第6話 06

「夕飯はどうするの?」

彼に聞かれ、私はパンフレットを再び見る。

「このショッピングモールの最上階にあるレストランが、夜景もきれいで美味しいみたいなんですよ。良かったらそこに行きませんか?」

そう提案すると、今まで優しげだった彼の瞳が急に険しさを帯びた。

なにかまずいことを言ってしまったのだろうかと思い押し黙ると、殺し屋さんがぐいと私の肩を抱き、自らの方に引き寄せた。そのまま柱の影に入り、取り出したキャップを目深く被ると顔を隠した。

すぐ目の前に彼の胸があり、その胸板の硬さと感じる彼の体温に鼓動が速くなる。

「あ、あの……」

「しゃべるな」と素早く彼が言う。それは先程までの柔らかい口調ではなく、仕事モードのときの声だった。

そのままの状態がしばらく続く。彼に抱きしめられていることを自覚して、心臓の音が耳元でするくらいうるさくなり、私は思わず目をつむる。

(よ、よく分からないけどこの状態は心臓に悪い……!)

恐らく、この状態でいたのは数分のことだったのだろうが、私にはかなり長い時間が経ったように感じられた。不意に殺し屋さんがふうと息をつき、張り詰めた空気が消えたのがわかった。何事かと顔を上げると、キャップをとった殺し屋さんが困ったように笑った。

「ごめんね。どうやら僕を狙ってる刺客がいたみたいで」

「え……!?」

(刺客って、あの!?)

殺し屋も同業他社の殺し屋に狙われることがあるのか、と私は驚く。

「そんな、だったらもう帰ったほうがいいんじゃないですか?」

そう不安げに言うと殺し屋さんが首を振って微笑む。

「大丈夫。相手は僕より格下だからね。でも、どこで気づかれたかな……。まさかゲームセンターか?」

その呟きにはっとする。

(私がシューティングゲームなんか勧めちゃったから……?)

あの銃さばきをみていた刺客が、殺し屋さんの正体に気付いてしまったのかもしれない。

「すみません、私のせいで……」

「いや、いいんだ。……」

そう言いつつも、あたりを伺う彼の目は鋭い。

「……そうだ、最上階のレストランに行くんだっけ」

「は、はい。でも、まだ夕飯を食べるには早いので、公園に行くのはどうでしょうか?」

そう尋ねると彼は少し考えたあと頷いた。

「いいよ。じゃあ、行こうか」

そう言って笑う彼を不安げに私は見つめた。


一度ショッピングモールを出て公園に入る。

(公園に来るなんていつぶりだろう?)

私はさっそく誰もいないブランコに駆け寄った。私の隣に殺し屋さんも腰掛ける。

ゆっくり揺らしながら噴水を見ていると、その近くで遊ぶ親子連れが目に入った。

仲の良さそうな夫婦と、そんな二人にたっぷりと愛情を受けて育ったのだろう幸せそうな男の子。

(……なんかいいなあ)

私も今日死ななかったら、この先あんなふうに誰かと幸せになっていたのだろうか。

(まあ、そんなことを考えても無駄か)

そう思いながらちらりと殺し屋さんの方を見ると、彼もその夫婦たちを見つめていた。夕日で少し彼の顔が陰り、どこか寂しそうな顔をしているような気がした。

(殺し屋さんも、ああいうのに憧れるのかな)

そもそも、殺し屋さんの両親は健在なのだろうか。だとしたら、両親も殺し屋なのだろうか。

聞いてみようと口を開きかけたが、デートの最中に話すようなことではないと思い、すぐに閉じた。そして前を向き、ブランコをゆっくりと漕いだ。

デートだというのに悲しい気分になってしまって、私はなんとか気分を切り替える方法を考える。そして、ふと思いついた遊びを殺し屋さんに提案してみることにした。

「あの、良かったら私と靴飛ばしで勝負しませんか?」

そう言うと彼が驚いたようにこちらを見た。不思議そうな目で見つめられて、気まずくなって私は視線をそらす。

「な、なんだか恋人っぽいかなあと思って……。駄目ならいいんですけど」

そうフォローするように言うとくすりと彼が笑った。

「いいよ。勝負しようか」

そう言うと彼がブランコを漕ぎ始めた。そして、勢いをどんどんつけていく。

一番高く上がったとき、彼が靴を放り投げた。靴は放物線を描いて少し先の砂場のあたりに落下した。

「わ、すごい!」

殺し屋さんはさすがに運動神経が良いみたいだ。

(うーん、どうやったら勝てるかな)

そう脳内で何度もシミュレーションをする私を楽しそうに殺し屋さんが見つめた。


「ううー。さすが、すごいですね!」

あれから何回も靴飛ばしをしたが、ついに殺し屋さんを打ち負かすことは出来なかった。

「君もなかなかいい線いってたと思うよ」

そう言われ、お世辞とわかっていても嬉しくなる。

「あ、ありがとうございます!」

靴を何回も取りに行ったことでちょっと息が弾み、私は再びブランコに腰掛けて息を整える。いつの間にか親子連れもいなくなり辺りは静まり返っていた。夕焼けが私たちの顔を赤く染める。

二人で並んで夕日を眺めていると、殺し屋さんが口を開いた。

「どう?朝に君がした要求としてはこれでよかった?」

「はい」と私は頷く。手首の腕時計を見て、タイムリミットまで時間がさほどないことになんだか悲しくなった。

ぼんやりと沈みゆく夕日を見る。こんなにきれいな夕日を見るのはかなり久しぶりなことだった。

「綺麗な夕日……」

そう呟くと彼も微笑み、頷いた。

「そうだね。……」

彼は再び口をつぐみ、そして

「……たまには、こういうのも悪くないな」と呟いた。

私はちらりと彼の横顔を見る。

(少しは息抜きになったかな……?)

彼にとっては仕事の最中なのだから完全にはくつろげないだろうが、少しはリラックスしてもらえたなら嬉しい。

「これからは一仕事終わったときに、こうやってゆっくりしたらいかがですか」

そう提案してみる。彼が黙ってこちらを見た。

「あ、でも、本当なら今日の朝に一仕事終わるはずだったんですもんね。あはは、私のせいですみません」

そう言って笑うと「いや、いいんだ」と彼が首を振った。

「仕事は長引いちゃったけど、そのお陰で今日はいろいろなことを経験できたからね。最初は君が何を言い出したのかと思ったけど、いざデートをしてみると中々楽しくて……」

そう言って殺し屋さんが頭をかいた。

「……こんなふうに遊べる日が来るなんて、思ってもみなかった」

そう言って彼が目を伏せた。私も悲しくなって俯いた。

休日の過ごし方として当然に思えることも、殺し屋さんにとっては当たり前のことではないのだ。もしかしたら、私が普段つまらないと思いながら過ごしていた毎日も殺し屋さんにとっては羨ましい安息の時間だったのかもしれない。

「……まだ、夜まで時間はありますから、あちこち見て回りましょう。お互い、やり残したことがないようにしましょうね!」

そう殺し屋さんを励ますように言うと、「そうだね」と彼が私を見て微笑んだ。

(残された時間を大切にしないと……!)

そう意気込む私を殺し屋さんが黙って眺めていた。

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