懲役22年の僕の人生

TEN

第1話 小学生・中学生時代の僕

いたって普通、いじめられっ子でもなく、いじめっ子でもなく普通の男の子だった。

あえて言うのであれば少し目立ちがりやではあったと思う。

それと少しだけ、女の子好きではあった。


小学5年生の時、クラスのみんなが帰るのを待って教室に残り担任の先生と二人きりになるのを待って『キスしてくれないと帰りません』と先生を困らせ、キスをして貰っていました。


他にも6年生の女子のお友達とも良く遊んでは帰る時にキスをしていました。

普通ではなく、マセガキですよね💦


私は関東の外れの県に生まれ育ち、田舎ゆえに対した遊びもなくサッカーやボクシングを少し習っていました。

頭は良くありませんでしたが、運動は出来る方だったので何をやっても大人には良く誉められました。

しかしボクシングもどうしても汗臭いのが好きに慣れず辞めてしまいましたが、今思うと嫌な理由を探しては辞めていたのかも知れません。


私は地元の中学に進学しましたが、地元では一番悪いとレッテルと貼られた中学校でした。

中学に入り環境もあったのかも知れませんが、目立ちがり屋の僕は率先して悪いことをしていました。

中学2年生になる頃には少年鑑別所に28日間入所させられ、その後は教護院に入れられました。

鑑別所は少年院の手前の物で、大人の世界で言うと刑務所が少年院、留置場が鑑別所、教護院が拘置所の様なものでしょうか。

初めて鑑別所に入った時の事を鮮明に覚えています。

部屋は小さく、窓には鉄格子があり、ドアは自分では開閉することが許されずトイレも部屋にあり、中学二年生の私にはどれも驚愕でした。

私はこの時を含め鑑別所には3回入ることになってしまいました。


28日後に家庭裁判所で審判があり、私はこれでやっと家に帰れると勝手に思っていました。

結果は教護院送致と言う事を言い渡されましたが、なんの事やら直ぐには理解出来ませんでした。

言い渡された直後、ドアの奥から3人の大人が僕の方に向かってきて、私の手首に手錠を掛けその人達と一緒に教護院に連れて行かされました。

教護院は少年院の1歩手前の施設で、今は児童自立支援施設と呼び名が変わっています。


教護院は鑑別所とは違い鉄格子ではなく集団生活で自由はもちろん有りませんでしたが、食事はとても美味しくおかわりも出来たので食事の面では良かった思い出です。


ここでどの様な生活を送っていたかと言うと、平日は朝6:30に起床

そこから洗面をして、各自掃除分担があるので掃除をして、その後に朝食があり歯磨きをして、前日の夜に書き上げた日記帳があるので、その日記帳に書かれたコメントを見てから学校に行くので、制服に着替えて登校します。


この教護院の施設内に学校があり、そこに小学生、中学生が通えるようになっています。

私がいた時は小学生が居ませんでしたが、途中から1人だけ小学生が入園してきました。

中学生は私を含め数名居ましたし、女子も数名居ました。

私は頭が良くないので小学5年生の勉強から始めましたが、全く授業を真面目に受けることはなく、出鱈目にやっていました。

学校での授業が終わると男子寮に帰り、その後に昼食を食べてから野球の練習をして17:00位に寮に戻り、洗い物や掃除をしてから夕食の準備をして食事になります。

食事が終わった後は、後片付けをしてホールに集まり、1時間日記を書いたり勉強をします。

それが終わってやっと自由時間になります。

自由時間の間はテレビを観たり、本や雑誌、音楽を聴いても良いですし、勉強をしてもかまいません。

お風呂にはこの時間帯に入りますが、先生方とも一緒に入るので5名づつ位で入ります。

21:00に就寝になるのですが、就寝前には毎日必ずおやつが出ます。

寮は結構広く、ホールでほとんど生活をしていて、ホールの中に部屋が有ります。

部屋は全部で5部屋あり、そこに13~20名位で生活をしていました。

中には施設から高校に通う人や就職活動をしている人も居ました。

ほとんどの人は中学を卒業すると同時に施設を卒園するのですが、まれに施設に残る人もちらほらといます。

休日は何をしているかと言うと、起床は8:00で朝食をとり掃除をしてその後は昼食まで自由時間となっています。

午後には野球の練習があったり、学園内の掃除をしたりしています。

学園では、様々な行事があります。

学園祭があったり、運動会があったり、催し物だったり、野球大会に卓球大会、水泳大会や吹奏楽等も様々な事があり、経験が出来ました。

吹奏楽では私はクラリネットと言う楽器をやらせて貰い、横浜にあるものすごい広い会館で演奏をしたのを今でも鮮明に覚えています。

その他、水泳大会、卓球大会にも出ました。

中でも野球大会では関東大会で準優勝し、兵庫県明石市で行われた全国大会でも3位になりました。

私はレギュラーでレフトを守っていました。

この様な事は本当に楽しく、その時は全てを忘れられ心から楽しめていた気がします。

学園祭はとにかく楽しみで、通っている中学の担任の先生方も来てくれました。


私が中学を卒業する時には、ちゃんと地元の中学の卒業式に出ましたが、その時は本当に楽しかったのを覚えています。

中学を卒業した後は私は高校を選択することはしないで就職活動をしていて、段々と学園の生活に嫌気がさしてきて、学園を脱走することにしました💦


脱走は数回繰り返していましたが、この度に学園の先生方に連れ戻されていました。

脱走して何をするかと言うと、暴走族の集会に出たり、女の子とSEXをするために学園から逃げ出すのです。

元々これも環境でしょうか⁉️

中学に入った頃にはバイクに興味を持ち、タンランやボンタンを履きバイクで学校に通っていました。

そして中学を出たら、絶対に暴走族をやろうと決めていたので、結局中学時代に悪いことをして施設に入っていたのにも関わらず、中学を何とか卒業したのにも関わらず、また自由を勘違いしバイクに乗り、悪さをしてを繰り返して、2度目の鑑別所に入り、初めての少年院に入院することになってしまうのです。

あの時の先生方、学園の皆には本当に迷惑を掛けてしまったと思います。

思えば、出会いが悪いものばかりではなく、凄く心配してくれる先生達や、同じ様に環境の中、悪い子ばかりではないのに、やり直すチャンスがあっても、自分な自我をコントロール出来ない自分がいて、情けなくなるばかりです。

みんな元気でやっているだろうか⁉️

何をしているだろうか⁉️

『会いたい』と身勝手ながら思ってしまう。

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