【4】


「少し、過去の話をしてもいいですか?」


「おっ、回想シーンですか? 黒ベタかけますか?」


「ええっ? 森田さんはボケていいんですか……?」


「すみません。続けてください」


 森田さんが俺の腕にしがみつく。

 伝えたいことはまとまってないけど、まとまってないまま口を開く。


「前ちらっと言った、鬱っぽくて仕事を辞めて実家に戻って、ニートしてたーって話なんですけど」


「はい、覚えてます」


「あれ、当時の仕事でけっこう追い詰められてたみたいで。いまならもう少しうまくやれる気がするんですけどそれはともかくとして」


 缶チューハイで口を湿らせる。

 ぼんやり、ローテーブルの上に並んだタバコの箱とアイコスを眺める。


「車で出勤する途中ですね、ふっとハンドル切ったんですよ。ガードレールの方へ」


「えっ!?」


「前後に車いなくて、対向車も歩行者もいないことはわかってて。ふっと」


 森田さんがどんな顔をしてるか見られない。


「けっきょく、ほぼケガなしだったんです。車は大破して廃車になりましたけど」


「よかった、よかったです、坂東さんが生きててくれて」


「そこから会社辞めて実家に戻ってニートしてて、WEB小説を書いてみたらたまたま商業作家デビューして、お金もいただいて」


 もしもWEB小説投稿サイトがなかったら、俺はいまもニートだったかもしれない。年齢はニートの定義を外れてるけど、生活としてのニートって意味で。生活としてのニートとは。


「いま生きてるのはボーナスステージだと思ってるんですよ。たまたま死ななくて、たまたまデビューできて」


「うう……」


「もし生活できなかったら今度こそ終わろうかなあって思ってまして。そんなんですからね、未来を思い描けなかったり、他人を背負い込む気概がなかったり。そうなると、好きって感情がよくわからなくて」


 だらだらと暗いことを語る。

 情けない言葉を口にする。

 森田さんに知られたくないけど、ごまかしたくもない。

 隠してあとになって見抜かれて幻滅されたくない。


「だから、不安なんです。一緒にいたいとか会いたいとか思っても、自分にその先は見えてなくて。心は病み上がりだし、ジム通いはじめましたけど体力はミジンコで」


 ようやく顔をあげる。

 横の森田さんを見る。


 森田さんは、ボロボロと泣いていた。


「すみません。泣かせました」


「ううん、なんかよくわからないけど、坂東さんが生きててよかったって思ったら涙が出ちゃって」


「俺のために泣いてくれてありがとうございます」


 森田さんに指差されて、ローテーブルの上のティッシュを渡す。

 足りなかったらしく追加も渡す。

 涙を拭いて、鼻をかんで。

 少し落ち着いたらしい森田さんに抱きつかれた。


「不安なことは一緒に乗り越えたいよ? 坂東さんが泣いたら私が舐めとってあげる」


「舐め……? そこでボケない!」


「ボケてないですー」


「えっ? 舐めとるって本気で?」


「私だって不安はいっぱいあるよ、でも会いたくて、なんだかわからないけど好きなんだもん!」


 少し体を離して、俺としっかり目を合わせてくる。

 アーモンド型の瞳から目が離せない。


「一人じゃ不安でも、二人でしあわせになろう? 不安ならゆっくり、一歩ずつ」


 二人掛けなのに二人には狭めのソファで、森田さんがたたみかけてくる。


「坂東さんが泣いた時は涙を舐めとる!」


「ええ……? 二回言うほど本気……?」


「お金で行き詰まったら養う!」


「男前すぎる」


「死にたくなったら止める!」


「ありがとう。ありがとうございます」


「どうしても止められなかったら一緒に死ぬぅ」


「なんだろう、普通なら重いって思うのかもしれないけど、ただただ嬉しい」


 しがみつく森田さんに腕をまわす。

 胸元が涙で濡れる。

 べちょべちょになっちゃいますよって言われても離さない。


 生きててよかったと目の前で泣かれたのははじめてだ。


 いや冗談めかして死のうとしたって過去話をしたことはあるけど、ちゃんと話した相手がそもそも初めてだ。


 素を見せて、受け入れられたのも初めてだ。


 こんなに離したくないと思ったのも初めてで、一緒にいたいと思ったのも、誰かと一緒の未来を見たいと思ったのも、37年で初めてだ。


 ぐすぐす涙する森田さんから体を離す。

 ティッシュを取って涙を拭う。舐めない。

 少し落ち着くのを待つ。



 横に座る森田さんに体を向けて——



「好きです、森田さん」


「なんだかわからないけど私も好きです!」


「37歳ってけっこうな年上ですけど……付き合ってくれませんか?」


「うう……はい……こちらこそよろしくお願いしますぅ」



 ——告白した。


 好きってどういうことかわからないと思っていた俺が、二人で会うのはまだ二回目の、11歳下の女の子に。



 視界がぼやける。

 なんでか二人して泣いてる。

 ソファに横並びで、二人して体をひねる。

 抱きしめて、顔を近づけて。



 キスをした。


 少し体を離す。


「こうして二人は、幸せなキスをしました。めでたしめでたし」


「もう! そこでボケない! これだからコメディ作家はー!」


 おどけた言葉に、笑い合った。



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