時の選択

@momonohana

第1話 死んでも会いたい

「今日は寒いですねー。」

レジデントの武田隼人が言った。

「こんな日は荒れるから、頑張れよ。」

救命救急科講師、大宮雅弘はからかうように笑った。

「マジっすか。」

と武田はサッカー部の先輩である大宮の言葉に笑いながらこたえていた。


かすかに聞こえる救急車のサイレンが合図のように、私たちは救命救急センターの救急車口に向かった。あっという間にサイレンの音は大きくなり、目の前に救急車が入ってくる。バタバタと運転席、助手席のドアが開いて一人の救急隊員は後ろのドアを開け、患者のそばにいたもう一人の救急隊員が降りてきてストレッチャーを出す。同時に運転していた隊員が大宮と私のところにきて、報告する。

毎日繰り返される無駄のない流れ作業・・・。


「78歳女性。心筋梗塞疑いです。胸痛の発症は21時15分。場所は北中川病院の救急待合室。意識は清明、血圧160/90 脈拍は98です。」


救急隊員が状況を報告する。

患者さんのおばあちゃんは痛みで声も出ないのか、苦悶様の表情だった。ストレッチャーで処置室に移動しながら救急隊員の報告は続く。

若いスタッフたちが患者のそばに集まった。

「1、2、3!」

と患者の体が中を浮き、ベッドに移る。誰も何も言わなくても流作業的に処置は続く。心電図が装着される。

「如月先生、ST上昇です!」

武田が叫ぶ。心筋梗塞の特徴的な所見だ。私は時計を見た。21時42分。カテ室には救急の電話をもらった時点で伝えてあるので、治療に入るまで15分はかからない。しかしなぜ病院内で発症した心筋梗塞が別の救命センターに運ばれたのだろうか?そこの病院で治療する方が治療は早く進むはずなのに。考えているとまた武田が大きな声で言った。

「V 1ーV6までの広範囲で著明なST上昇です!」

おそらく重症の心筋梗塞を見るのは初めてなので、多少動揺しているのだろう。

「聞こえてるから。緊急カテ。運ぶよ。」

私はいつものようにレジデントに指示する。

「検査と、必要あれば治療も一緒に行いますね。心配ないですよ。痛みどうですか?」

私は患者さんに話しかけた。移動するベッドの上で、患者の高齢女性はただ悲しそうな苦しそうな顔を続けるだけで言葉はなかった。カテ室に着いた。おばあさんに

「大丈夫ですからね。」

とできるだけ優しい笑顔を作り、カテ担当の医師に引き継いだ。おばあさんの悲しそうな顔がやけに引っかかる。その表情から読み取れるのは痛みではない、何かを気にしているような、悲しそうな表情なのだ。

カテーテル検査の準備をしている間に私は患者の家族の元に向かうことにした。経緯を詳しく聞きたかった。なぜ病院で胸痛が発症したのにで治療しなかったのか。


息子夫婦が救急車の後に到着していることがわかっているので、救急待合室へ向かった。待合室に入るとしっかりとしたスーツを着たエリート風の男性が立ち上がって、こちらに向かってきた。

「先程救急車で運ばれてきた光野は大丈夫ですか?私は息子です。」

緊張気味の表情で話した。

「初めまして、私は如月 夏と言います。光野さんは全く大丈夫とは言えませんが、意識もはっきりしていてこれから緊急カテーテル検査をしますの。た経過はご報告します。ところでなぜ病院から運ばれてきたのでしょうか。経過を詳しく教えていただけませんか。」

私は言葉を選んで返事をし、丁寧に質問した。エリート系の男性はちょっとしたことでも問題になることがある。

どうやら最初に82歳のご主人が胸部大動脈瘤の破裂で北中川病院に運ばれて、緊急手術をすることになったらしい。その話を聞いている最中に胸が苦しくなって、この病院に運ばれてきたということだった。おばあさんの、悲しい表情の理由がわかった気がした。大動脈瘤の致死率は非常に高い。


おばあさんのカテーテル検査が始まった。ガラス越しのバックルームから造影検査を見ていた。そばにいた武田にカテに入るように言ったら、順番が次は立石だとのこと。レジデントはみんなカテをしたいので、順番が決まっているらしい。立石はるか、皮膚科志望の女の子にカテをさせるのは気が引けたが、彼らが決めたことなので立石に検査に入らせた。

予定されている検査の時は、穏やかなクラッシック音楽などがかかっているが、緊急の時は音楽なしだ。手袋を差し出した時、立石は初めての緊急カテーテルに緊張したのか指が震えていた。

冠動脈に造影剤が流れる。スーッと綺麗に筆で払う文字が書かれるように、広がった枝が心臓を包み込むように描かれていく。狭窄はない。(タコツボ・・・)私の頭の中で声が響く。術者が左室造影を始めた。黒い壺が画面に不気味に浮かび上がった。

タコツボ型心筋症。大きなストレスがかかった時に起きる。原因は未だ明らかではないが、カテコラミンが大量に放出されることによって心筋の障害が起きると考えられている。、左室心筋の上部だけが異常収縮をし、造影では蛸壺のように見えるためにそう呼ばれる。高齢女性に多いと言われている。

まさに教科書的な経過だった。

カテーテル検査が終わり、患者はCCU(循環器集中治療室)へ運ばれていく。ベッドには『光野 フジ 78歳 女性』とプレートが下がっていた。その時もなぜか彼女の表情が気になって仕方がなかった。


すでに夜11時を回っていたが、珍しく、また経過も典型的な症例なので3人の救急レジデントを集めて、レクチャーをすることにした。

「えー、これからレクチャーするの?」

武田が他のレジデントとぼやいている。それを嗜めるように立石が武田の足を蹴飛ばしていた。


『タコツボ型心筋症』 初めに日本で疾患が報告されたので海外でもTAKOTSUBOと言われている。ストレスや情動変化で起こりやすいこと。60歳以上の女性に多いこと、欧米より日本国内での症例が多いこと。治療はショックなどでなければバイタル管理のみで経過を見ること。数日から1週間程度で心筋は回復すること、比較的予後は良いことなどなど。レジデントは真剣にメモを取ったりしていた。疲れているだろうが、皆生き生きしていた。

7年前は私もこんなキラキラしていただろうか。そんなことを考えながら3人を眺めていると、立石が

「先生、私担当していいですか。救急の症例報告をしたいんです。」

と言ってきた。皮膚科志望なので救急はどうかと気を遣っていたが、自分の予想が外れたことを少し嬉しく思った。


深夜0時も過ぎたので、レジデントは一旦仮眠を取らせることにした。

私は集中治療室を一回りしてから休憩しようと思い、部屋に入るとわずかだがすすり泣きのような声が聞こえる。夜中なので部屋はかなり暗く照明を落としている上に、各ベッドにはカーテンで仕切られいているのでどこからその声がするのかよくわからない。静まり返った少しひんやりとする病院の中で、多くが亡くなっているであろう救急病棟でのすすり泣きはお化け屋敷以上に怖い。きみが悪く思いながらも声がする場所を探した。名札を確認すると、さっきのおばあさんである。怪談的な恐怖感を一瞬でも持った自分がちょっとおかしかった。


カーテンから隙間を開けてそっと覗く。

「大丈夫ですか? 入っていいですか?」

私は尋ねた。

「あ、救急室の女医先生。」

小声で返事をしてくれた。

「こんな風に助けていただいたのに、すみませんねぇ。泣いてはいけないのに・・・。頑張らなきゃいけないのにねぇ。」

と必死で堪えながら、病院のタオルで顔を抑えている。私はただ黙って次の言葉を待っていたが、そのあとは何も言わないので話しかけた。

「泣きたいときは泣いたらいいですよ。苦しかったり、悲しかったり、辛かったり、いろいろあります。涙が出るときは我慢しないで泣いたらいいです。スッキリしますよ。そのために涙はあるんじゃないかな。」

口からそう言葉が出た後、自分はどんなに苦しくたって、辛くたって絶対に人前では泣かないのに、偉そうなことを言うもんだ、と頭の中でツッコミを入れている別の自分がいた。

光野さんは真っ直ぐに私をみた後、わあぁっと泣き出してしまったので、しばらくベッドサイドで様子を見ていた。数分後、少し落ち着いた様子で。

「すみません。先生もお疲れですよね。でも本当にありがとうございます。どうぞ先生もお休みくださいね。迷惑ばかりかけてすみません。」

ずっと色々頑張ってきたのだろう。昔の日本女性は本当に謙虚で忍耐強いのだなぁと思った。

「これが仕事なので、どうぞお気になさらずに。おやすみなさい。」

と私はめいいっぱいの優しい顔を作って言った。

普段、私は笑うことがない、と言うより自然には表情が出てこない。いつから感情を表面に出すことをしなくなってしまったのだろう。この仕事をしていると冷静であることが一番大事だと思う。なので患者と話すときは顔を作るようにしている。その場に適した、相手の必要としている表情を作る、これも信頼関係を気づくための必要要素だ。

「夏先生」

後ろから呼び止められた。昔からよく知っている集中治療室のナース、米山咲だ。サキと女性と間違われる名前だと言うのでサクタロウとあだ名をつけられている。

「2ベッドの患者さんが期外収縮が頻発していて、担当レジデントにコールしてるんですけど、出なくって困ってるんですよ。先生みてくれます?」

彼はそう言って私の前に顔を出す。レジデント達は疲れて寝てるのだろう。しょうがないなぁと思いながら、状態を見に行きながら話をする。

「で、バイタルは?」

質問に対してナースはすぐに答える。

「血圧118/65 パルスは70前後。本人は寝ているけど。」

安定している。シーンとしている廊下に足跡が響く。

「患者は寝てるんでしょ。連発しなければ経過観察でいいよ。なにか変わったら私にコールして。」

くるっと方向転換して休憩室に向かおうとすると、米山は

「先生さー。患者さんにはめちゃめちゃ優しい顔して話してたじゃないですか。変わりすぎ。むっちゃ怖いんですけど。必ず見てくれるからいつも頼りにしてるけど、聞くのドキドキですよ。」

と人懐こい笑顔でつっかかってきた。無表情の顔が怖く見えるのはどうしようもない。何か言うとまた怖がられるし、パワハラ扱いもごめんだ。

「スタッフに対して患者みたいに気を遣ってたら仕事にならないよ。いい加減に慣れたら?」

そう言って集中治療室を出た。米山は

「笑うと可愛いのにもったいないですよー。」

と私の背中に小声でいった。


 主治医はレジデントなので、私は基本的にはレジデントからの報告を受け、指導する。しかし、レジデントからの話だけでは不十分なので、フラフラしているように見せながら、病棟を周りカルテを見たり、看護師などの話を聞いて情報を集めているのが常だった。

今日も日中の業務を終えて、夜、一人病棟を回っていた時だった。廊下でカルテを見ていると

「女医先生、女医先生。」

と小さく呼ぶ声が聞こえた。あのおばあさんだった。

「夜中にごめんなさいね。先生にお礼が言いたくて。」

手には可愛いリボンで結ばれた小さな巾着袋を持っていた。

「ちょっとだけどね。ポケットに入れて、疲れた時に食べてくださいね。」

優しくて温かい笑顔。こんなにほっこりおひさまのように笑える彼女はどんな人生を過ごしてきたのだろうと思った。

「2日前はお世話になりました。あの日、主人が亡くなったんです。大動脈解離で運ばれて、手術室でそのまま。私がカテーテルが終わって、息子たちに面会した時に教えてもらったの。悲しくて、悲しくて、私も一緒に行けばよかったと本気で思いました。それを看護師さんに話したら、泣いたらだめって、頑張って生きていかないと、おじいちゃんが悲しむよって。だからね、泣かないように頑張ってみたのよ。でも涙は止まらなくてねぇ。」

私は心の中で小さな怒りを感じた。私達医療者は時に感情に対して冷静になりすぎることに慣れている。なので、時に余計なことを言う。

「でもね、先生に泣いていいって言われて、たくさん泣いたら本当にスッキリして元気が出ましたよ。ほら、笑うこともできる。」

おばあちゃんは顔の皺をよりくしゃくしゃにして笑った。私は彼女の前にしゃがんで話を聞いていた。

「おじいちゃんとはずっと一緒だったんですよ。家で仕事をしていたから。18で結婚したから60年!大好きだったからねぇ。今は笑顔で見送ってあげられるよ。」

こんなにも人を愛することができるのかと、体験したことのない、もしくは全く私の持っていない別の感情に対して胸が温かくなるような気がした。

「良かったです。」

自然に私の口から出た言葉は、自分自身に向けられたように思えた。

家に帰る車の中、私の胸の中もスーッと何かが溶けていくような気がした。その夜、私は温かいひだまりの中大の字で横たわって空を眺めている夢を見た。


翌日、救命センターの一般病棟の廊下を歩いていた。建物が高いので窓から視界を遮るものはなく、ただ青い空が広がっている。

「如月先生!」

おばあちゃんの主治医である立石が相談に来た。

「先生、光野さん、あのタコツボのおばあさんが外出したいっておっしゃっていて。半日だけでいいからお願いしますって・・・。でも難しいですよね。まだ3日目で病態安定していないから。」

立石は心配そうに困ったように言った。優等生だが、本当に普通の女の子なんだなと思う。感情と責任、いろいろなことが頭の中を巡ること全て顔に出ているようだった。先日、立石と話した光野さんのプランは7日間は入院安静、その後1週間は自宅安静しリハビリを進めていくということだ。十分理解した上で、自分ではどうしたらいいのかわからずに私のところへ相談に来たというところだろう。

冬も終わりに近いのか、廊下の窓からは暖かそうな明るい光が差し込んでいる。

「外出の理由は?」

私は立石に尋ねた。

「なんか・・・ご主人のお葬式があるみたいです。ご家族は入院中だからやめるように言っているけどどうしてもって。ご家族も困っていらして・・・。どう理解してもらいましょうか。」

『大好きだったからねぇ』と言っていた光野さんの顔が頭をよぎった。温かい太陽のような笑顔。

病態的にはまだ不安定な状態で外出は医学的には禁止すべきであり、また感情が強く揺さぶるようなことがあったら、命に関わるだろう。

だが・・・人生ってなんのためにあるんだろうか? 死んでもいいからやりたいこともあるんじゃないか?別の自分が語りかけてくる。私は組んだ腕の一方の手を顎につけてしばらく考えていた。立石は私の答えを待っているのか、黙ってそばに立っていた。

「家族を呼んで面談準備してくれるかな。」

「え?先生OK出すんですか?」

立石は心配そうな顔で返事をした。

「本人の人生だから。」

と私は付け加えた。立石は恐る恐る、

「死ぬかもしれないんじゃないですか。」

と意見してきた。私は患者に話をするような笑顔を作っていた。

「その通り、死ぬかもしれないよ。でもね、光野さんからおじいちゃんの話を聞いたことはあるかな?。タコツボになっちゃうほど大好きだったんだよ。」 

立石は目を赤くして、すっと背をむけ家族に連絡を取りに行った。


立石が家族に連絡をとっている間、私は光野さんの病室に足を運んだ。

「あ、女医先生。」 

私の白衣にはちゃんと『医師 如月夏』と名札がついているが、おばあさんは私をそう呼ぶ。

「わがまま言っちゃってすみませんね。立石先生、困っちゃってますよね。でもね、先生。私死んでもいいから行きたいんですよ。というより死んだら本望だって思います。それで幸せなんですよ。」

本当になんと表現をしたら良いかわからないくらい、素晴らしい笑顔だ。ただ気持ちはよくわかるが、そうですね、と言うわけにはいかない。

「光野さんが死んだら、息子さんやお孫さんが悲しみますよ。私もこうやって出会えたのに、死んでもいいなんて言われたら悲しいなぁ。光野さんの気持ちもよくわかるけどね。だから、ちゃんと帰ってくる約束で外出しましょうか。」

私は少し寂しそうな笑顔を作って話した。

「先生!本当に?出席していいの? 本当に?嬉しい!ありがとう!ありがとうございます!。」

おばあさんは少女のように飛び上がって喜んでいた。私もこんな風に人を愛することができるのだろうか。ふとため息が出た。遠くどこかに行きそうな自分の気持ちを取り戻し、付け加えて話をした。

「でもね、本当に命に関わるかもしれないので、車椅子でいったり、必ず誰かがそばにいるようにしたり、それと具合が悪くなったら無理しないで戻って来ること。約束できますか?」

返事の代わりに、光野 さんは目に涙を浮かべて笑顔で頷いた。


白い壁には入り口のドアしかない小さな部屋に四人がけのテーブルと椅子が並んでいる。私は光野さんの息子夫妻と立石を部屋に案内した。今回で会うのは2回目だ。光野さんとは雰囲気の違う、エリートサラリーマンのようなきっちりした印象の男性・・・。

「息子さんは外出をどう思いますか?」

私は光野さんの長男、進さんに話しかけた。

「母の状態はどうでしょうか?安全に出席できますかね?」

と質問してきた。患者やその家族との話はお互いが信頼できるように話を進めなければ、信頼を得るどころか、疑いに変わる。こちらがどんなに誠意があったとしても、理解しあえなければ意味がない。特にエリート系の中年男性は難しい。中高年の男性は無意識だろうが、女医をあまり信用していないことが少なくない。

「安全に出席できる保証はありません。基本は外出は禁止です。ただ、入院から3日間、ご本人といろんなお話をさせていただきました。ご主人のことが大好きで、本当に心からお見送りをしたそうなので、このような形で相談させていただいています。」

私は本心を話した。息子はうっすら目に涙を浮かべていた。

「ですので命に関わることもあります。可能性は高くはないけれど、低いとも言えません。自己責任で出かけるという署名もしていただかなくては外出許可は出せないと言うのが医療者としての意見です。」

私は少し悲しそうな、申し訳なさそうな表情を作って真っ直ぐに説明した。相手の反応をまった。時にはその言い方はなんだと怒り出す人もいる。

「そうですよね。安全なんてありえないですよね。先生にお会いするのは2回目ですが、先生はいつも真っ直ぐに話してくださる。母からも話を聞いています。いつも話を聞いてくれるんだって。具合が悪くなっちゃうくらい大好きだったんだから、葬式ぐらい出してやりたいですよね。わかりました。僕らの責任で母を葬式に出席させます。」

息子さんは、涙を浮かべた笑顔で答えてくれた。 気持ちが伝わったことに私はホッとした。


立石を同席させていたので、今回の話の内容をちゃんとカルテに今日中に記載するように言った。外出は明日だ。準備をしなくてはならない。救命の電話交換には、万が一連絡があった際には私に繋げるように伝えた。


外出の日の朝、昨日と同じように澄んだ青空が広がっていた。光野さんは本当に晴れやかな笑顔で皆にお礼を言って病院を背にした。立石は

「すぐかえってくるのになんか変な感じですね。」

と笑っていたが、私はなんだか落ち着かなかかった。葬儀の開始は朝10時から、12時には終了して食事を済ませ、1時過ぎには戻ることになっていた。


11時救命救急から私のピッチに連絡が入った。胸騒ぎが止まらない。

「先生!光野さんが、心肺停止で運ばれてきます!」

心肺停止・・・気がまたどこかに抜けていきそうなのを呼び戻す。同時に救急車の音が耳に入った。どんどん近づいてくる。いつもの音のはずが心の底まで叩き付けられるように響いてくる。

救急隊員が心臓マッサージをしながら救命室に光野さんを運ぶ。

「変わります!」隊員を押し除けるようにして私は心臓マッサージを続けた。「戻っこい、戻ってこい!約束したじゃないか」

と思いながら胸を押し続けた。歯を食いしばって、涙が溢れそうなのを堪えて押し続けた。手を離してもモニターは直線を示すだけだった。私はすぐにまた押し始めた。家族が救急車から降りてきた。

「先生、もういいです。ありがとうございます。母は笑顔で父の写真を見ていました。そしたら急にふぅーっと車椅子の上で意識がなくなったんですよ。綺麗な顔で。」

話を聞きがながら押し続けた。

「だからもういいです。母は父に会いに行ったんですよ。僕らは悲しいですけど、母は幸せだったと思います。行けてよかった。本当にありがとうございました。」進さんは涙を流して言った。私は手を止めた途端、堪えていた涙が溢れてしまった。


家族に経過を聞いていると、奥から泣きそうな顔で立石が私を呼びにきた。家族に失礼しますと伝え、立石のところに行った。

「先生、すみません!本当にすみません。大変な失敗をしました。こんなことになるなんて考えていなくて。」

どうやら昨日の説明の時のことをカルテに書いていなかったらしい。カルテは時間ごとに記載しているので、話が前後すると難しい。今回のようなことは訴訟に移行することもある。

「昨日のうちに書くように言ったよね。」

私が言うと、立石は泣き出してしまった。

「大丈夫だよ。昨日確認したら記載がなかったので、書いておいたから。反省して、今後は気をつけるように。何が起こるかわからないからね。」

立石はホッとしたのかボロボロ涙をこぼしながら頷いていた。

影で様子を見ていた武田が話しかけてきた。

「先生、本当は心温かいんですね。あんな表情の先生、初めて見ました。氷の仮面みたいにみんなに言われてるの知ってます?」

笑って、と言っても意地悪ではない安心した笑顔で武田は言った。あまり面白くもないので

「エルサによく似ていると言われる。」

と言ったら、周りのスタッフがこ笑いを堪えていた。


一人で屋上に上がった。誰とも話をしたくなかった。ただ光野さんの声が聞きたかった。空の青がどこまでも続いている。ベンチに座って空を見ていたら光野さんが見ているような気がしてきた。

「光野さん、おじいちゃんと会えた?そんなに人を好きになれるなんて羨ましいなぁ」と一人ぼそっと呟いていた。

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