甘夏 / 苫津そまり
追手門学院大学文芸部
第1話
俺は甘夏が嫌いで、対するケーコは甘夏が大好物だった。
愚かにもケーコのことを好いていた幼き日の俺が、彼女におやつの甘夏を譲るためについた可愛らしい嘘。……だったのが、自己暗示とは恐ろしいもので、いつの間にやら本当に嫌いになっていたというワケだ。
「あっつい!」
ゴールデンウィーク、それはちょっとしたパラダイスであり、大量の課題を課される一週間でもある。楽しい十連休も終盤に差し掛かった。例年通り課題を最終日まで残す気でいる幼馴染みのために、クーラーの壊れた俺の自室で勉強会を開いていた。
窓は全開、二つの扇風機は共に強風。五月上旬にあるまじき猛暑(なんと三十度もある!)に釣られて出てきたセミの声がすこぶるうるさく、麦茶に放り込んだ氷は既に溶けきっている。
「叫んだところで、勝手にクーラーが直ったりはしねぇぞ。口動かす暇があるなら、手ェ動かしたらどうだ」
「うー、そうだけど……。てか、アヤイチだって喋ってばっかりじゃん」
「はっはっは、俺はもう終わったんでな。悔しかったらとっとと課題片付けろよ」
呪詛めいたものを吐きながら課題に戻ったケーコを少し不憫に感じた人の良い俺は、つとめて明るい声を出した。
「そーいや、ばーちゃんちから甘夏送られてきたんだった」
「マジで!?」
「マジで。食う?」
「食べる食べる! ……って、お母さんに無断でいいの?」
「いいよ、どうせお前んちにお裾分けするだろうから。今年は豊作だったとかで、いつにも増して大量に送られてきたしな」
「やったー! これでこの猛暑も耐えられる!」
「んじゃ、戻ってくるまでにここまで進めとけよ」
ニコニコと今にも小躍りしそうな笑顔を浮かべるケーコにそう告げると、うってかわって泣きそうな表情になった。本当にからかい甲斐のある奴だ。
「アヤイチのバカ! イジワル! 魔王!」
「どうとでも言っとけ」
一階の台所に降りて甘夏とナイフを手に取った。厚い外皮はもちろん、俺は親切だから内皮も剥いてやる。自分は食べないくせに、気付けば皮を剥くことだけは得意になっていた。代わりにケーコの嬉しそうな顔が見られるから良いのだが。
皿を持って自室に戻ると、ケーコが唸りながら数学の証明問題と格闘していた。
「進んだか?」
「進んだ! というか進めたわよ!」
「おー、偉い偉い。って、ほとんど飛ばしてるじゃねーか」
「私が十分そこらでこれだけ解けると思う? むしろ大問四を解けたのは末代まで語り継がれるべき偉業よ!」
「自力で? お前にしちゃすごいな。さて、応用問題が解けたなら基礎も解けるはずだよな?」
「……甘夏は?」
「終わるまで出しませーん。一個だけ食って頑張りたまえ。ホレ、あーん」
……俺は何をしているんだろうか。こういうのは普通、恋人どうしでやるものじゃないのか?
とはいえ今更出した手を引っ込める事もできない。ああ、もう、なるようになれ。
「子供扱いしないでよ。食べるけど!」
ぱくり、と。おもむろに開かれた唇へ、夏ミカンが吸い込まれる。咀嚼して嚥下する姿から、なぜか目が離せなかった。
「……何よ」
「子供扱いっつーか、餌付けだよな」
素直じゃない俺は思ってもいないことを口走る。
「……
「バカで結構。……いやお前、今綾一つった? わりと怒ってる?」
ケーコが俺のことを綾一と呼ぶ時は、たいてい怒っている時なのだ。
「怒ってませんー。けどアヤイチが罪悪感に苛まれてるなら許してしんぜよう。お礼はその夏ミカンのお皿でいいよ」
「へーへー、差し上げますよ」
「やったぁ!」
調子のいい奴め。しかし俺はケーコには甘いな、とつくづく思う。
――本当は気付いていた。甘夏をつまみながら数式を解くケーコの頬が、甘夏を食べさせた時からオレンジ色に染まっていることも。俺の鼓動が、確かに速まっていることも。俺がいまだに、ケーコのことを好きだということも。
いっそ想いを伝えてしまったら楽になるだろう。好きだ、と一言。たった一言だけなのに。言えない、薄皮一枚がもどかしい。
「……なあ」
「なーに?」
「春祭り、一緒に行かね?」
「……うん、いいよ」
後のことは頼んだぞ、未来の俺。
あとがき
お初にお目にかかります、苫津そまりと申します。
さて、ご挨拶もそこそこに。このお話は高校三年生の時に発表した作品を、もともとの構想に近づくよう加筆修正したものです。主に季節が変わりました。甘夏の旬は初夏あたりなのです……。
なにゆえ新作を出さなかったかといえば、ひとえに私の遅筆が原因というか、いつの間にか〆切り三日前になっていたというか、なんというか、ごにょごにょ。
言い訳はこの辺にしておいて、私はお暇しましょう。それではまた、いつぞや。
甘夏 / 苫津そまり 追手門学院大学文芸部 @Bungei0000
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