Hip Burn! ~馥郁たるかほりを求めて~
佐藤苦
♪ 幸せな突然変異 ♪
第1話 僕はずっと、君のことが好きでした。付き合ってください!
じゃあ、僕の話をしていいかな。長くなるけど聞いてもらったら嬉しいや。
ASMRって知ってる? ポテトチップスを食べたときのパリっと感やコーヒー豆を挽くゴリっとした音。そういうのを聞いて、ゾワっとする感覚を言うらしい。――らしいって言うのはクラスメイトのY君に聞いたから。人によっては気持ち悪がったりするみたいだけど、Y君と一緒に試してみても、僕はそんなふうに感じなかった。むしろ不思議な気持ちよさがあったんだ。
以来、僕はすっかりハマってしまっていろんな音を探した。困ることはなかったよ。日常生活は音でパンパンだからね。
ただ、収集していくうちに、いつしか限界があることに気づいちゃった。自分の行動範囲は限られているからさ、もっと広げないとって思った。僕はyoutubeに飛びついた。ネットのなかにはたくさんの人がいて、未知のたくさんの音で溢れていた。僕はそれを耳に流し込んだ。脳がとぅるとぅるになるっていうのかな。とにかく一度聞くと病みつきになっちゃうんだよね。寝る前のひと時とか、本当はダメなんだけど学校の休み時間とか、隙間時間があったら耳を甘やかしちゃう。そのうちyoutubeでも全部の音を平らげちゃった。だから、音を聞く側から、出す側に移ったのもごく自然な流れだと思うんだ。
でも、巷にASMRを謳ったコンテンツはいっぱいあったから、僕としては他の音を提供したかった。別に変わったことをしたいわけじゃないんだけどね。ある種のこだわりっていうのかな。
とにかく僕は音を探した。今度は他人を満足させるために。
と、息巻いていたところいきなり問題にぶち当たった。アイデアはたくさんあったけど、なにせ小学生だったからお金がなかったんだ。けど、そこで挫けないのが僕の凄いところ。なんたって音フェチだから。名案を思いついた。――僕には体がある。両親からもらった大切な体が。ヒューマンビートボックスがあるように、これを音源にできないか。
自家発電めいたそのアイデアを早速僕は実行した。関節をコキコキ鳴らしたり、指をパチリ、舌打ちしたりね。けど、どれもありきたりで僕の贅沢な耳には退屈に感じられた。もう普通の音じゃ満足できない体になっていたんだ。
しかし、音の住処を暴くために、体を下へ下へ探していくうちにいいところにぶち当たったよ。我ながら天才かと思った。
ベテランのサックス吹きから流れる情熱的な音を再現したり、重みのある和音も出せる、魔法の臀部。そう!――屁。
下品だって責めないでくれよ。だって小二だったんだから。まだ開拓されていない領域だったし、小学生――もちろん男子にはめちゃくちゃ人気だった。
最初は楽しんだ。楽器みたいだね、と友達も喜んでくれた。小学生はうんこ、ちんこ、大好きだから、それだけで一日笑っていられるんだ。
大発見! お尻を両サイドから押し付けて隙間をなくすといい音が出るんだ。音のそなりてぃ……とかなーんて。よく分かんないけど。そうやって能天気に過ごしていた。
でも、それは十歳くらいまでの儚い日常だったんだ。っていうのはね、臭いの問題があったから。おならっていう以上、その問題は避けられなかった。年齢を重ねるにつれ、楽しがっていた友人も遠巻きになるようになった。女子なんて言わずもがな。みんなドン引き。
それで僕は年貢の納め時というのかな。おならの納め時かと思って、ラストっぺをして尻のなかにしまい込むことにした。
ところが、ここで思わぬ事態。なんと困ったことにおならは止まらなかった。音を出す習慣がついたせいで、僕の肛門はおかしくなってしまったみたいなんだ。一日に少なくて十発、多くて二十発の溢れる屁。
ドイツの人ごめんなさい。ブリュンヒルデとかブリュリュッセルみたいな音のおならが遠慮なく出てきてしまった。
心配した両親は僕を病院に連れていった。精神科? 内科? おならが止まらないのはどの診療科に相談すべきだろうと、両親の間でひと悶着あったけど、看護師さんの仲介もあって、とりあえずは内科にかかることになった。
「息子のおならが止まらないんです」
「なるほど」
「先生、驚かないんですね」
「珍しくないからね。そういう悩みを持っている人は意外といるんだ。ははは」
医者は困惑することなく、二種類の薬を出すと言った。腸のガスを潰す薬と整腸剤。こういう例はあるらしいと聞いて僕は胸をなで下ろす。
「君、普段ご飯はどれくらいで食べる?」
「十分くらいです」
医者は、ああ、と声を出す。
「それじゃ早すぎだよ。きっと空気も食べちゃってるね。それがおならの原因じゃないかな」
「そうなんですね。確かにげっぷもよく出ます」
「ああ、もうちょっとゆっくり食べないと。レントゲンでもガスが溜まっているみたいだし、きっとそうだ。おなか張らない?」
医者は僕のおなかを押した。
「――んぐぅ。張ります」
「やっぱりな。薬飲んでしばらく様子を見てみよう。それでまた来てみてくれ」
僕は医者から処方箋を受け取るや否や、薬局に飛び込んだ。原因が分かったのと、それに対して薬があることに、有頂天なくらい僕は舞い上がっていた。
で、結論。薬を飲んだのだけれど全然効かなかった。多くて二十発だったおならは悲しいかな、さらに三十発に増加。整腸剤は質のいいおならを供給するばかり。むしろ、すがすがしいまでの悪化をしたのだった。
僕は両親に話した。薬が効かなかった。でも両親は認めない。薬の効果にタイムラグがあるかもしれないと言う。タイムラグだって? 地球と宇宙じゃないんだから。
それで、ひと月待ってから再び病院に受診すると、今度は医者も困り果てた。全身の検査をして、何の役割か全く分からない医療者にたらい回しにされた。検査の人に、君がおならの人なんだって? って半笑いで聞かれたときは高所から突き落とそうと思ったよね。医者が吹聴して歩いたのは確実だから。
検査の結果、分かったことが二つあった。一つ、おなか以外異常なところは見当たらない健常人ということ。二つ、僕たちが頭を悩ませている間にもガスの量は日に日に増えていったということ。
「対症療法ですが……」
結局、医者は前回と同様の薬を出すだけに留まった。初めて受診したときのあの自信満々な態度はどこへやら。遠慮がちにそう言った。
ところで、医者にとっては他人事でも僕にとっては自分事だ。医療の力を借りても対処できないのならば、この先の人生、僕はどうなるのだろう。
『僕はずっと、君のことが好きでした。付き合ってください! ぷっぷ、ぷブホホおぉお』
スタンディングオベーションレベルにヤバい。そうなったらもう棺桶の中でもぷっぷぷっぷしているかもしれない。そもそも恋愛できるかどうかも分からないけれど。一生おならが出続ける不治の病に侵された姿を想像して、僕は暗澹たる気持ちになった。
パソコンを開き、ネットで調べた。音と臭いを消す方法。そこで消臭パンツなるものの存在を知った。パンツのなかに特殊なフィルターをかませてあって屁ごとにラベンダーのかほりが噴射されるらしい。これは名案だと思った。早速、お母さんに拝み倒してAmazonで取り寄せてみると、これはよい。臭いが完全に隠蔽されていた。ただ、同時に音だけはどうしても隠せないことを示していた。それでも医者の薬よりはだいぶマシだった。ともかく一歩前進。
ここでエピソードを一つ。小六の僕は消臭パンツを履いて学校に通った。臭いは解決されたからあとは音だけの問題だったけれど、それだって椅子をずらす音やざわめきのなかに上手く溶け込ませられた。僕は安心して、友達には病気が治ったと伝えた。Y君を含めみんな祝福してくれた。ガスが止まったんだって! 僕は駆け寄ってきた友達が嬉しくてつい力んでしまった。そのときあの兆候が表れた。まずい。出ちゃう。僕はその場を離れようとした。でもみんなは離さない。それでむせたフリをして、せき込んだタイミングでおならしようと思ったら、終わった後にブー。咳で大きな注目を一堂に集めてからの、渾身の一発だったから、参った。きゃーー!! 一斉に引いていくクラスメイトたち。僕は顔から火が出る思いだった。
他に取り組んだこと。ガスを追い出すために僕はおなかにダンベルを乗せた。新鮮なおならが補充されるだけだった。食べ物を工夫した。臭いが多彩にデコレーションされただけだった。僕の涙ぐましい努力は全然報われなかった。
僕はお手上げだった。考えられるすべての案を試したのだ。僕は一生この体と付き合っていかないといけないのだろうか。
そんな思いを抱えたまま高校生になったある日、僕をさらに絶望の底に突き落とす事件が発生した。
臭いが、消臭パンツを、貫通したのだ。
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