第2話 その八坂をぶち殺す

 俺は闇也。


 Vスターという事務所に所属するVtuber。

 チャンネル登録者は大体15万人。


 まだデビューして半年も経っていないけど、事務所の中では中堅くらいの立ち位置にいる。


 ただVtuberとして人気になって、家から出ずに生活できれば満足な俺だけど、最近は大きな大きな悩みがある。


「もう限界です」

『そうなの?』


 電話先で呑気に答えるマネージャーの真城さん。

 しかし、ここ数日で起きたことを何も知らない真城さんが呑気なのも無理はない。


 ――始まりはそう、今から丁度、三日前のことだった。



【ピンポーンピンポーンピンポーン】

「あぁ……?」


 その日の配信終わり。


 まるで配信が終わるタイミングを見計らったようなチャイムに間抜けな声を上げながら、俺はパソコン前の椅子から立ち上がった。


 一旦飯を食べるために休憩しただけだから、時刻は七時頃。


 どうせ風無だろうとは思いつつも、その日は何か嫌な予感がして、俺は扉に行く前にインターホンの画面を覗き込んだ。


「……やっぱりか」


 いたのは、その日の前日に風無の妹だと判明した新人Vtuberの八坂すみれ。


 面倒なことになったと思いつつ、その時はまだ八坂が話が通じる相手だと思っていた俺は、インターホン越しに話しかけた。


「……はいはい」

『せんぱーいせんぱー――闇也先輩!?』

「今ずっと『せんぱーい』って呼んでなかったか?」


 画面の中で喋る八坂は、自分な人畜無害です、みたいな可愛い顔を貼り付けて、俺を「闇也先輩」と呼んできた。


「で……どうした。何か用とかか?」

『声が聞きたかったんです』

「……は?」

『声が聞きたかったんです』


 八坂は二回もそう言った。


 結局その日は「今もう配信するから」と言ったら八坂は潔く帰っていったんだけど。


 ――次の日から。


【ピンポーンピンポーンピンポーン】

「……はいはい」

『闇也先輩!』


【ピンポーンピンポーンピンポーン】

「…………はい」

『闇也先輩!!』


【ピンポーンピンポーンピンポーン】

「…………」

『せんぱーいせんぱーいせんぱーいせんぱーいせんぱーい』



「あああああああああああああぁぁぁぁあっ!」


 そうして俺は、正真正銘の引きこもりになった。



 ◇◆◇◆◇



「もうさすがに一線を越えてると思うんですよ」

『え、もう一線越えたの?』

「耳鼻科へGO!」


 蒸し暑さが目立つようになってきた六月。


 その日、誰かに相談せずにはいられなかった俺は『隣の部屋にいる女子高生新人Vtuberに迫られて困ってる件』というラノベタイトルみたいな悩みについて相談するため、真城さんに電話を掛けていた。


『えぇ? 何が不満なの? 可愛いじゃない、すみれちゃん』

「可愛さはどうでもいいんですよ……迷惑なんです」


 隣の部屋に突如として現れたモンスター、八坂すみれ。

 そのモンスターに俺の家の平穏は崩されようとしている。


 家の中と言えば、俺にとっては侵されちゃいけない聖域。


 ここだけは何があっても安心できる、俺の楽園。


 なのに……あいつは、


「配信を終える度に俺の家のチャイムが三回鳴るんです。ストーカーじゃなく同じ事務所のVtuberの手によってです。おかしいと思いませんか?」

『用があるんじゃない?』

「八坂は『声が聞きたかった』と供述していました」

『乙女ね』

「ストーカーですよ」


 あれが正しい乙女の姿なら俺は女性ファンなんていらない。


「八坂は毎日来るんですよ。最近は玄関の向こうで『せんぱーいせんぱーい』って言い続ける妖怪になってる。さすがに近所迷惑だから俺も対処せざるを得ない。もはや俺の配信業の支障をきたしてるのは明確だ。これは明らかに事務所から指導すべきことだと俺は考えます」

『恋愛は自由です』

「高校生との恋愛は自由じゃないです」

『真摯な交際であれば大丈夫です』

「真摯な気持ちがないので犯罪です」


 つまり俺は犯罪者です。

 所属Vtuberが犯罪者になっちゃうぞ? いいのか?


「というか……真面目な話、事務所側はいいんですか。俺と八坂が付き合ってるなんて流れたら、大荒れしますよ? ネット」


 俺は人気を失わないために、そういう炎上の種を自分から回避するように動いてる。


 その健気な努力を、事務所側は手伝わなくていいのか?


『まあ、闇也君はガチ恋勢が多いしね』

「それは知らないですけど」


 声しか知らない奴に本気で恋する気持ちは俺にはわからないし。

 それで言うと、八坂の気持ちも俺にはわからないし。


「とにかく……これは俺のVtuber活動を脅かす重大な事件なんです。八坂のマネージャーは誰ですか? 早急に俺が困ってると伝えてください」

『すみれちゃんのマネージャーは私ね』

「じゃあ何とかしてくれぇええええ!」


 担当Vtuberの俺を助けてくれえええええ!

 一刻も早く動く気になってくれえええええ!


『まあ事情はわかったけど。傍目から見てすみれちゃんが迷惑を掛けてるとは思えないのよねぇ』

「被害者が迷惑だと言ってるのに?」

『それ、すみれちゃんに言った?』

「迷惑だってことですか?」

『うん。さすがに言ってる?』

「言ってないです」


 だって言う必要ないじゃん。

 迷惑なことしてる人に「それ迷惑ですよ」って言うの?


 飛び降り自殺しようとしてる人に「それ危険ですよ」って言うようなもんだ。

 「いや知ってるけど」って遺言残して飛び降りてくだろ。


「言ったとしても意味ないと思いますけど」

『あると思うわよ? すみれちゃんからしたら迷惑になってるとは思ってないだろうし』

「なら八坂は何考えてやってるんですか」

『何も考えてないと思うわよ。闇也君のことしか』

「こわ」


 なにそれ、脳内メーカーで言ったら全部『闇也』で埋まってるってこと?


 その状態になったら何も考えられなくなるってこと?


『まあもうちょっと説明すると、すみれちゃんも迷惑だと思うことはしないでしょうけど、闇也君の迷惑のハードルとすみれちゃんの迷惑のハードルは違うでしょうしね』

「つまり八坂にとってこれは迷惑に入らないと?」

『そ。闇也君も自分が神経質なことはわかるでしょ?』

「……まあ」


 自分と他の人間とで感じ方が違うのはわかるっちゃわかる。


 ただ、まさか八坂がストーカーを迷惑だと思ってないとは思ってなかったけど。

 あいつのことを考えて、先に通報しといてやるべきか……。


『とにかく、すみれちゃんが考えてるのは闇也君のことが好きってことだけだと思うわよ? いいじゃない。可愛い後輩なんだから、仲良くしてあげれば』

「俺があんな人間とも仲良くしようと思える奴なら元気に社会で働いてるでしょうね」


 普通の人とも仲良くできないのに、いきなりストーカーまがいのことをしてくる奴と仲良くしようとは思えない。


 仲良くなったら常に俺の部屋に居座るようになりそうだし……考えるだけで寒気がする。

 ああ、せっかく手に入れた俺の最高の生活が……。


「……とりあえず、真城さんの最終的な意見は仲良くしろってことですね」

『そうねぇ、最終的にはすみれちゃんと闇也君のコンビで売り出したいのが、私のマネージャーとしての本心――』


「俺がその幻想をぶち殺す」


『ん!? 闇也く――』


 慌てた真城さんの声が遠く聞こえた気がした。


 悪いけど、そこで俺は自分から電話を切った。


 最初から期待してなんてしてなかったさ。自分の悩みに悩めるのは自分だけ。俺の生活を豊かにしてくれるのは俺の金だけ。

 この世の大抵の人間はダンボールの子猫も拾わないクズだ。


 真城さんが何もしてくれないのはわかった。


 この楽園を守るには俺がやるしかない。


「やってやる……」


 八坂からこの部屋と、俺の生活を守りきってやる。


 そのためにはどうすればいい……? 


 ……八坂を殺す?


 でもそうしたら風無が悲しむし、別に殺すほどじゃないし……。というか捕まるし……。


 なら八坂を俺から遠ざける……か?


 さっき真城さんは、八坂が俺に近づいてくるのは俺のことが好きだからと言っていた。


 なら、八坂の感情をその逆にすればいいんじゃないか?

 要は八坂に嫌われればいい。


 嫌われるくらいなら俺にだってできる。なんせ人間は嫌われようとしなくたって嫌われる生き物だからな。


「……ふー」


 改めて考えると面倒くさい。面倒くさい……が。

 この生活を守るためなら、俺はやれる。


 隣にモンスターのいなかった日常を、俺は取り戻してみせる。


 そうして思い立った俺は、パソコンを立ち上げ、なんだかんだで八坂をフォローすらしていなかったツイッターからダイレクトメッセージを送った。


 ――『八坂、一緒にゲームをしよう^^』

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