少女漫画を買おうとする不良と腐向け少年漫画を買おうとする委員長が隣町の本屋でかち合う話

ドラゴンタニシ

第1話 不良君は少女漫画にはまっていることを知られたくない

 土曜日の朝10時。

 俺は電車で30分ほどかかる隣町の本屋にまでやってきていた。


 俺が住んでいる町にも大きな本屋はある。

 本来ならわざわざ時間とお金をかけてこんなところまで来る必要はない。

 まだ中学生の俺にとっては電車賃でさえ手痛い出費で、我ながらもったいないことをしているという自覚はあった。

 

 しかし……俺にはどうしても隣町まで行かないといけない事情があった。

 俺が欲している漫画雑誌の名前は「ハローリボン」。

 ばりばりの少女漫画雑誌だったのだ。




 少女漫画の魅力に取り憑かれてしまったのは、半年ほど前。

 小学生の妹が居間に放置していた「ハローリボン」を気まぐれにパラ見してしまったときのことだった。 

 

 それまでは無難にアニメ化したような少年漫画を追ったり、床屋や飯屋の待合にある青年誌を斜め読みするくらいだったのだが……ハローリボンで俺の世界は一変した。


 抜群に面白かったのである。


 別に他の漫画がつまらなかったというわけではなく、単に相性の問題だろう。


 繊細なタッチ。自分の頭では決して想像できないような、それでいて共感し納得してしまう的確な心理描写。微笑ましい展開から流れるように出現するドロドロの愛憎劇。


 どの要素も非常に魅力的で、俺は一発で魂を鷲掴みにされてしまったのだ。

 ハローリボンと出会ったその日のうちに、妹が物置に放置していた既刊をすべて読破してしまったといえば俺のはまりっぷりも理解していただけると思う。


 そしてその後も妹が親に買ってもらったハローリボンを隠れて読み続け、俺はすっかりその少女漫画雑誌の愛読者になってしまったというわけだ。


 しかしここでとんでもない問題が起きた。

 妹がハローリボンを卒業しやがったのである。


 3ヶ月ほど前から兆候はあった。


 それまでは発売日に買っていたハローリボンを数日遅れで買うようになり、掲載作品も幾つか読み飛ばすような素振りを見せていた。


 そして今月。今月だ。


 それまで親友の奈々恵と幼馴染みの達也の恋を応援していた美佐子が、彼らが結ばれた直後に達也への気持ちに気づいて……という引きで終わった『初恋ファンファーレ』の続きが載っている今月号を、妹は親にねだらなかったのである。


 ふざけんな!

 美佐子はどうなったんだよ! 

 美佐子の気持ちが自分にないと諦めてその想いを断ち切るために奈々恵と付き合った達也はどうするんだよ! 

 なにも知らずに達也と結ばれて喜んでるピエロ奈々恵に救いはあるのか!? 

 多分ないけど、それならそれでどう話が転がるんだよ!


 気になる。

 気になるが親に買ってきてなんてねだれるわけがない。恥ずかしすぎる。


 ネット通販は家族にバレる可能性がかなり高いし、最近よく聞くようになった電子書籍にハローリボンはまだ対応していなかった。


 となれば自分で本屋に行って買うしかないのだが……男子中学生が少女漫画雑誌を買うというのは滅茶苦茶ハードルが高い。ちょっとエッチな表紙の少年漫画を買うほうがある意味ではまだ楽なくらいだ。思春期とはそういうものである。


 そんなわけで俺は貴重な時間と小遣いを使って、知り合いが絶対にいないだろう隣町の本屋にまでやってきたというわけだった。


 しかしまあ、いくら恥ずかしいからといって、わざわざ隣町にまで行かなくてもいいのではと普通なら思うだろう。中学生が電車を乗り継いでまで人目を避けるのはちょっと過剰だと。

 

 しかし俺には、少女漫画雑誌を買っているところを万が一にでも目撃されたくない事情がもうひとつあった。


 それは俺が周囲の人間、特にクラスメートから不良認定されていることだった。


 自分が不良扱いされていることに気づいたのは、中学に上がってしばらくが経った頃。


 ことある事に話しかけてくれる生活指導の先生からある日突然、「お前、思ったより普通だな」なんて言われたことから、自分が周囲にどう思われていたのか知ったのである。


 俺が登校すると教室の空気が一瞬固くなるのは俺が嫌われてるからかなと思っていたし、生活指導の先生が妙に絡んでくるのはそんな俺を心配してくれてのことだろうと思っていたのだが、なんてことはない。


 成長期でいきなり大きくなってしまったガタイと父ゆずりの強面、母ゆずりのコミュ症っぷりからクラスメートに誤解されており、あまり不良という存在に慣れていなかったらしい学校側からもマークされていたというわけだった。


 酒や煙草はもちろん、喧嘩だってろくにしたことないのに……。


 とはいえ、既にそういうイメージが定着してしまっているのは事実。

 誤解を解けるようなコミュ力があればそもそもこんなことにはなっていない。


 もしも少女漫画雑誌を買っているところを目撃されれば「あいつ、不良のくせに少女漫画雑誌なんか買ってるぜ」というセンセーショナルな笑い話になり、ただでさえ肩身の狭い学校生活がさらに気まずいものになってしまうのは確実だった。


 元々不良だと敬遠されていたぶん、そういう「バカにしやすい」部分を発見されてしまうと反動がかなり怖い。中学校の教室というのは結構残酷なところなのだ。


 そういうわけで俺は万が一にでも知り合いにかちあわないよう、隣町の本屋にまで足を運んだというわけである。

 知り合いに目撃されれば今後の中学生活が終わるというリスクを考えればもっと遠くに行きたいくらいだったが……さすがに中学生の経済力ではこれが限界。

 

 俺はいさぎよく目的の駅に下り……そして目当ての本屋まで辿り着いた。


 財布よし。購入後の雑誌を隠し持つためのトートバッグよし。心の準備……よし。


 俺は生まれて始めて少女漫画雑誌を購入するという一大イベントを前に深呼吸してから、その巨大な本屋へと足を踏み入れた。



「さて……」

 お目当てのハローリボンが置いてあるのは、2階の漫画雑誌コーナーだ。

 しかし俺はいま雑誌コーナーから少し離れた位置――少年漫画の単行本が置いてある本棚の前でうろうろしていた。


「……」


 なにをしているのかといえば、少女漫画雑誌コーナーの周囲から人がいなくなる瞬間を狙っているのである。


 だが――今日は休日ということもあり、店内はなかなかに人が多い。

 雑誌コーナーも先ほどから人が途切れることがないし、どうにもハローリボンをとりにいくタイミングが掴めなかった。

 もうかれこれ10分以上は様子見に時間を使ってしまっている。

 そうこうしているうちに親子連れがハローリボンをレジに運び……聖典は残り2冊になってしまう。


「ぐっ、もたもたしていたらハローリボンが売り切れる……!」


 週刊少年誌なんかに比べればそこまで人気のない少女漫画雑誌だが、そのぶん入荷数も限られる。それに加えて今日は土曜日。少女漫画雑誌の対照読者である女児が親を連れて書店に訪れることの多いタイミングだ。

 売り切れるのはまさに時間の問題だった。


 少年コミックコーナーで大して興味もない人気作を眺めるふりをしていつまでもモジモジしているわけにはいかない。


 だが。

 こんなに人の多い書店でハローリボンを抱えてレジに運ぶ数メートル。

 店員さんにハローリボンをわたし、後ろに並ぶ次の客の視線を感じながら会計を済ませるまでの数十秒。

 それらの過程を想像するだけでじわりと汗が滲み――

 

 いまだ、いけ。いやもう少し様子見を……。

 

 そうしてタイミングを窺っているうちに、また10分に以上が経過してしまっているのだった。



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