ヒグラシの四季
鵜沼 柿男
ヒグラシの四季
毎日同じようなことをして過ごす日々に飽きてしまったので、気分転換として、「私」の心の中で「あなた」に対する恋心が積もり積もっていた頃の話を文章にしようと思う。
あなたには今更何を言ったら良いものであろうか。
なぜなら私は「告白するから振ってください」と、あなたを呼び出しておいて、告白しないという意味不明の行動をしているからである。この行動の意味不明な点は大きく2点であろう。1つ目は、〈なぜ「振ってくれ」と頼んだのか〉という点、2つ目は〈なぜ告白しなかったのか〉という点である。この際、この2点は明確にしておこうと思う。
1.なぜ「振ってくれ」と頼んだのか
理由は簡単で、目立つことのない日陰暮らしの私が告白したところで、あなたから良い返事をもらえるとは、到底思えなかったからである。と言うと、「告白する前からあきらめるなよ」と日向暮らしの人々から言われそうであるが、恋というものとはほとんど無縁な私には、この告白が上手くいくとは、どうにも思えなかったのである。
では、なぜそもそも告白しようと思ったのか。それは最初からあなたと最後の別れをするつもりであったからである。告白して振られれば、潔く次へと心を切り替えられるであろうと思っていた。しかし会ってみると未練が少なからず沸いてしまうものである。この時、自分が想像以上に男らしくない男であるということを初めて知ったのである。
2.なぜ告白しなかったのか
告白するために会いに行った時は、夏休みに行われる大学の研修で疲れ果てていた。疲労困憊の日陰暮らしが万一、日に当たってしまうとバタッと倒れてしまうのは想像に難くない。でも、その日は日に当たってしまったのである。母校の最寄り駅のホームで出会ったあなたは、真夜中であるのに実に眩しかったのである。
このように恥ずかしい文をすらすら書ける頭が、その光に当たった瞬間、全く動かなくなり、告白どころではなくなってしまったのである。
どうしようもないので告白しないまま緋色の電車に乗り込んだ。緋色の電車は物心ついた時から慣れ親しみ、高校生の時は通学にも使った電車である。このような恥ずかしい気持ちでこの電車に乗る日が来るとは、昔の自分は思ってもいなかったであろう。次の日、大学のある街へ向かう途中の高速バスの車窓には、紅くなりつつある山々が広がっていた。
情けない姿を書き記した後で恥ずかしい限りであるが、高校3年生の時から告白して数日後まで、私はあなたのことが好きであった。あちこちで可愛いと評判のあなたのことを好きと言えば、ほとんどの人が「お前、彼女の顔が好きなんだろう」と言ってくるであろうが、それは半分正しく、半分違う。もちろん、あなたの容姿が私の直球ど真ん中であるから好きであったというのもある。でも容姿だけで考えれば、あなたより浜辺○波の方が好きである。では、容姿のほかにどこが好きだったのか。
容姿のほかに好きになったところは大きく2つある。
1つは、しっかりと全体のことを考えて行動しているところである。それは春の遠足の時のことである。全てがいい加減な班で大丈夫なのであろうか、と思いながら薪をくべて燃やしていた時に、あなたは誰よりも手際よく動いててて、さらに誰も考えてすらいなかったが、無いと困るパンケーキ用のクッキングシートまで準備していた。そんな全体のことを考えて行動をしているあなたを私は好きになった。
もう1つは、無邪気なところである。これは、夏の体育の授業の時のことである。運動は何をやってもダメな自分は、バレーのサーブを打つととんでもない所へとボールが飛ぶ。大抵は自分でボールを取りに行くしかないようなところへ飛ぶのであるが、その時のボールはあなたのいる所へ飛んで行った。(言うまでもないが、あなたのいる場所に狙ってサーブを打てる技能は私にはない)そこで、拾ってもらい投げ返してもらうのであるが、2人の間には横一面に柵がある。さらに、普通の人が投げてこちら側に届くとは思えないほどの距離がある。しかしあなたは投げた。もちろん届かなかったのであるが、考えるよりもまずは行動する無邪気なあなたを私は好きになった。
ここで、「ん?」、「全体のことを考えて行動しているところが好き」と、「考えるよりもまずは行動する無邪気さが好き」というのは矛盾しているのでは、と誰もが思うであろうが私自身も矛盾していると思う。結局のところ当時の私は、理屈では説明できないほどあなたのことが好きであったようである。
好きになったところが容姿を含めて3つだけのはずがない。しかし秋から先は、何よりも受験勉強優先になってしまい、あなたの好きなところを記憶に留める余裕すらなくなってしまったのである。そうこうしている間に高校生ではなくなってしまっていた。
以上が、私がなぜ告白する時に2つも意味不明な行動をしたのかという問いと、あなたのどこを好きになったのかという問いに対する答えである。あれから時間が経ったというのに、ここまで熱く文章を書いているが、私をあなたに会いに行かせた感情とは、とうの昔に別れている(はずである)。もし、その感情と再会することがあるとすれば、それはすなわち私があなたに出会うときである。しかし、もう出会うことはないであろう。なぜなら、日陰暮らしの私と、日向暮らしのあなたとでは住む世界がまるで違うからである。
気分転換に文章を書いていたというのに、もう文章を書くことに飽きが来てしまった。つまり私にとって、文章を書くということと高校三年生という時間は、同じようなものなのであろう。
窓から外を見ると、積もりに積もっていた雪が解けきろうとしている。
【完】
ヒグラシの四季 鵜沼 柿男 @unuma
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