第6話 影からの贈り物
あまりの苦痛と、気が遠くなるほどに遠大な記憶の濁流に意識を失ったわたしが次に目を覚ましたすと、そこは病院のベッドの上だった。
この世を冒涜しているとしか形容し得ない肉塊と空間のことは覚えているけれど、その後の記憶がない。
だけど、とにかくあそこから脱出してしまったということだ。
あそこでゆったりと弱り、餓死したかったわけではない。だけど、修学旅行から抜け出して、遭難して、入院して。
お母さんたちになにを言われるかを考えると、それがとにかく憂鬱で。
崖から飛び降りた時に一瞬で死ねていればと思わずにはいられない。
ベッドの脇に、お人形の騎士様が置かれているはずもなく、なんだか遣る瀬無い気持ちになってくる。
それでも幸運だったのは、とにかく目の前にお母さんたちがいないということだろうか。
ぼんやりと天井を見上げて、これからのことを考える。
どうせ死ぬ気だったけど、生き延びてしまったのなら、自由を求めて反抗してみようか。なんてことを考える。
だけど、自力でお金を稼ぐ術を持たないわたしが下手に反抗して、経済的に孤立したら、生きていける気がしない。
孤立した時に頼る人も、頼る機関があるかどうかも知らないから、どうしようもなさそうで。
やっぱり死んでおくべきだったなと思いながら、瞼を閉じた。
次の瞬間、わたしは夢の中にいた。もっと正確に表現するのなら、至る所に映像の写った泡が浮かぶ、黒い空間にいた。
それを夢という形で認識しているという、漠然とした確信があった。
「ようこそ。貴女のおかげで自由になれたから、お礼をしてあげる」
この空間には先客がいた。背景の闇に溶けてしまいそうな、真っ黒で表情の判別さえ難しい影の少女。
不思議な感覚だけど、あの正視に耐えなかった肉塊と同一の存在だと、直感した。
「あなた……なに?」
「ただの人間だったモノかな。見せてあげたでしょ? あんな体に変えられていく記憶を」
激痛とともに流れ込んできた、怨嗟に満ち溢れた記憶。確かに覚えている。とても現実にあったこととは思いたくない、悍ましい感覚を。
「酷い話でしょ。助けてあげた女の子にこんな体にされて。意図的ではなかったんでしょうけど」
「……そう……だね……」
なんと答えたらいいのかわからない。少なくとも、わたしの経験を当てはめるには、あまりに常軌を逸していた出来事だから。
「まぁ、そのおかげでこの能力を手にしたわけなんだけど、あの社と注連縄のせいで行使出来なかったから助かった」
「能……力?」
「そう。人の集合認識を夢の形で認識可能にして、選んで現実にする能力。私を助けてくれたお礼に、少し使わせてあげる」
言っている意味がよくわからない。本当か嘘とか以前に、その能力で叶えたいことなんて思いつかないし、使い方もよくわからない。お礼になっているかと言われたら……
「貴女、小さい頃に貰ったお人形に懸想しているんでしょう? その想いを叶えられるかもしれない」
「えっ……」
目の前にいる影の少女が唐突に口にした言葉は、わたしを強く惹きつけた。お人形の騎士様と添い遂げるなんで、自分でも頭がおかしいと思う夢が現実になるかもしれないなんて。
「どうやってそんなことを……」
「お人形が動くのは当然。お人形がお話しするのは当然。そんな風にたくさんの人が思えば、私の能力で現実にしてあげる。あそこに浮かんでいる認識が見える?」
影の少女はそう言ってわたしの真後ろに浮かんでいる認識を指差す。
電柱から顔を出している黒猫という映像が、泡の形でこの空間に浮いていた。
「黒猫に出会ったら不幸になる。全く馬鹿げた迷信だけど、つまりその程度の認識で十分なの。こうした多くのが人が知っている噂や認識を現実に出来るの。まぁ、あれを現実にした日には、世界中事故だらけになるでしょうけど」
確かにそれは、日本人なら一度は耳にしたことのある都市伝説。
信じている人は少ないだろうけど、黒猫を目にしてなんとなく嫌な気分になる人は少なくないはずだ。
集合認識のイメージがほんの少しだけど、掴めた気がする。
「貴女だけの祈りじゃ、現実にするには足りない。たくさんの人が、人形は動いて当然、人形がお話しするのは当然。そんな風に人の認識をすり替えていくの。そうすればその認識が、ここに現れるはず」
「……よくわからないけど、それってかなり大変なことだと思うんだけど」
「もちろん。だけどその分、自由度は高いよ。お人形に能力を付加することだってやり方次第で出来る。例えば、貴女を縛り付ける邪魔者を殺してくれる能力を人形に持たせることだって可能よ」
影の少女はこともなげにそう言っているけど、どう考えたって難しい。
確かにお人形が動いてくれて、邪魔な人たちを始末してくれたら嬉しいけど、そんな都合よく人の認識を誘導するなんて……
お人形は動いて当然で、そのお人形が人を殺すのも当然……そんな都合の良いお話を信じている人がいるわけ……
「あっ……」
あった。そんな都合の良い話。黒猫の話と同じくらいに知名度があって、漠然と信じている人も多そうな都市伝説が。
「悪いこと思いついたって顔してる。好きだよ、そういうの」
冗談めかして、影の少女がそんなことを言いながら、さっき見せてくれた黒猫の泡を破っている。破れた泡からは黒い影のようなモノが溢れ出している。
「……本当にお人形の騎士様に護ってもらえるようになるの?」
日々の孤独感。無条件で助けて、護ってくれる存在が身近にいない、、どうしようもない不安感と孤独感。
それを拭えるのなら、何を犠牲にしても構わない。実際にどれだけの苦しみが伴うかなんてわからないけど、少なくともいまはそう思うから。
「私はあくまで手を貸してあげるだけ。望んだように世界を歪められるかは、貴女次第ね」
「何バカなことをしてくれたの! お母さんたちに恥ずかしい思いをさせないで!」
ヒステリックに怒鳴りつけてくるお母さんたちの声。いつもなら素直に傷付いて、自分を責めるけど、もうそんな自分とはお別れした。
面倒なのは嫌だから、反省している風なそぶりは見せておくけど。
「こいつには口で言ってもわからないよ」
そう言って顔を殴りつけてくる。病院の中でよくこんなことが出来るなと思う。まぁ、こうしてのびのびと虐待するために、個室にしたのだろうけど。
口の中が切れて、痛いし、鉄の味がするし……いつものことだけど、やっぱり不愉快だ。
「お母さん! お外に黒い猫さんがいたの! 可愛かったー!」
病室の外でさっきあった出来事をお母さんに、嬉しそうに伝える女の子の声が聞こえる。
あぁ、なんて健全な親子関係なのだろう。目の前の現実が悲惨すぎて、妬む気持ちすら湧いてこない。
「明日には退院だから。あなたのわがままなんかにお金を使うのは無駄だから」
そう言い残して、お母さんたちは病室を後にした。
今回のことで少しでも優しくなってくれたなら。そんな風に思っていたけど、そんなことあるはずがないよね。
やっぱりわたしには、お人形の騎士様しかいないんだ。
ずっとわたしの妄想でしかなかったけど、きっと現実のものにしてみせる。
……でも、冷静に考えたら自分のあんな荒唐無稽な夢の内容を信じるなんてどうかしている気がする。
あの迷い込んだ場所も、社のことも、全部幻覚だったのかもしれない。
だとしても、追い詰められたわたしが縋れる希望なんて、影の少女の言った、現実離れしたことしかないのだ。
次の日、お母さんたちに連れられて退院の準備をしていると、看護師さんたちの話し声が聞こえた。
なんでも隣の病室にいた女の子の容態が昨日の夜、突然悪化して死んだとのことだった。
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