヌーサンス島が海の真ん中で、西にも東にも五日掛かるとアニンが言っていたから、航海に十日。北路南路は三十日ってところか。途中途中に国境なんかもあるみたいだし、俺を置いて、先に行ってくださいって訳にもなあ。バヨネッタさんなしで一人でやっていける自信がない。何よりこの時間短縮は大きい。


 いや、待てよ。十日なら……。


「この、アロッパ海を渡るのって、約十日ですよね?」


「そうね」


「なら、どうにかなるかも知れません」


 俺の自信満々の顔に、二人が首を傾げる。


 時は三月。春休みである。



 後日──。


「これが俺たちの乗船する船ですか。大っきい!」


 家族に、タカシの家で春休み中ゲーム合宿をする。と嘘を吐いて異世界にやって来た俺は、クーヨンの港に停泊する、俺たちの乗る帆船の大きさに驚いていた。


 クーヨンで何度か港まで来た事はあったが、働いている人たちの邪魔になると思って、船には近付いた事なかったんだよねえ。


 帆船は三本マストの木造船で、側面には等間隔に魔石インクで魔法陣が描かれていた。恐らく海の魔物除けだろう。難破した時用のボートも括り付けられている。


「ボーッと突っ立っていたら、通行人の邪魔よ」


 バヨネッタさんに促され、俺は船と桟橋の間に掛けられた橋を、バヨネッタさんの後を付いて進んでいく。俺の後にはオルさん、アンリさんの姿もあった。


 驚いた事にオルさんとアンリさんも、今回の旅に同行するのだそうだ。俺はてっきりクーヨンに残るものだと思っていた。家まで引き払っていたので凄いやる気である。


「おお……!」


 船の甲板に上がると、走り回りたくなる広さをしていた。もう高校生だからそんな事しないけど。


「邪魔だ!」


 うおっ!? ボーッと突っ立っていたら、バヨネッタさんに言われた通り他の乗客に怒られてしまった。それは見るからに冒険者といった風体の六人組だった。


 胸鎧を着て、剣や槍を持っていて、その眼光は鋭い。何より、……何より、


「臭くないですか?」


 俺はちょっと離れたところにいたバヨネッタさんに耳打ちした。


「冒険者なんてそんなものよ。あいつら浄化魔法も使わず、身体を濡れ布巾で拭く事もしないで何日も過ごすのよ?」


「うげえ」


 思わず呻いていた。毎日風呂に入る日本人からしたら信じられない事だ。


「せめて浄化魔法で綺麗にすれば良いのに」


 俺の呟きに頷いてくれたのはバヨネッタさんだけで、オルさんもアンリさんも苦笑している。


「まあ、冒険者をしていると、いつ何時魔物や凶悪な野生動物に襲われるか分からないからね。魔法陣や魔石は温存しておきたいんだろう」


 オルさんの言にアンリさんも頷いている。そういうものかな?


「でもせめて乗船時には身綺麗にしていて欲しかったです」


「はは。手厳しいな」


 他にも乗客はいるのだから、その乗客たちの事も考えて欲しい。臭いを放つ人たちと十日間も一緒にいるのは、中々大変そうである。船に逃げ場はないし。



 乗客は他にもいっぱいいる。大体は冒険者や商人らしき人たちで、たまに貴族かな? と言う着飾った上流階級の人たちが乗船してきた。船内は中々の人種の坩堝だ。


「あ! あれってエルフかな?」


 飽きもせずに乗船してくる客たちを眺めていた俺を、後ろで見守っていてくれたオルさんが、俺が声を上げたので、一緒になってそっちを見てくれた。ちなみにバヨネッタさんはアンリさんを伴って、既に船室に向かっている。


「ああ、彼らはアルーヴだね」


「アルーヴ?」


 そこには五人の男女がいた。整った顔立ちにスラッとしたスタイル。何よりその尖った耳は、ラノベやマンガで良く見るエルフだが、オルさん曰くアルーヴであるらしい。


「魔人の一種族だよ」


 魔人と言うのは体内に魔石を内包した人間の事で、魔法陣や魔道具なしに魔法が使える種族だそうだ。


「へえ、アルーヴねえ。あの人たちみたいな魔人種族って、この世界には他にも結構いるんですか?」


「う〜ん、数は少ないね。過去には魔人狩りなんてのも行われていた時代もあったし」


 それは魔女狩りみたいなものだろうか? それとも彼ら彼女らの体内にある魔石が目的だったのだろうか? でも、ここで聞くのは違う気がした。


「そう言えば、さっきから客ばっかり乗船してますけど、荷物とかどうなってるんですかね?」


 俺の素朴な疑問に、オルさんに大笑いされてしまった。


「空間庫の事を忘れてしまったのかい?」


 ああ、失念していました。成程、空間庫があるから、貨物スペースを少なくして、乗客に充てているのか。それでこんなに客が乗り込んでいるんだな。


「じゃあ、僕たちもそろそろ船室に行こうか」


 オルさんに促され、俺とオルさんは二人部屋の船室に向かった。



 部屋は俺とオルさん。バヨネッタさんとアンリさんで分かれていたが、この二つの部屋は扉一つで繋がっている。そんな間取りだ。


 船旅と言うと狭い客室を思い浮かべるが、寛げるリビングスペースに、寝室が別に付けられている。トイレはあるが風呂はなく、トイレの紙も紙ではなく、何やら柔らかい葉っぱである。う〜ん、洗浄機付きトイレに慣れた日本人には、先行きが不安になってくる仕様だ。


 などと俺がトイレにう〜んと唸っているうちに、いつの間にやら船は出港し始めていた。客室の分厚い丸窓ガラスの向こうを覗くと、景色が横に流れている。船はゆっくりゆっくり揺れていた。


 初めての船旅に熱が上がる。

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