第2話 02

とうとうデートに出発することになり、私はどきどきしながら殺し屋さんのほうを振り向いた。彼は先程までと同じファッションで、腕を組みながら玄関横の鏡に寄りかかっていた。彼はかなりカジュアルファッションで、なんだか私だけが張り切っているみたいで大変恥ずかしい。

「あの、さすがにマスクはとりませんか?一応デートなんですから……」

そう遠慮がちに言うとじろりと座った瞳を向けられた。

「素顔を見せて警察にでも行かれたら困る」

「そんなことしませんよ……」

彼は私を探るように見たあと、手に持っていた肩掛けのかばんを私に見せた。

なんだろうと覗きこめばチャックがあいてそこから銃口が現れた。それを見て、ぎょっとして後退る。

「この中で銃を構えている。少しでも妙な真似をしたら殺す」

「はーい……」

私は小さく両手を上げ、無抵抗のポーズをとった。


結局殺し屋さんはマスクをとってくれなかった。残念に思いつつ私たちは駅へと向かう。

休日だからか電車内はかなり混んでいた。周りの人に押され、殺し屋さんと密着するように乗る。

彼のかばんが胸のあたりに当たる。その中の銃口が心臓の位置を捉えていることに気づいてひやりとした。

(怖い……)

電車の揺れで誤って発砲したりしないだろうか。まあ、殺し屋さんならそんなヘマはしないだろうが……。

(きっと腕のいい殺し屋なんだろうなあ)

そう思いながら彼の顔を見る。彼は今、片手でスマートフォンをいじっていた。

近くでまじまじと彼の目元を観察する。

(結構まつ毛が長い……)

殺し屋さんはやはり美形なのだろうか。

「……なんだ」

怪訝そうに彼が私を見る。かばんの中に入っている手がかすかに動いた気がして、挑発しないようぶんぶんと首を振り、用事がないことを伝えた。

殺し屋さんがまたスマートフォンに目を落とす。どきどきしつつも私は凝りもせず彼の目元を見て、彼の素顔を脳内で勝手に作りあげ始めた。


ふと、何かが臀部をなでたような気がした。

(何かあたったのかな?)

そう思って気にしていなかったものの、だんだんそれが何度も当たるようになってきて、ついには撫でられているとはっきりと分かるようになった。

(え!?痴漢!?)

生まれて初めて遭った痴漢に、体が強ばる。

(今までズボンしか履いてこなかったから被害に遭わなかっただけかな……)

どうしようと躊躇う。声を上げるべきかもしれないが、いざあげようとするとなんだか怖くて思わず躊躇ってしまう。電車内の静けさが余計に声を上げづらくしていた。

その間にも抵抗しないのをいいことに痴漢の手は大胆になってくる。ワンピースの裾がまくりあげられ始めたのに気づいて心臓がきゅっと縮むのが分かった。

(いや、やだ、なんでこんな目に遭わないといけないの?)

よりによって初デートの今日に。命日となる今日に。

(殺し屋さん……)

助けを求めるように彼の服の裾をぎゅっと握る。何事かとちらりと彼が私を見た。

私が必死に目で訴えていると、殺し屋さんが今度は私のすぐ後ろにいる男を見た。

「……」

彼の瞳がすうと細められた。

「おい」

低い声がした次の瞬間に「いててっ」と悲鳴が上がった。驚いて振り向くと殺し屋さんが男の腕をひねり上げていた。

「このご時世で痴漢か。呆れたもんだな」

必死に抵抗する男をいともたやすく片手で抑え込みながら殺し屋さんが続ける。

「二度とこんなことをするんじゃない。……殺すぞ」

そう言ってぎろりと男を睨みつけた。その鋭さと気迫に男が震え上がる。

「降りるぞ」

殺し屋さんはそう短く言うと、扉が開くのと同時に私の腕を掴んで引っ張った。私は引きずられるように彼の後をついていった。


「あ、あの、ありがとうございました」

改札を出てから頭を下げる。

「別に大したことじゃない。行くぞ」

そう言って手招きをする。私に前を歩けと言うことだろう。

私は頷くと彼の前に立った。背中に中で銃を構えたかばんが当たるのがわかる。

(デートって言ってもこんな状態じゃなあ……)

そう思ってため息をつく。無茶振りを聞いてもらっているのだから、あまり文句は言えないのだが。

(それに、さっきのはなんだか恋人同士ぽかったし……)

痴漢から助けてもらったことを思い出して自分の顔が赤くなるのが分かった。


「ちょっと待て」

映画館までいく道中に、ぐいっと強い力で腕を掴まれて、私はびくりとして足を止めた。

彼が目を向けているのは、おしゃれなブティックだった。殺し屋さんは何も言わず、私の腕を引っ張りその中に入っていく。

目を白黒させる私を横目に適当に近くにかかっていた服を手に取ると更衣室の前に立った。

彼の行動が理解できずぽかんとしていると、殺し屋さんが口を開いた。

「服を着替えてくる」

「え?服?」と思わず聞き返す。

「このままの服でデートして欲しいのか?」

殺し屋さんの服はグレーのパーカーとカーゴパンツ。キャップやマスクと相まって、どうみても不審者だ。

「……いや、着替えてください」

「それならそこで待ってろ」

そう言って近くにあったベンチを指差す。

「え?私のことを見張ってなくていいんですか?私も一緒に更衣室に入ったほうがいいんじゃ……」

そう言うと殺し屋さんが私を見た。仄暗い瞳に見つめられてどきりとする。

「お前は俺の裸でも見たいのか?」

変な誤解が生まれてしまい、私は瞬時に首を振る。

「いえ、見たくないです」

「だったらつべこべ言わずそこで待ってろ。言っとくが、逃げてもお前の場所はすぐに分かる。変な気は起こすなよ」

「……はい」

(逃げる気なんてないのになあ)

信頼されないのは仕方ないことだ。私は彼が更衣室内に消えるのを見届けてからベンチに腰掛けた。


数分後、更衣室から出てきた殺し屋さんは、先程の彼とは別人と見違えるほどの好青年に変わっていた。白いワイシャツの上に着た赤色のセーターと紺色のジーンズを着こなした彼は、一瞬モデルかと思ってしまうほどかっこよかった。

ぽかんとして彼を見つめる私に、殺し屋さんが頬を掻く。

「……あんまりじっと見られると恥ずかしいんだけどな」

先程とは打って変わって口調が柔らかい。「す、すみません」と私は思わず謝った。

溢れ出ていた殺気はパーカーと共に脱ぎ去ってしまったのか、今の彼は誰が見ても優しそうな、温厚そうな雰囲気の青年だった。こんなルックスの人に口説かれたらきっと悪い気はしないだろう。甘い顔をした彼は、身長こそ高いが私よりも年下のように見えた。

しかし、こうして見ると意外と体はがっしりしているのがわかる。決して太っているわけではなく、どちらかというと細身な彼だが、ひょろりとはしていない。

(やっぱり体を鍛えてるのかな……)

先程の痴漢男をひねりあげた光景を思い出して、私は感心した。

「じゃあ、これ買ってくるから。そのあと映画館に行こうか」

そう言われ頷く。ここだけ切り取って見ると本当にカップルみたいだ。

(さっきまでは私に銃口を突きつけてたのになあ)

私は店員さんににこやかに話しかける彼を複雑な思いで見つめた。

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