第五章 青い果実

第46話 青い果実(1)


 北海道の夏は短い。

 そう、つまり、夏休みが内地に比べて短い。


 その代わり、冬休みが長いのだが、冬の長さに比べたら、夏なんて本当に短くて、お盆が終われば、もう気温が下がり始めて、気づいたら秋になり、雪が降り、また長い冬がやってくる。



 学校祭が終わり、始まったこの短い夏休みをどうすごすか……

 高校生になったばかりの普通の少年少女たちであれば、夏休みの課題なんて放ったらかして、とにかく外で遊ぼうとするだろう。

 海に行ってもいい、山にキャンプでもいい。

 そして、二学期が始まった頃には、いつの間にか気になるあの子が大人になっていたりする。

 そういうものだ。

 普通の少年少女ならば。


 しかし、彼は違う。


 必死に修行をしていた。

 何しろ、わざわざ家業を継ぐために、長い夏休みがある内地から遠く離れた、北海道にいるのだから。

 それも才能がないと周りから散々言われている、祓い屋になるために。



「違う!! もっと集中しろ!! 見えるようになったからと言って、調子にのるな!! 馬鹿者が!!」

「は……はい!!」


 蓮はあの日、妖怪である金花の唾が目に入ってから、今まで見えなかった妖怪や幽霊の姿がすっかり見えるようになった。

 姿も見えるし、声も聞こえる。


 こうなる前は、目の赤みが取れたら元に戻るのではないかと思われていたのに、10日以上たち、赤みが取れてもなお、見ることができるままだった。


 見えると見えないではこうも違うのかというくらい、蓮はメキメキと成長して、今までのような頓珍漢な行動をとることは少なくなっている。


 だが、一昨日から夏休みが始まったせいなのか、どこかいつもより浮ついているように見えて、特に今日は朝から鏡明に怒られていた。


 朝の稽古が終わり、休憩に入る。

 鏡明はこの後、近所の神社の祭りの打ち合わせに行くらしく、蓮は夏休みの課題をできるだけ終わらせるように言われている。

 お盆が来たら、祓い屋の仕事が増える為だ。


「蓮、学校の課題とやらはどこまで進んだ?」

「まだ全然終わってなくて……でも、今日は友達と図書館で集中してやる予定だから、いいところまで行けると思う」


 蓮は課題のことを鏡明に聞かれて、一瞬ドキッとしたが、悟られないようにごまかして、浅見の作った朝食を食べると、そそくさと祓い屋道場の庭に停めてある自転車に乗った。


「あいつ、何かわしに隠していないか?」


 鏡明は小首を傾げ、眉間にシワを寄せながら浅見に聞いた。


「さぁ……あの年頃ですからね、ついに彼女でもできたんじゃないですか?」

「彼女……?」


 鏡明は少し嫌な予感がしつつも、いつもの癖で首の後ろを掻きながら、自転車を漕いで行く孫の後ろ姿を眺める。

 そして、その孫を眺めている鏡明もまた、癖で首の後ろを掻いていた。





 * * *



 図書館で課題をやると言っておきながら、蓮が向かったのは、隣町の大きな公園だった。

 日向で遊具で遊ぶ子供たちとは反対に、日陰のベンチに座って読書をしている雪乃は、雪女に変化するようになってから夏の暑さに弱くなってしまって、長い髪を後ろで束ねたポニーテールを風に揺らしている。


 少し離れたところから、蓮は自転車に乗ったまま、片足をついて雪乃に向かって手を振りながら声をかけた。


「ゆきのーん!」



 自分を呼ぶ声に気がついて、雪乃は本から目を離して、蓮の姿を見つけると、大きく手を振って応えた。


「レンレン!!」



 お互いにまだ少しその呼ばれ方に抵抗があるようで、なんだか気恥ずかしくなって顔を少し赤くしながら、雪乃は蓮に駆け寄ると、自転車の後ろに乗った。


 すると、近くにいた男の子が、雪乃の方を指差して言った。


「あーだめだよ!! コーツーイハンだよ!!」


 小さな男の子にそう指摘され、雪乃は笑いながら人差し指を口元に立てて、しーっと男の子に言って——


「お姉ちゃんは大丈夫なの」


 雪女の姿に変化して、子供の前から姿を消した。


 蓮は背中に先ほどとは違う冷たさを感じ、暑い夏にはちょうど心地いと思いながら、ペダルを漕ぎ出す。


「普通の人間だったら、確かに交通違反だね」

「うん。でも、私は普通の人間じゃないから、大丈夫」


 自転車は目的の場所へ向かって、また走り出した。

 後ろに、雪女を連れて————



(幸せすぎて、怖いくらいだわ……)


 雪乃はそう思いながら、蓮の背中にぴったりとくっついた。


 この幸せがいつまでも続けばどんなにいいかと、思っていた矢先、また事件が起こる。




 ちょうどこの頃、あの能面の女が、捕らえられていた牢から逃げ出したという知らせが、鏡明と浅見、そして、雪兎にも届いたのである————





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