続、ヒトに告ぐ

騙り屋、火也々:Crows Clouds

01.悪夢から目が醒めて

 三田ヶ谷商店街の人通りの少ない夜。その片隅にある錆島小児科では、一人の女医が机に向かい作業をしていた。小綺麗ではあるものの、己を飾る気を全く感じさせない彼女は、疲れた様子も無く、むしろ機嫌が良さそうですらある。彼女は時折、小声で何かの歌を口ずさみながら、デスクトップパソコンで書類作成に勤しんでいる。

 そんな彼女の首筋に、突如後ろからメスを突き付けるものがいた。

「おや、お目覚めかなプリンセス。ただ、あまり機嫌はよろしくないようだね」

 メスを戦闘用ナイフのように握る少女に対し、慌てる素振りも見せず、そのままの姿勢で、舞台にでも立っているかのように話す女医。キーボードを叩く指すら止めない。

「ここは、何処ですか」

 少女はメスを構えたまま無表情で、自分の疑問を説明するように促す。

「何処……何処かと言われれば、ここは寂れた病院だね、お姫様。事情は掻い摘んで伺ったが、その情報から君にはそれなりの知能がありそうだと私は推測した。だから、ここが寂れた病院である事くらいは君も推測できているだろう。君が知りたいことは、恐らくそれではないはずだ。私もその辺りについて話してあげたいところなのだが、まずは……」

 女医は、少し考えるように間を置く。

「私のメスを手放してはくれないか。大丈夫。きっと君がその気になれば、そんなものを持たなくても私を殺めることは容易い。何より、私は君に危害を加える気は一切ない。約束しよう」

 目も合わせず冷静に話す彼女を少女は怪しむが、片手で数える程の間を空けて、メスを女医の机の上に置いた。

「いやはや、恐ろしかった。俗に言う『死ぬかと思った』というやつだ。寿命が一年と半年程縮んだ気分だ。しかし、意外に素直じゃないか。依然として私が君を不意討ちする予定はないけれど、わざわざメスを私の机に返却することはあるまい」

 恐ろしかった。そう口にする割に、女医はまるで少女を恐れている様子を見せない。その様子が、少女に若干の不安を感じさせる。

「これは、貴方のメスではないのですか」

 微妙にすれ違うやり取りに、女医は苦笑いした。

「ああ、私のものだよ。先程、私は君のことを『素直』と評したが、それを『律儀』に訂正しよう。さて、自己紹介といこうか。私は錆島さびしま山茶花さざんか。この病院の代表者、といったところだ。生憎、他に働いている者はいないがね」

 山茶花は回る椅子の向きを変え、やっと少女の顔を見る。少女はやっと山茶花の表情を見ることが出来た訳だが、今までの経緯に反し、その表情はとても穏やかなことに、少々調子を狂わされていた。

 山茶花は少女にも名乗るよう、無言で促す。

「……ゼロファイブ。私は、そう呼ばれていました」

 少女は、今となっては不要な名前を名乗ることにした。

「ゼロファイブ……なるほど、いい名前だね。機能的で、私好みだ。知っているかな? 五という数字はよく二番目になる数字だ。二番はいい。一番は風当たりが強過ぎるし、三番以降はとても埋もれやすい。まあこれは、私の所感でしかないが」

 ゼロファイブには、山茶花の言葉を噛み砕けない。

「よくわかりません。五は五番目の数字ではないのですか」

「……そうか。律儀な君には難しかったね。忘れてくれ。では、話を戻そうか。君は、三日前にこの病院へと運ばれてきた。戦闘の末に突然吐血し、意識を失った、とね。それなりに身体を調べさせてもらったが、どうやら君が無理を続けていたせいで、身体が悲鳴を上げていた……そういえば、腕に点滴が刺さっていただろう? 勝手に外されては困るよ。君は弱っているんだから」

 ゼロファイブは情報を整理しながら、自分がやってきたことを思い出す。

「……いいんです。もう、生きていても仕方がないので」

 投げやりな返答を聞いて、山茶花は穏やかに笑った。

「これも私の所感でしかないが……人は、無意味に生きるべきだと思うよ。意味に縋っていては、それを失った時に立ち止まってしまう。意味を持つ者の強さは私も知っているつもりだが、リスクが大き過ぎる。それに、それが唯一の正解であっては、君や私にとって……あまりに救いがないだろう?」

 山茶花は立ち上がり、壁際に置かれた小さな冷蔵庫に向かった。

「意味を持つものは、意味無き者を理解し難い。分かり合うのが難しいということだ。それでも、寄り添う意志は大事でもある。難題ではあるが、それでも必要だ……ゼロファイブ、食欲はあるかな?」

 山茶花が冷蔵庫から取り出したのは、パウチに入った栄養補助食品だった。

「いえ、私は……」

「持っていたまえ。意味があろうとなかろうと、栄養というものは必要だ。少し身体を動かしたいのであれば、それを咥えてあちらの待合室にでも顔を出してくるといい。君をここに連れてきた王子様が、君の目覚めを心待ちにしていたからね」

 パウチを一つゼロファイブに押し付けると、山茶花はもう一つのパウチのキャップを外し、その飲み口を咥え、デスクワークを再開した。

 山茶花という女医は、ゼロファイブにとって異常な存在に見えていた。故に、ゼロファイブの理解は全く追いつかない。追いつかないまま、手元に残された栄養補助食品を眺める。

「……ありがとう、ございます」

 食欲は無かったが、ゼロファイブはお礼だけを小声で伝えた。山茶花はそれに反応することなく、キーボードを叩き続ける。

 ゼロファイブは、山茶花が自分の事を恐れも拘束しようともしないことを、不思議に思っていた。思いながらも、彼女の発言の通りに待合室へとフラフラ歩みを進め、その扉を静かに開ける。

 寮の自室程の広さのそこで、ゼロファイブは寝息をたてている烏丸羽月を見つけた。




「甘いんだよなぁセッカは。絶対甘いって。ブラクマのチョコフラッペの十倍は甘い」

 八月初旬。宝満大学病院四階の病室で、鬼ヶ島刹華は今年二度目の入院生活を送っている。この時、太陽は少しだけ頂点から落ちていた。

「……うるせぇ。自分の部屋に帰れ暇人」

 近くの病室から来襲した霧山美里の苦言は、刹華によってバッサリと切り捨てられる。しかし美里も美里で、愛想の無い刹華を気にもせず、キャリーケースに腰掛けたまま髪を弄っている。

「美里の言ってることは正しいと思いますわ。烏丸さんも大概貴方を甘やかしていると思っていましたが、貴方は馬鹿をつけても足りない程に甘っちょろいですわ」

 先の騒動での入院を免れた栄花リオンは、見舞いの品であるりんごの皮を剥きながら溜息をつく。

「お前だって、あたしに話を合わせてくれたんだろ」

「だから、溜息をついて後悔しているのではありませんか……どうしてわたくしは、わたくしの最愛の敵を殺そうとしたあのグズを庇ってしまったのか……」

 数日前、彼女達は赤い饗獣という犯罪組織の襲撃を受けた。その後の警察の取り調べで、襲撃者の中にクラスメイトの葛森ゆうりがいたことを隠して報告したのだった。

「その呼び方はやめろ。ゆうりはグズじゃねえ」

「はあぁ? まだあの輩をお庇いになるおつもりかしら? お人好しもここまでくると、負の世界遺産候補にでもなりえるのでは?」

「ライオンさんどうどう。病院ではお静かに……あ、おばあちゃんありがとう! ウチ、イチゴアメ大好きなんだよなー! ほら。二人共、飴ちゃん貰ったよ」

 隣の穏やかそうな老婆からの貰い物を、美里は二人に配る。二人は老婆に対して気まずそうにお礼を伝えるが、老婆は始終笑顔だった。

「……ま、いいんじゃね? 殺されかかったセッカが良いなら。法律がどうなってんのかは知らんけどさ」

 どうでも良さそうに包み紙から飴玉を取り出し、口の中に放り込む美里。

「……美里、りんごを食べる寸前に甘いものを食べるのはどうかと」

「あっ。めんごー、やっちったわ。セッカ、ウチの分までりんご食べちゃって。どうせ腹減ってんでしょ?」

「あたしがいつも飢餓に苦しんでるみたいに言うな……食うけど」

「『キガ』シマだけにねっ」

「しばき倒すぞ」

 それぞれの心に痼が残った形で、それでも平穏な風景の中にいる三人。

「でもさ、これからくずもりんのことをどうすんのさ? あいつ放っとくと、セッカがいつ殺されてもおかしくないんだぜ?」

「その通りですわ。しかも、烏丸さんまで巻き込んで……そこそこマメに連絡を取ってはおりますが、気が気ではありませんわ」

 二人の不満ももっともだった。

「……あいつを信じるしかねぇだろ」

 穏やかで感情豊かな葛森ゆうり。そして、感情のないゼロファイブ。彼女は前者を偽りだと述べたが、刹華はそれこそが偽りであって欲しいと、願わずにはいられなかった。

「全く、何を考えているのかいないのか……ところで、烏丸さんもレッダーだったのですね。翼を持っておられましたが、羨ましいことですわ。わたくしも一度、叶うことなら大空を優雅に飛んでみたいものです」

 りんごを剥き終え、それを床頭台の皿の上に並べるリオン。その言葉からは、負の感情を一切感じられなかった。感じられなかったからこそ、刹華はそれに反応した。

「それ、羽月に直接言うなよ」

 全く意図の分からない言葉に、リオンはほんの少しだけ驚く。

「どうしてですの? この言葉に限っては、悪意などこれっぽっちもありませんのに」

 刹華は、羽月から聞いたことを思い出していた。この中で刹華しか知らない、翼を持っていたが為に血を分けた弟に化物と呼ばれ、弟を事故に遭わせてしまった、羽月の悪夢。その悪夢は、まだ完全に終わってはいない。事更に、誰かに話して欲しい事ではないだろうと慮った。

「……誰だって、必要以上に触れられたくないもんはあるだろ。あいつも色々あったんだよ」

 それを聞いたリオンは、納得したのかしていないのか分からない表情をしていた。

「そうおっしゃるのであれば……ほんの少しとはいえ、彼女との付き合いの深い貴方に従うことにしましょう。それより、りんごが剝けましたわ。劣化する前に頂きましょう」

 リオンはそう言うと、病室の隅にある手洗い場へと向かう。床頭台には、櫛型に切られたりんごが綺麗に並べられていた。その中で、爪楊枝が刺さっているものが二つ。刹華はその内の近い方を選んだ。

「……いただきます」

 四分の一程を噛み砕くと、香り高い果汁が口の中で弾けるように広がる。食感も心地良く、あまりりんごを食べたことがない刹華でも、上等そうなりんごだと感じた。

「そういや、このりんごって誰から? ウチの知ってる人?」

 気がつくと、あんなことを言っていた美里も、しゃくりしゃくりと小さな音を鳴らしながら、結構な勢いでりんごを食べている。

「……知ってる人だな。多分お前、複雑そうな顔をするぞ」

「ん? 誰それ? ウチ、誰とでも仲良く出来るのが取り柄なんだけど」

 その見舞い客は二日連続でお見舞いに訪れていたのだが、その記録はすぐに三日連続へと塗り替えられた。

「……失礼、します」

 酷く弱気そうな声の主に、リオンは驚き、美里は露骨なまでに警戒し、刹華はうんざりしたように溜息をついた。

「あっ、お二人もいらしていたんですね……鬼ヶ島さん、お見舞いに参りました」

 金山田かなやまだ克妃かつき。生徒会長である彼女は、下級生である三人へと申し訳無さそうに頭を下げた。手には造花のブーケを持っている。

「金山田先輩、貴方が気を使うべき相手など、ここにはおりませんわ。それで、お身体の方は大丈夫なのですか?」

 リオンは克妃の身体を気遣うが、もう一人は克妃に噛みついた。

「見舞いだァ? てめぇ、あんな失礼なこと抜かしといて、よくもまあ……」

 美里は青筋を立てながら、拳を握りしめる。ただ、見舞いの相手である刹華は、今にも克妃に襲いかかりそうな美里を、腕を掴む形で引き止めた。

「霧山、向こうの話を聞けよ。あと、病室では静かに」

「セッカ、こいつに何言われたのか忘れたのかよ! あんなの、許されることじゃ……」

 刹華の制止に反抗していた美里だったが、

「美里、あまり事を荒立てないで貰えません? わたくし、あの時に金山田先輩が何をなさっていたのかを知りませんの。お手数ですけれど……金山田先輩、詳しくお聞かせ願えませんか?」

 リオンまでも制止に加わることで、美里は渋々引き下がり、心持ちを臨戦態勢からほんの少しだけ緩めた。

「分かりました。正直にお話します。ですが……」

 金山田克妃は、何かを言いたげに視線を逸らした。その先には、刹華の向かい側に配置されたベッドが二つ。そこに寝ていた二人の患者は、何事かと言わんばかりにこちらを見ている。

「……よければ、お外に行きませんか? 病室で騒がしくするのも、あまり宜しくないと思いますので……」

 当然といえば当然のことなので、誰も反対はしなかった。




 

「金山田先輩が……そんなことを?」

 赤い饗獣の襲撃の日、金山田克妃という人物が何をしたのか。それが本人の口から語られた。

「……絶対にありえませんわ。何かの間違いです」

 青空が眩しい病院の敷地内。ベンチに座らせられた金山田克妃を三人が囲む形で、素人による事情聴取が行われている。それぞれの肌からは、じわりじわりと汗が滲む。

「ありえないっつったってさぁ。その相手がセッカとはつきんとウチの三人だぜ? そこは間違いないって……」

「ありえませんわ……美里、貴方だって金山田克妃という人間がどれだけ善良な人間なのか、分かっているでしょう? 生徒会長になられた時も……」

「落ち着けっての。そりゃ、ウチだって何か変だなって思ってたけどさぁ……」

 取り乱すリオンと、顔を顰める美里。そして、俯く克妃。刹華はそんな三人を見ながら、ずっと黙っていた。

「私も、何故あのような凶行に至ったのか、自分でも理解出来ません。確かに、私自身が他人に奉仕することは当然のことだと思っています。ですが、それを他のレッダーの方に押し付けるつもりもありませんし、ましてや鬼ヶ島さんが処罰されるべきだなんて決して……」

「思ってもいないことを喋って、考えもしなかったことをしたっての? さっすがに、温厚なウチでもハイそうですかって信用できる内容じゃないけど?」

 キャリーケースを地面に打ち付け威嚇する美里の言葉に、今にも泣きだしてしまいそうな克妃はどんどん萎縮していく。

 見かねた刹華は、ようやく口を開いた。

「……なあ。あたしは、金山田が嘘をついてるようには思えないんだ」

「……セッカ、あんた頭おかしくなったの? こいつからボロクソに言われたこと、忘れちゃったワケ?」

 噴火寸前の美里に刺激を与えないようにする為、刹華は大きめに息を吸って気持ちを落ち着けた。

「金山田は、お前と羽月がレッダーだってことを知らなかった。あたしと羽月は、それよりも前に赤い饗獣の一人と接触した。金山田が赤い饗獣の関係者なら、お前はともかく、羽月がレッダーだって情報は伝わってるはずだろ」

 刹華は、ポケットからメモを取り出した。そこには、病室でずっと考えていた事が綴られている。刹華はそれを見ながら、一つづつ思い出す。

「そういや、はつきんもそんなこと言ってた気も……んでも、発言の撤回は出来ないっしょ。ウチら三人で聞いてんだもん」

「もし、金山田がその時に正気ではなかったとしたら……霧山、お前は怒りを収められるか?」

「……鬼ヶ島さん。せめて『金山田先輩』とお呼びなさい。様をつけてもおかしくない相手ですのよ?」

 横槍を入れるリオンを鬱陶しく思いながらも、刹華は話を続ける。

「不自然なんだよ。皆の抱く人物像と酷くかけ離れた金山田……先輩の行動が。吹奏楽部の備品を取りに来てたって昨日聞いたけど、それを誤魔化す気もなく手ぶらだった。あたしを一方的に殺すつもりだったなら、自身もレッダーだとはいえ、あまりに準備が無さ過ぎた。あたしがあの場にいたのは運良く霧山に助けられたからで、赤い饗獣の手先っていうには乱入のタイミングが完璧だった。その割に、羽月やお前のことを知らなかったし……ゼロファイブは金山田を処分しようとした」

「金山田『先輩』、ですわ」

 無慈悲な日差しへのイライラついでに、話の腰を折るリオンに噛み付きそうになる刹華だったが、その会話の隙間に美里が滑り込む。

「じゃあなにさ。金山田パイセンはあの時、赤い饗獣でもない誰かから催眠術か薬かなんか食らって、ワケ分かんなくなってたってこと? 現実的にありえんの?」

「……分かんねえ。ただ、あたしと羽月が前に会ったライリーってヤツは、常軌を逸した馬鹿力で廃墟のビルを素手で倒壊させてた。あんだけ人間離れしたのを見ると、催眠術とか言われても今更驚きはしねえし、金山……金山田先輩の支離滅裂な行動に説明がつく気がする。あたしを本当にヤる気なら、昨日一昨日に来た時にヤっちまうはずだしな」

 刹華の説明に、美里は唸りながら考え込んでしまった。それとは裏腹に、リオンは少し安心したような顔をしている。

「まあ、レッダーの存在自体、世間的に相当怪しいですものね……では、あとは金山田先輩を利用した恥知らずを、正義の名の下に吊るし上げるだけですわ」

 力強い声で物騒なことを口走るリオン。美里はというと、克妃が依然として申し訳無さそうな顔をしていることに気が付き、

「……わかった。金山田先輩、ごめん。多分、先輩も辛かったんだよね」

 と、先程までの高圧的な態度を詫びた。克妃はその謝罪にすら謝り続け、四人は余計に日差しに焼かれることとなった。

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