第3話 序幕③ 素朴で小さな村にて

次の日の朝、ニースは何食わぬ顔でベッドから起き上がり、大きなあくびを一つする。

この村の人々の朝は早い。

日が登ると同時に起き出し、朝からせっせと自分の仕事をこなす。

パンを焼く者、農業を営む者、家畜の世話など、毎日飽きもせず忙しなく動いているのだった。

この村に住むようになってから、ニースも自然と彼らの生活リズムについていくようになった。


郷に入れば郷に従え。


誰に言われたわけでもないが、新参者だった時は従わなければ皮肉たっぷりの嫌味を言われることもあった。

出来上がった村のコミュニティーに入っていくのだ。それくらいの経験は生きていく中で何度もあった。

そこでニースが得たスキルは「空気を読む」ということだ。それさえできれば新しいコミュニティーに入っていくのはそう難しいことでもない。

簡易な服に袖を通し、最後に医者であることを示すエンブレム、白衣を身にまとう。


古い作りの階段を降りて自宅兼診療所のカーテンを開ける。今日も良く晴れいる。起きがけの日光が目に染みた。


彼の2階建の立派な診療所は元・空き家だった。

数十年誰も使用していなかったので、村長に許可を得てこの空き家を譲り受けた。長年誰も利用していなかったせいで入居したては、埃と蜘蛛の巣まみれだった。こつこつと掃除をしてやっと清潔感のある職場を完成させた。


1階降りたニースは診療所の机の引き出しから小瓶を取り出す。

硬くしぼった瓶の蓋に手をかけて、小さな声で「アンロック」と呟いた。

一瞬だけ小瓶の蓋が赤く光ると、瓶の蓋はすんなりと開き、その瓶の中にはガラス細工のような玉がたくさん入っていた。

飴玉サイズのそれは、中心部が赤く光り、その輝きを逃さなまいとガラスのような物質で閉じ込めていた。

ニースはその一つを手に取ると口の中に入れてコロコロと転がす。


「せんせー、おはよー!」


ニースの診療所のドアが勢いよく開く。

想定外の小さな来訪者に驚いたニースは口の中で遊ばせていたものを誤ってごくんと飲み込んでしまう。

しかも、悪い飲み込み口に入ったのか、ニースは何度も咳をしながらむせる。


「せんせー、どっした?」


ニースの家の近くに住む少年・コルが不思議そうに彼の顔をのぞく。


「ごほっ、ごほっ…いや…のっく…し、ろ」

「なんかせんせー、声枯れてね?風邪か?俺が治してやろーか!?せんせーの術みたいに!!」

「いら、ん。」


ニースは喉元に手をあてて、小さく「ヒール」と呟いた。

すると、彼の手の周りから緑の小さな円が作られて、見たこともない速さで光り輝きながら回り始める。

その光が収束すると、ニースは喉から手を離した。


「難しい魔術だ。そう簡単にできると思うなよ。」

「えー!?じゃあ、せんせーが教えてよ!」

「無理。俺、教えるの下手だから。」

「じゃあせんせーがさっき食ってたその瓶の飴玉俺にもちょーだい!それでせんせーみたいに強くなるから!」

「は!?飴!?なんのことだよ!」

「その手に持ってる瓶のやつー!せんせー朝はそれしか食ってねーだろ!俺、知ってるんだからな!」


コルはニースが持っている瓶を指差しながら、何度もくれくれとねだってきた。先程の軽い呼吸困難で忘れていたが、まだニースはこの瓶を元の場所に戻していない。

咄嗟に彼は自分の背後に瓶を隠した。


「…子供の目はどこ見てるか分かんねーな…」


背後に回した小瓶に「ロック」と呟き、自分の魔力をこめる。

これでこの瓶はニース以外開くことはできないだろう。


「これならお前でもできるだろ?ほらっ」


ニースはコルの視線を逸らすために自分の指先から魔力のこもった水を出して、それをコルの顔にかける。

顔面にかかった水に驚いたコルは「うわっ」と声を出し、顔の水を服で拭う。その間にニースは小瓶をこっそりと引き出しに戻し、コルの興味を別の場所に移そうと試みる。


「…いいか?この世界には魔力ってものが存在する。人間誰しも少しは持ってるもんだ。」

「かっけー!!俺も、俺もやりてー!それ、どうやんの?どうやんの!?」


どうやら話を逸らすことに成功したようだ。ニースはふぅっと小さく息を吐いた。

コルはニースの魔術論に興味深々だ。


「自然のエネルギーを借りるんだよ。この自然エネルギーを借りるにあたり、当然向き不向きが出てくる。数式を読むのは得意なのに、人の感情を読むことは苦手、みたいに。俺の場合、水魔法と相性が良くって、そいつの力をよく借りている。…別に水に固執しなくていい。この世界には色々なエネルギーに満ち溢れている。風、土、雷、炎、光、闇…ありとあらゆるものにエネルギーは存在している。それを俺たちは借りて自分の力に変換しているだけだ。」


「そんな説明されても俺には難しい!もっと分かるように教えてくれよー!それをどうやって引き出すとか!俺も使いたいの!!」

「残念ながら、それは無理な話だ。」

「なんで!?」

「……なぜなら俺は教えるのが下手だから、だ。」


コルは悔しがりながら「ずりーよー!」と声を上げる。

しかし、ここで大抵の少年たちが興味を持つものがある。空気を読むことを覚えたニースは、これの説得に毎回苦戦している。

というか、心が痛む。

それは…


「じゃあ、街に出たら、色々魔術の勉強できるのかな!?せんせー色々な場所行ってたんだろ!?そしたら俺も将来せんせーみたいに…」


少年たちの夢、だ。


そう…過疎化が進む村で一番恐れなくてはいけない、『街への憧れ』だ。彼くらいの歳になると大抵街に興味が出てくる。

村の大人たちにとって若手を失うのは村の将来に大きな打撃を与えることになる。

ここでニースが村を出ることを勧めたら、やっぱり余所者は…とぐちぐちと言われることが目に見えて分かる。

確かになにかを学ぶのだったら、確実に街へ出たほうが望む知識や濃い情報を取得することができる。

しかしながら、ニースの望む生活のためにコルにとって酷だが、諦めてもらうしか手立てはないのだ。


「『街に出る』?そんなことしてどうする?」

「街に出て魔術を勉強して強くなるんだ!せんせーはベンゼンって街に行ったことあるか?」

「ひどいネームセンスだな……いや、俺はその街には行ったことはない…」

「なんかな、その街に行くとめっちゃくちゃすげー魔術師とか剣士とかいて、その街の周りには象がいるんだってよぉ!」

「象…?それがどうした?そんなところ行っても…」


ニースがコルの夢を砕こうと話をまとめにかかろうとするが、興奮冷め止まぬコルはニースの言葉を遮って話を続ける。


「その象の上にはベンゼンっていう街にいるより遥かに強い魔術師とか軍隊がいて、しかも!不老不死って噂なんだぜ!?ありえない話だけどさ、俺もいつかその象の上の住人になってよ、世界を見てみたいなって思うんだよ!せんせーも知ってるか?」

「不老不死の軍団…象…いや、長生きしてきたが、初耳だ…」

「長生きってー、せんせーは父ちゃんと母ちゃんより年下だろ?そんなことより!だから!そういう理由があるから俺はせんせーの魔術を学びたいの!なー、いいだろー!!」


コルの話は意外とニースの心を惹いた。

しかし、だめだ。

危うく大事な本題を忘れるところだった。


ニースの白衣の裾をひっぱり、何度も教えを乞いてくるが、ここは心を鬼にしないといけないところ。

ニースはぱっと裾からコルを引っぺがし、コルと同じ高さになるように屈み込む。


「いいか…よく聞けよ。お前は父ちゃんと母ちゃんの希望だ。それだけは絶対に忘れちゃいけない…。俺から魔術を教わって、それが自分の将来にどう影響するのか考えてみろ」

「え、俺は…村を出て、よー」


思いがけないニースの真剣な表情に怖気づいたコルは、慎重に間違いのないようにゆっくりと発言をする。


「村を出て、どうする?」

「つ、よくなって…」

「強くなってどうする?どこでその力を使う時が来る?」

「それ、は…」


コルが言葉を詰まらせたのを良いことにニースは更なる言葉で追い打ちをかける。


「強くなることは決して悪いことじゃない……。だが、この村でそれはお前の自己満足に過ぎない。お前の気持ちはよく分かる…が、自分の役割を理解しろ…」

「俺の役割…?」

「そうだ。お前の役割は、この村でお前の父ちゃんと母ちゃんを、いや、村人全員の助けになることだ。これはお前にしか出来ない大事な…それはもう大事な役割だ。」

「大事な…お、俺が!?」

「村長だってお前に期待している。きっと将来は立派な農家の人間になるだろうって。お前はその期待を裏切るのか?父ちゃんと母ちゃんが嘆くことになるぞ…」

「俺に…期待…?」

「そうだ。みんなお前に期待している。お前が村を出て強くなったとしても、その力で将来街ででかいことはできん。それくらい街は人と才能、技術に溢れているんだ。泣き寝入りして村に帰ってきたとしても、お前が手にした力は結局畑を耕す力になるだけだ…高い授業料を払ってまで手にした力は、宝の持ち腐れもいいところだろう。そんなことのためにお前を街へ出す大人がいるか?そんな技術なら村でタダで習ったって変わらん。むしろ今までやってこなかった分のキャッチアップをしていかないといけない…。デメリットが多すぎる。」


ここの村の人間は新しく何かを取り入れることを嫌う。

農業に魔術を取り入れればきっとこの村の更なる発達に力を貸すことができるだろう…が、古くからの伝統と掟で守られてきたこの村の秩序を壊すのが絶望的に難しいことくらい目に見えて分かる。


「う…で、でも!」

「まだ歯向かうか…でももなにもない。お前は自分の父ちゃんと母ちゃんが困る姿を見たくはないだろ?」

「そ、れは…うん…父ちゃんと母ちゃんには苦労して欲しくない。」

「純粋なことでなにより…。お前は自分の父ちゃんと母ちゃんに言われた最善の道を進め。それが一番正しいんだ。」

「…わかった…俺は…村のために、父ちゃんと母ちゃんのために、この村に貢献していくよ…。」


『悪いな…』と心の中でコルに謝罪の言葉を告げて、ニースはコルの頭をポンポンと軽く叩いた。


「それより、こんな朝早くから診療所に来たんだ。何か他に用事があったんだろ?」

「……あ!そうだった!母ちゃんに用事を頼まれてて…また腰痛がひどくなりそうだから、いつもの薬をくれって…。お代はこれ!うちで育てた朝取れ新鮮野菜!」

「そうか。ちょっと待ってな。腰痛予防の薬はーっと…」


先程の意気消沈した姿はどこへやら…このコルは切り替えが早い方なのかもしれない。

安堵したニースは診療所の奥にある棚の中からいくつかの出来合いの薬を取り出しに行く。


「せんせー、机の上に置いておくよ!」

「おー…」


ニースは素っ気ない返事をする。

先日、手の空いた時に何個も薬を作ったことが原因だ。

腰痛用の薬が中々見つからない。

ガサガサという音が聞こえてくる。どうやらもう少し時間がかかるようだ。

暇を持て余したコルは診療所の椅子に腰をかけ、ニースの机に目を向ける。

整理整頓されている机上に無駄なもの、埃は一切見えなかった。

難しそうな医療関係の本が数冊並ぶ。

そんな中、コルは本と本の間に転がる小さな光を見逃さなかった。


「これ…って…」


コルが机に手を伸ばし取り上げたものは、先程ニースが口の中で転がしていた小さなガラス玉と同じ物だった。

この机から察するに不注意で瓶からこぼれ落ちたのだろう。

例えば今日コルがニースを驚かせた瞬間に…。

コルは手に取った小さなガラス玉をまじまじと見つめる。

なぜか真ん中だけ赤く煌々と輝き、不思議と吸い込まれるような魅力も感じる。コルの顔がボーっとしてきたその時、


「お、あった。あったー」


と、ニースの声と帰ってくる足音が聞こえてきて、コルは我に返る。


「ん?どうした。」

「な、なんでもない!」

コルは拾い上げたガラス玉をポケットの中にしまってしまう。

「じゃ、じゃあな!せんせー!!」


負い目を感じているのか、コルは勢いよく立ち上がり診療所を後にしようとする。


「おい…」


コルがドアに手を伸ばそうとしたその時、ニースに背後から声をかけられてびくっと驚く。


「え…!?な、なに!?」

「忘れ物…お前、母ちゃんの腰痛の薬もらいにきたんだろ?」

「あ…」

「大丈夫か?お前…熱でもあるんじゃ…」


コルを心配したニースは、コルのおでこに手を伸ばそうとする。

しかし、コルはその手をするりと抜けて、ニースが持ってきた薬だけ受け取ると目も合わさずに扉から出ていってしまった。


「だ、大丈夫だから!じゃあな!!」

「おい、急に走るな!ぶつかるぞ!」


と、ニースが注意した途端、コルは目の前の壁にぶつかる。

ニースはかけよろうとしたが、コルは「傷は男の勲章だからー」と意味不明なことを叫び、ニースを制する。

逃げるように走り去っていくコルを見つめながら、ニースは遠目に彼のおかしな挙動を怪しんだ。


「なんだったんだ…一体…」


コルを追いかけようと一瞬考えたが、「先生さん、次は私を見ておくれ。」と診療所の外で次の順番を待っていた村人に声をかけられてしまう。

ニースはコルを追いかけることを諦め、渋々次に並んでいた村人を診療所の中に通すことにした。


「最近、目がぼやけてきて…近くのものが見えづらいんだよね…これも一つの病気じゃないかって心配で…」

「大丈夫ですよ。それは立派な老化現象ってやつで生きていれば誰でも通る道で…」


などという会話をしているうちに、ニースは先程のコルの挙動を、心配するようなことではないだろう、と結論づけ、記憶に蓋をした。

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