第6話 保育部2


 その日の放課後、さっそく俺は保育部の部室を訪れていた。

 まるで建て替えたばかりの扉を開けて中に入ると、そこには一人の女の子がいた。


「……由香ちゃんか」


 床に敷かれたカーペットの上で、すやすやと眠る由香ちゃん。

 近くには摩訶不思議な形をしたつみきが散乱しており、まさに遊び疲れて寝落ちしたといった感じだった。


「ていうか、内装凝りすぎでしょ……」


 部屋の中をぐるりと見渡す。

 床にはどこかファンタジー感を覚える色合いのカーペットが敷かれており、肌触りも心地よい。隅の方にはティーセットや冷蔵庫、テレビ、おもちゃ箱などが用意されており、なぜか洗面台や簡易キッチンまである。中央には大理石のようなつるつるとした材質の机と、こじゃれた小さめの椅子。さらには高級そうな皮のソファーが堂々と置いてあった。


 試しにソファーに腰を掛けてみる。

 すると、僕の体重が飲み込まれるように沈んでいった。


「これは……極楽だ」


 さすがは理事長。これなら、僕の学校生活もまだまだ捨てたもんじゃない。

 いや、むしろおつりがくるレベルじゃないだろうか?

 などと悦に浸っていると、扉の開く音が聞こえた。


「……失礼します」


 慌てて姿勢を立て直し、相手を確認する。

 その人は、僕の記憶にも鮮明に残っている人だった。


 ───秋川さんだ。


 秋川さんは、僕をちらりと見ると、何も言わないまま椅子に腰を掛けた。


「……」

「……」


 空気が重い。


「……えっと、よろしく」

「はい」


 沈黙に耐えかねて挨拶をしてみても、簡素な返事しか来なかった。

 昨日の第一印象が最悪だから、もはやどうしようもない。

 かといって見苦しく言い訳をするものさらに溝を深めそうなだけなので、僕はただこの沈黙に耐えることしかできなかった。

 ここは、相手から来るのを待つしかない。うまく話題に乗って、警戒心を解くことができれば───


「紅茶、飲む?」


 来た!話題は紅茶だ!紅茶といえば……紅茶……


「うん。ありがとう」


 僕、生まれてこの方紅茶なんて淹れたことなかったんだった。


「……」


 当然、それ以降の会話はない。

 お湯の沸く音が室内に響く。


 ───気を持ち直せ。まだいける。「おいしいね。何の紅茶なの?」みたいな感じで会話を広げれば……


 僕が脳内でこの後の展開をシミュレーションしていると、突然イレギュラーが発生した。


「んー……あれー……?」


 お湯の沸く音で、由香ちゃんが起きたのだ。

 由香ちゃんは起き上がって周囲を見渡すと、僕の顔を見つけて満面の笑顔を咲き散らした。


「さいじょー!」


 とてとてと近寄ってきて、抱き着かれる。


「おー、よしよし」


 当然自分の子供なんてできたことのない僕は、どうしたらいいのわからず途方に暮れてしまった。

 そんな僕を見かねたように、秋川さんが由香ちゃんを落ち着かせた。


「ほら由香ちゃん。紅茶淹れたから、危ないよー」

「はーい」


 秋川さんの言葉を聞くと、由香ちゃんは僕の横に行儀よく座った。

 昨日もそうだったが、秋川さんは由香ちゃんの扱いに妙に慣れている気がする。

 このくらいの歳の妹でもいるのだろうか?


 ───いけるぞ。そこから会話を始めて、上手く会話を続ければ……


「秋川さんは妹とかいるの?」

「……あなたには関係ないでしょ」

「あ、ごめんなさい……」


 またしても冷え切ったまなざしを向けられる。

 よく考えてみると、ほぼ初対面の相手に家庭事情を聞かれるなんて恐怖でしかない。

 なんで僕の脳みそはこれがいけるなんて判断をしたんだ。

 僕は、自分の会話スキルのなさにうなだれたのだった。

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