LAST TRIP

ソメイヨシノ

1.任務


殆どない記憶の中、幾つか覚えている事がある。

幼い頃、自傷行為を続け、痛さで、自分の存在を確認していた。

刃物らしいもので腕などを傷つけると、赤い血が出てくる事にホッとした。

痛いと思える事に安堵して、眠りにつけた。

だが、それだけでは安心できない。

人間には本当に赤い血が流れてるのか、本当に痛いと思うのか、試さなければ、震えが止まらなくなった——。

護送車の中、ガタンと大きく揺れる。

道が悪いのだろう、さっきから揺れが激しい。

トンネルに入り、窓の景色が真っ暗な闇になる。

闇に映る自分は、長さの決まってないボサボサの蒼い髪と、その前髪が目を隠し、チラチラと見え隠れする瞳はブルーに、爛々と光って見えて、まるでモンスター。

薄汚れた顔。

荒れた唇。

ヨレヨレの服とジーンズ。

手首には手錠。

裸足で汚れた足。

年齢は17歳になった。

まだ子供だと、リグドは笑った。

昨日の出来事——。

ラストトリップ、通称LTを手で弾き、宙に飛ばすと、うまく口の中へ入れて、笑う。

リグドの口の中でLTが噛み砕かれる音がする。

「ほしいか? シンバ」

LTほしさに這い蹲る俺の頭を踏みながら、軽快な口調で聞いて来る。

リグドは、狭い部屋の中を見回し、クックックッと喉を慣らし、楽しそうに笑いながら、

「お前は前世紀の子供みたいだな、加減ってものを知らない」

と、血がべったり付いた壁を見ながら言う。

狭い部屋には、俺が殺したであろう人間が数人、重なるように倒れている。

「シンバ、もうすぐここにセク隊が来る。オレが呼んだ」

俺は目を丸く見開き、リグドを見上げた。

セク隊とは、セキュリティークイックの略語で、この国の安全と秩序を守る為に、何事にも素早く対応できるという組織で、特殊訓練を受けた最強とも言われる部隊の事。

「そんな顔するな、お前を売った訳じゃない。寧ろ、これからだろ、オレ達は」

と、俺と目線を合わせるように、リグドは腰を低め、楽しそうな顔を絶やさない。

「お前はグールダールに入って、レンダー・バミッシュという男に接触する。そして、その男を殺して来るんだ、お前にとったら簡単な任務だろ?」

俺の頭をグシャグシャにして撫で回しながら、

「大丈夫大丈夫、お前ならできるって」

まるで、逆上がりのできない子供に言い聞かすように言う。

小刻みに震えながら、首を左右に振る俺に、

「そんな震えながら哀れな顔するなよ、まるで捨てられた子犬だ」

と、笑う。

震えているのは、自分でもわかる。

恐怖とか、悲しみとか、そういう感情のせいではない、只、LTがきれて、勝手に震えるんだ。

哀れな顔をしていたかどうかは、自分ではわからないが、リグドがそう言っていたなら、俺は哀れな顔だったのだろう。

哀れな顔って、どんな顔だったんだろうと、窓に映る自分を見つめる。

トンネルを抜け、窓に景色が映り、俺は少し俯き、手首の錠に目をやる。

LTのきれた俺は逃げる事なんてできない。

セク隊にではない。

リグドから逃げる事なんて絶対にできない。

だから俺はリグドの言う通りにグールダールに行く。

そこは牢獄で、そこから抜け出した者は一人もいないと言われている。

でもリグドは言っていた。

俺ならできるって——。

「キミ、どっかで会ってない?」

隣の奴が小声で話しかけてくる。

見ると、ダボダボの服装のせいか、やけに小柄に見えて、細い顎の線が綺麗な男だ。

帽子を被っていて、表情までわからないが、小声でもわかる少し高めの声が、まともじゃないと思わせる。

「ねぇ、なんで捕まったの?」

何も答えない俺に更に質問。

「あのさぁ、キミ、ちょっと悪そうだから聞くんだけど、グールダールって広いのかなぁ?」

何度かグールダールに入っていると思われたようだ。

俺はフッと笑い、再び手首の錠に目を落とす。

「笑えるんだ!? へぇ。暗い顔してるから絶対に笑わない奴かと思った」

そりゃ笑いたくもなる。

俺がグールダールに何度も行くようなヘマばかりする間抜けな奴に見えてるって事に。

大体、俺がグールダールに入ったら、二度と出て来れないだろう。

そんな安い犯罪を犯してるお前と一緒にしてんじゃねぇよ。

「でも笑ったって事はグールダールは広いって事? それって常識? だから笑ったの?」

知るかよ、グールダールなんかに興味ないんだ、俺は。

「ねぇ、キミ、名前は?」

ふと、俺は指の先がしびれてくるのを感じた。

「いいじゃん、名前くらい教えてよ」

名前を教えたくないんじゃない。

手首から先が震えだしてきた事に、それどころじゃないんだ。

ヤバイ!

LTがきれそうだ。

ここで暴れたら、レンダー・バミッシュを殺せない。

そしたらリグドにLTをもらえない!

「どうかしたの? 冷や汗が酷いよ? 酔った? 体調悪い?」

頼む、黙っててくれ・・・・・・。

車の揺れに合わせ、大袈裟に体を揺らす。

タイミングを計り、態と前のめりに倒れ、ズボンの裾に仕込んであったLTをさりげなく取り出し、LTを手の中に入れる。

「おい、そこ! ちゃんと座ってろ!」

見張りのセク隊に怒鳴られるが、素直に座り直せば、その注意だけで済む。

後はこの手の中にあるLTを口に入れるだけ。

手錠をしているから、両手を動かす事になる。

目立った行動にならないように、さりげなく、慎重に動かなければ。

LTの入った右手の人差し指で鼻を掻くふりをして、左手は口元を隠すように、そして右手の中指で手の平の中のLTを弾き、口の中へ入れる。何もなかったように、手を下ろし、再び、目線を手錠の嵌められた手首に落とす。

口は動かさず、LTを奥歯で噛み砕く。

誰も気付いてない。

気付いてない筈。

なのに、何故、突然、隣の奴は喋りかけて来なくなった?

まさか気付かれたのか——?

「おい、そこ! お前!」

突然、見張りのセク隊が立ち上がり、こちらに向かって吠え、書類を見ながら、

「ピース・ラバー? 変な名前だな」

と、こちらに向かって来た。

「どうした? 変な顔して?」

隣の奴の前に立ち、セク隊は不思議そうに尋ねる。

隣の奴は変な顔をしているって、どんな顔をしてるのだろうか、確認したいが、無闇に動けない。

LTの事がバレるかもしれない。

隣の奴が言うかもしれない。

どうしたらいい!?

ここで暴れたら何もかも終わりだ。

さっきとは違う冷や汗が流れる。

「・・・・・・うっ」

「う?」

「・・・・・・き、気持ち悪い・・・・・・」

「は? 車酔いか!? ピース・ラバー?」

「なんか胸の辺りが気持ち悪い。吐きそう」

「ま、待て、吐くな! 吐いたら、罪が余計に重くなるぞ!」

「そんなぁ・・・・・・」

「もうすぐ着く。我慢しろ」

その会話でホッとする。

只の車酔いか・・・・・・。

そして、もうすぐ着くのか・・・・・・。

レンダー・バミッシュという男は誰なんだろう。

グールダール配属のセク部隊にいるのか、それともグールダールの牢獄にいるのか。

緑生い茂る森の中に聳える要塞、グールダール。

護送車から下りると、点呼して、灰色の空が背景に似合う建物の中に入って行く。

着替えを渡され、奥へと進む。

消毒シャワーを浴びさせられる為、殺菌ルームへと向かっているらしい。

途中、牢獄への通路の前、セク部隊同士、敬礼し合った後、合言葉らしい事も言い合っている。

通路の前に配置しているセク部隊だけでも20人程。

厳重にも程がある。

セク部隊の一人がペットボトルで水を飲んでいるのを見て、自分も喉が渇き始めて来ている事に気づく。

舌先が痺れ出し、そろそろ指先にも震えが来るだろう。

LTの残りは僅か。

万が一、シャワーや着替えの時、残りのLTが見つかれば最後。

次にもらえるのは、レンダー・バミッシュを殺し、ここを脱獄した時だ。

とっととやる事やって、LTをもらわなければ。

そう思った瞬間、目の前を歩いていたピース・ラバーが突然、視界から消えた。

「!?」

いつの間に手錠も外したんだろう、小柄な癖にパワフルな攻撃と小柄だからこそ疾風のようなスピードで20人近くいるセク部隊を、あっという間に叩き潰した。

武道? 拳法? 少林? 柔道? 独自?

——なんにせよ、コイツ、強いなんてもんじゃない。

——俺と互角かもしれない。

——コイツ・・・・・・人間なのか・・・・・・?

「レン!!!! どこにいるの!?」

そう叫び、ピース・ラバーは通路の奥へと駆けて行く。

俺も含め、ピース・ラバーと共に来た犯罪者達は取り残された気分で、只、そこに立っているが、数人が、直ぐに我に返り、脱走する。

俺もこうしちゃいられない。

ピース・ラバーを追うように通路を駆け抜ける。

途中で倒れているセク隊。

「なんて奴だ・・・・・・一発で気絶させてやがる——」

ダボダボの服を着ていたが、155くらいの身の丈に細い指と小さな手を見ると、服に隠れた体は小柄な筈。

帽子を被っていて、よく見えなかったが、細い顎のラインと首は、確実に細身をイメージさせた。

そんな体のどこに、こんなパワーがあるって言うんだ!?

見かけによらないなんてもんじゃない。

左右の壁は檻となり、囚人達が吠えているが、何を言っているのか、よくわからない。

レンダー・バミッシュについて聞きたいが、素直に教えてくれそうな面じゃない。

ウーッと鳴り響くサイレン。

早い所、レンダー・バミッシュを探さないと、セク隊が集まってくる。

だがセク部隊の目はピース・ラバーに全て向けられるだろう。

グールダールでセク部隊をぶっ倒し、これだけ暴れたんだ、見つかったら、その場で射殺。

もしくは速攻、死刑台行きか。

あぁ、ヤバイ、他人の事より、自分の事の方が先決だ。

手の振えが止まらなくなってきた。

前から2つの足音。

ピース・ラバーと——。

囚人服を着た体格のいい男。

左目が刃物で切った跡で潰れている。

グリーンの右目と金髪の短髪。

短髪なのは、ここでそうさせられたのだろう。

コイツ等にレンダー・バミッシュの事を聞いてみようか。

「あ! ラストトリップ飲んでた奴!」

ピース・ラバーがそう言って、足を止めた。

護送車の中で俺がラストトリップを飲んだのを、やっぱり見逃してなかった!?

コイツ、何者なんだ!?

「LTを飲んでた?」

ピース・ラバーと一緒にいる男が尋ねた。

「うん、だからレンを助けるに面倒はごめんだなって思って、見て見ぬふりを決めようと思ったんだけど、やっぱ、なんかほっとけない」

——ほっとけない?

——俺の事をか?

今度は背後から複数の足音。

「やばっ!」

ピース・ラバーがそう呟くと同時に、

「大人しく手を上げろ、ピース・ラバー! レンダー・バミッシュ!」

と、銃を構え、ズラリとセク部隊が並ぶ。

俺はセク部隊がレンダー・バミッシュと呼んだ男を見る。

——コイツがレンダー・バミッシュ?

今更、余計に潰れた左目が気になる。

大きな特徴的なものが、ソレだから。

これは好都合なのか、不都合なのか、この状態で調度いい具合にLTが完璧にきれそうだ。

「おい、アイツ、LTがきれる寸前じゃないのか!?」

「そうかも」

ピース・ラバーとレンダー・バミッシュが耳打ちしている会話さえ、しっかりと聞こえる。

LTがきれて、数十分、体の神経が研ぎ澄まされ、小さな物音ひとつ、いや、音のない小さな風の気配すら、感じ取れる。

瞳はどんなスピードのものでもスローに見える。

小さな銃弾ですら、意図も簡単に避ける事もできる。

自分のパワーもスピードも自然界の法則を無視した桁外れの感覚を手に入れる。

「俺様がセク部隊を引き付ける。お前はアイツをなんとかしろ、LTが完全にきれる前に気絶させないと、厄介だぞ」

レンダーがそう言っているのが聞こえ、俺をなんとかできる奴がいる訳ないだろうと鼻で笑ってしまう。

「セク部隊を引き付けるって、レンひとりで!?」

「なぁに、アイツを片付けたら、応援頼むよ」

そう言うと、レンダーは手を上げて、大きな体を揺らし、こちらへ向かって歩いてくる。

「止まれ! 止まらないと撃つぞ!」

セク隊が吠える。

俺の真横をレンダーが通る瞬間、ドクンと心臓が鳴り、血液の流れが速くなり、LTがキレる寸前を感じる。

すぐ傍に狙いのレンダー・バミッシュがいる。

まだLTは完全にキレてはないが、今がチャンスだと、拳にチカラを溜めて、振り上げようとした瞬間、いつの間にか、俺の目の前にピース・ラバーが現れ、その拳をガッシリ握り締められた。

「キミの相手はレンじゃない」

ピースはそう言うと、薄いピンクの唇を微笑ませ、俺の腹部に思いっきり膝を入れた。

銃弾が聞こえる。

囚人達の笑い声や悲鳴、歌声も交じり合っている。

もう少しで完璧にLTがきれる。

まさか、その前に、この俺がやられる!?

このひ弱そうな奴に!?

そうか、俺はトリップしてるんだ。

なのに、いつもとは違う意味で意識が朦朧としてきた。

これは現実——!?

俺は消え行く意識の中で、リグドに何て説明しようか言い訳を考えていた。

「任務完了!」

誰かがそう言った——。


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