第4話
「主任ならやってくれると思ってましたよ」
青空の下、微糖の缶コーヒーを飲みながら、生意気な後輩はそう言った。
「何が「やってくれると思ってました」だよ、こっちの苦労も知らないで」
「怒んないでくださいよ」
こういうのを「人懐っこい笑み」と言うのかは知らんが、どこか媚びたように笑いかける後輩を横目に、ふぅ、と煙を吐き出す。
冬の底を越えたこの青空喫煙所には、暖かい日差しが降り注いでいた。
タチの悪い幻覚と表現するにしては、あまりにも美しいものを見たあの夜、急いで煙草を消して事務所に駆け戻り、目に焼き付けられたその間取プランを敷地図に落とし込んでみた。
建ぺい率・容積率・斜線制限等、法令上の基準クリア。構造耐力上、無理のある部分もない。階段の段数も高さも合っている。各居室も成型でクローゼットもちゃんとある。浴室・洗面室、十分なスペースあり。…トイレ、あり。
つまりは、とてもいいプランが入っていた。
期限通りにラフ図を提出し、帰路につきながら、明日になればプランが真っ白に消えてしまってたりしないだろうかと不安になったりもしたが、翌朝、出社早々上司にばんばん背中を叩かれながら「お前これめっちゃええやんけ!」と褒められ、やはりあれは夢でも幻でもなかったのだと改めて気づかされた。
そこからはとんとん進み、早いもので、あのプランの住宅がもうすぐ竣工する運びとなっている。
「建築前、更地のみの状態で、広告のプラン見たお客さんが即購入申込入れたんでしょ?主任のプランで売れたようなもんですよ」
それは確かにそうかもしれない。
会社からもそれが評価され、営業報奨金の一部がこちらの部署に還元されることとなり、落ちていた自分の社内評価もまずまずの評判に回復した。
しかし、社会人はそれで「めでたしめでたし」という訳にはいかない。
評価が上がろうが、会社の利益が上がろうが、自分に求められていることは変わらず、仕入れた土地に間取りを引き続けることだけ。
一つ物件が売れたら、また次の物件が待っている。
「たまたまだよ。運が良かっただけ」
「いや、でも僕が言うのもなんですけど、よくあんな敷地に上手いことプラン入れられたなって」
「そんな土地仕入れんじゃねぇよ馬鹿」
「そこはほら、仕入難ですから」
後輩は、あのプランの一件以来、こうしてたまに喫煙所にコーヒーを飲みに来るようになった。
「喫煙所から戻った主任が、なんかゾーン入ったような感じがして、僕もそうなれるかなって」などと訳の分からんことを言ってはいたが、話してみればなかなか憎めないところがある奴ではある。
くいっと缶コーヒーを飲み干した後輩は、一つ伸びをした。
「まぁ、定期的に休憩するのもいいですね。頭がスッキリするし」
それだけ言うと、後輩は、「じゃ、先に戻ります」と屋上から出て行った。
煙草はまだ残り半分ほど。
吐き出せば、春の暖かい風にさらわれて、後輩がいなくなった隣を煙が流れていく。
頭上の空は青いばかりで、そこに痕跡が残ることはなかった。
「…何だったんだろうなあ」
あれから、昼夜問わずに、空に煙を何度も吐いてみたが、同じようなことが起きることはなかった。
追われることが条件なのかと、締切ギリギリで同じことをやってみたが、やはり何も起こらず、ただ自分の首を締めただけで終わったりもした。
仕事に勤しむ自分への、空からのプレゼントか。
それはそれで粋なことをしてくれるものだとも思うが。
「……また書いてくんないかな」
実は今日までの締切のものも、まだあるので。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます