大丈夫、怖くないよ。

蘭野 裕

第1話 百物語が始まらない

 いまから二十年以上も前、20世紀末のことだ。僕が大学に入ったばかりの頃。

 部室の本棚いっぱいの漫画を目当てに部活に仮入部した。何の部活かは言わない。長続きしなかったし。

 ある日、1年生ばかり4人部室にいたとき、「百物語」のやり方の話になった。

 怖い話を1人ずつ、話し終わったら蝋燭を消すアレだ。

 その本式のやり方を吉見くんから聞いた。


「本当は部屋が3つ要るんだって。理想は3つの部屋がL字型に並ぶこと。

 まず、集まって怪談話をする部屋、つぎにL字の角にあたる部屋、最後の部屋に百本の蝋燭がある。話し終えた人が3つの部屋を移動して蝋燭を消す……。

 本来は蝋燭じゃなくて行灯の灯心なんだ」


 こんなことを彼は、僕には再現しきれないようなどこか引き込まれる調子で話してくれた。

 この部の数少ない部員は男子がほとんどだったが、ここに女子を2人も連れてきたのは彼なんだ。


「俺らみたいに安アパート住まいじゃ無理だな」

 容赦なく現実に引き戻したのは高堀くん。彼も部室にある本が目当てだとか。

「今の日本の住宅事情に合わないね。風流だけど」

 僕は二人のあいだを取ったようなコメントをした。

「話しといて何だけど、俺もそう思う。だいたい、話し終えた人が灯を消しに別の部屋へ行くなんて不便だろ。そいつだけ次の話を聞けないじゃん」

 吉見くんはよほど怪談が好きなんだな、とその時思った。


「ね、だったら私の家くる?」


 そう言ったのは、今まで黙って聞いていた、この場で唯一の女子の青山さん。ちょっと華やかな人で、掃き溜めに鶴といった感じだ。


「私の家ここから近いんだよ。一軒家」


 彼女は手近な紙に地図を書き始めた。大学の近くに住宅地がある事は知っていたが、地図は初めて見た。


 なるほど、歩いて行き来できる距離だ。家が遠くて先に帰ったもう1人の1年女子、谷中さんが知ったら羨ましがるだろうな。


「……で、ここが私の家。さっそく明日の金曜日、その百物語っていうのやってみない? 灯心はムリだから蝋燭だけど、和室なら雰囲気あるよ」


「賛成!」


 こうしてすぐに話が決まった。谷中さんには、僕から連絡することになった。明日は同じ授業をとっているからだ。


 こんなとき、今なら地図の写真を撮って谷中さんに送っただろう。


 でも、さっきも言ったように20年以上も前の話だ。今ガラケーと呼ばれているのよりも、もっと原始的な携帯電話が使われていた。何しろ、その場の誰のケータイにもカメラが付いていなかったんだ。


 とにかく、僕たちが見たのと同じ地図を谷中さんが見る事はできなかった。


 翌日、5限の授業が終わると、谷中さんは図書館に寄ってから行くということだった。

 現地集合という約束だったが、僕は部室に寄った。一年男子は揃っていたから彼らと青山さんの家を目指すことにした。


「谷中さん、道分かるよね?」

「僕から説明したけど、大丈夫そうだった」


 青山さん宅のあたりは閑静な住宅地だ。地形のせいか、思ったより暗くなるのが早い。


 門の前に着いたが、門の鍵が閉まっている。


「やけに静かだな。誰もいないんじゃないか?」

「青山さん、急用でも出来たのかな」


 ここまで来て、青山さんの連絡先もこの家の住所も……道順ではなく地名とか番地とかだよ……だれも教えてもらっていないことが判明した。


 僕の携帯電話の着信音が鳴った。

 谷中さんだ。

 ……LINEはまだなかったんだ。

「ごめん、みんな今どこ? 私、裏口に来ちゃったみたい。青山さんはそっちにいる?」


 彼女は図書館に寄ったぶん、別の道を通ったらしい。僕の描いてみせた地図の信頼性が試される。

「みんな、表口? にいるよ。青山さんだけいない。ていうか、裏口なんてあったんだね」

 ピピッ、ピピッ、と耳障りなアラームが聞こえ始めノイズがひどくなった。

「……ごめん……電池が……」

 谷中さんの通話が切れた。


 僕たちは手分けして、谷中さんを迎えに行くことにした。

 青山さん宅の敷地の周りを右回りする僕、左回りする高堀くん、ここで待つのが吉見くんだ。


 しかし、歩いたのちに再び門の前に集まったのは、さっきと同じ男3人だ。

 こんなことなら図書館で待ち合わせすればよかった。


 吉見くんが青い顔をして言うには、

「近所の爺さんが通りかかったから聞いてみたんだ。そしたら、青山さんのところはお婆さんが亡くなってから空き家のはずだって……」


「ちょっ、それって……」

「ちゃんと伝えたからな! 俺帰るわ」


 吉見くんは脱兎のごとく駆け出した。



   *   *   *



 残された僕たちは、怖さとか驚きとかよりも、白けてしまった。


「帰ろうぜ。俺たち、からかわれたんだよ。青山さんに」

 と、高堀くん。

「谷中さん、大丈夫かな」

「あの子もグルに決まってんだろ。今ごろ2人でパフェでも食ってるよ」

「そんなに仲良かったっけ」

「知るか。けどあのむさ苦しい部室で、たった2人の同期の女子だ」


 女子2人は部室に来なくなった。

 誰も彼女らの話をしなかった。



   *   *   *



 僕はというと、やっぱり谷中さんに申し訳ないことをしたな、と思いながら週明けを過ごしてしまった。駅までは歩ける距離だけれど、慣れない道で心細かっただろうな。

 仲間外れにされたような気分だったかもしれない。


 金曜日、同じ授業に谷中さんがいて、ホッとした。少なくとも幽霊に拐われてはいなかった。


 授業のあと謝りに行くと、

「気にしないで。私もうっかりしてて悪かったよ」

 やはり携帯電話の電池が切れていたんだ。しかも、電波の届きにくいところにいて移動するうちに道順を見失ってしまったとか。

 諦めて、通りかかった人に駅までの道を教わって帰ったそうだ。

 谷中さんもグルという説を僕は信じないことにした。

「ねえ、他の人たちはどうしてた?」


 僕はかいつまんで話した。手分けして探したと伝えると、えらく恐縮していた。青山さんのことは、からかわれたとは何故か言えなくて、すっぽかされた、といった表現をした。

 

「……吉見くんはダッシュで逃げたよ」

 そこで谷中さんは弾けるような勢いで笑った。


 僕も部室に行く用事がなくなった。



   *   *   *



 4回生になって、谷中さんから聞いた。

「青山さんのこと覚えてる?

 ……今なら言っても大丈夫だと思うけど、彼女、居留守を使ってたんだって。


 あの家の亡くなったお婆さんのお孫さんで、上京を機に住み始めたの。あの頃は都会に出たばかりで、はしゃいでいたけど、親しくない人を家に上げるのがやっぱり怖くなったんだって。そりゃそうだよね。


 もう引っ越したよ。就職が決まった会社の近くにね。でなきゃ、こんな話しないよ」




(了)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る