鐵路

日向 しゃむろっく

 公国の冬は厳しい。平均気温はマイナス二〇度。これでもまだ冬の寒さとしては序の口である。

 国立気象台の観測によると、十七年前にマイナス三二度を記録していたという。だがこのへんの村で生まれ育った人々にすれば、寒さは時が巡り人が育つ証になっている。

 村の入り口に人が集まっている。空は雲一つない青さだが、決して温かくはない。放射冷却で気温はマイナス二三度まで下がっている。

 アデリーナ・クリツィナはおろしたてのコートを着込み、足元に新品の旅行鞄を新雪に埋めながら村人達のエールを受けていた。

「アデリーナちゃん。体には気をつけてな」

「アデリーナ。帝国は人が多いから気後れしないようにな」

「アデリーナ……」

 当のアデリーナは瓶底メガネの位置を直しながら、一人一人に笑い返していた。その内心、時間を気にしてもいた。

 だが彼女は時計を持っていない。帝国に留学するにあたり身の回りの品を揃えたのだが、それでお金が尽きていたのだ。とても時計なんていう高級品を買うことはできなかった。

「ほら、アデリーナ。そろそろ行け」

 アデリーナがチラチラと犬ぞりのほうを気にしていたのを父が気づいたらしい。別れの切っ掛けを作ってくれた。

「ありがとうお父さん。行ってくるよ」

 いよいよ別れの時となったところで、彼女の母が包みを渡してきた。

「アデリーナ。はい。帝都まで五時間でしょ? お弁当作ったよ」

 五時間。数年前までは考えられなかった道程である。今までは雪や自然の要害に阻まれて、一週間で『無事に』着くか怪しいぐらいだった。だから誰も帝国に行こうとしなかったし、ましてや辺境の村人なんて、自国の首都に行くことすら一生に一度あるかないかということなのだから。

 アデリーナは頭が良かった。そして体を動かすことよりも本を読むことを娯楽としていた。

 教会に引きこもって蔵書を読みあさったり、司祭からは簡単な医術を教わってきた。そうしているうちに、彼女は魔法の適性を開花させた。それが司祭を通じて公国の高等魔法院に伝わると、すぐに公国の衛生省が奨学生制度を適用したと通知してきた。

 彼女の村がある州の役所は、自分達の州から国の特待生が出たことを大いに喜んだ。

 アデリーナは国と州のその辺りの動きが嫌いだった。

 それで何故隣国の帝国に行くのかというと、彼女がどうしてもいうことで州の役人とやりあったのだった。魔法一辺倒の公国の医療より、ちゃんと理論立てて体を切り開くことも厭わない帝国の医療の方が進んでいると思っていたからだ。実際、教会の蔵書にあった古い帝国の医学書も、非常に高度な内容だった。

 だからアデリーナは帝国への留学を望んだ。自分の魔法を操る力と、帝国の医療技術。この二つを合わせれば、今まで誰も思いつかなかったような治療法も編み出せるかも知れない。


   ***


 雪原を犬ぞりが走る。御者のかけ声が犬たちを鼓舞し、二十キロ先の町へとアデリーナを運ぶ。アデリーナは雪目を防ぐためのゴーグルをつけ、口元をマスクで覆っている。マスクの中は吐息で湿って結露していた。

「すみません! もう少し急いで頂けませんか!」

 アデリーナは叫んだ。

 御者は前方を見据えながら訝しがった。

 意図を読めていない御者に、アデリーナは続ける。

「このままじゃ時間に間に合いませんから!」

「大丈夫だって! 鉄道なんて、時間通りくるかどうかわからんじゃないか」

「で、でも……」

「大丈夫だよ! ほら、線路が見えてきたぞぉ」

 御者の言うとおり、右手にコンクリート製の杭でガードされた線路が見えてきた。

 真っ直ぐな線路。白い雪原に黒い筋が四本走っている。それは地平線の上にぽつりと見える黒い物に向かって伸びていた。

「もうすぐだぞ」

 そういうと御者は犬にさらなる喝を入れた。


   ***


 アデリーナの村から二十キロの位置にある町。

 ここは宿場町であり、帝都から公国の首都へと向かう街道に沿うようにして出来た人の集まりだ。宿や商店が連なり、暖房の湯気が煙突から上がっている。

「駅、駅……」

 アデリーナはえっちらおっちら、旅行鞄を引きずりながら駅へ向かった。

 駅舎が見える。『列車』が開通したときに増築された駅舎は綺麗だった。

 公国にありがちなゴテゴテとした様子は無く、直線で構成された箱のような駅舎。寒色で彩られ、どこか氷塊のような印象をうける。

「なんだか寒々しい駅だなぁ……」

 彼女は素直な感想を述べた。

 公国の建築様式から照らせば、この駅舎はその様式から外れていた。いや、所々公国っぽさは見える。だが、なんだか「配慮しています」というような感じで、ささやかだ。

「——わ。これ、ガラスだ……」

 アデリーナは驚いた。

 駅舎の入り口の扉が一枚板の大きなガラスだったのだ。

 ガラスの製造は公国では錬金術師の専売である。それなので彼ら錬金術師は、これだけの物をこしらえる場合ものすごい値段をふっかけてくる。そんな物が、こんな公国の片田舎にある。

「国も力入れてるのかなぁ」

 アデリーナは風除室に入り、靴に詰まった雪を蹴落とした。そして構内へと入っていく。

「明るい……」

 構内は天井が高く、そして明るかった。宮殿のような荘厳さはない。それが意外だった。公国の様式に沿えば、すぐにそのようにゴテゴテとした装飾を施されるからだ。この駅舎にあるのは、どちらかというと『整理』と『情報』だった。

 外観と同じ直線で構成された駅舎の柱には様々な広告が飾ってある。大陸の共通言語で書かれており、どれもこれも帝都や首都のものだ。時折どこかの町の名物のものもある。

「ええと? ど、どうやって乗るんだっけ……」

 アデリーナは、言ってしまえば田舎者である。移動手段と言えば馬車かロバ、そして犬ぞり。

 最近の公国首都では自動車が走っているが、所詮は金持ちや企業の物。個人が乗る事なんて、ほとんどない。精々乗り合いバスだ。それも、こんな田舎にまでは進出していない。

「お困りですか?」

 切符を持ってうろうろ迷っていると、背後から声をかけられた。

 アデリーナがそちらを向くと、そこには軍人らしき中年の男性が立っていた。黒い制服と、金色の刺繍の入った上等な帽子を被っている。

 ——たしかに格好だけ見れば軍人のようだったが、その顔は柔和で、とても軍事教練を受けた人間には見えなかった。もしかしたら軍人ではないのかもしれない。

「え、えと。どうやって乗れば良いのかと思って」

「ああ。あちらの自動改札機に切符を挿入してください。そうすればゲートを通れます」

「あ、ありがとうございます!」

 アデリーナはお礼を言うと、男のいう『ジドウカイサツキ』へと向かった。これもまた彼女にとって、初めてのものだった。壁のような、胴までの高さの機械が等間隔に並んでいる。何人かの紳士や淑女がその機械に切符を差しこんで、向こう側へと進んでいくのを見て、彼女もそれを真似てみることにした。

 切符を機械の、銀色の口のようなものに恐る恐る近づけて差しこむ。すると機械は切符を吸い込むようにして飲み込んでしまった。

「えっ! 切符! 切符返して!」

 アデリーナは狼狽した。切符は役所から貰った物。貴重品である。それが構造も仕組みもよくわかっていない箱に吸い込まれてしまった。返ってこないのではないか……と思ったが、反対側から吐き出されたのを確認して、安堵した。

「ええと? 二番線……?」

 切符を見ながら自分が乗る列車の乗り場を探す。

 彼女はふと、天井からぶらさがっている案内板を見た。そして驚愕した。

 文字が光って、右から左へ動いているのだ。

「わあ! 綺麗! これも魔法?」

 案内板には『サプサン4号 2番線 カイゼリヒハウプシュタット 13時10分』と表示されている。

「あ……ここかな?」

 アデリーナは掲示板の表示に従って階段を登ろうとしたが、その傾斜と段数に怯んでしまった。だがすぐに、その右端で動いている物に気づく。

「——階段が……動いてる……」

 黒く、黄色い線で縁取られた階段が上へ上へと昇っていっている。

『ピンポーン……。エスカレータに乗るときは、ベルトに掴まり、黄色い線の内側に乗って歩かないでください』

 恐る恐る、その『えすかれーた』に近づくアデリーナ。これに乗れば、重い荷物を持っていても楽が出来る。そう思い、先に旅行鞄をステップに乗せて先行させる。

『えすかれーた』は文句も言わず荷物を運んでくれる。そしてアデリーナの番。彼女はその、床から生産されるようにせり出してくるステップに足を乗せようとした。

 だが、どうもタイミングが合わない。ベルトに掴まりながら飛び乗ろうとするが、踏ん切りがつかない。そのうちに鞄は『えすかれーた』の中段まで進んでしまっていた。

「ああああああ……。ど、どうしよう……」

 だがすぐに彼女は、自分の体だけは普通に階段を上れば良いと気づく。

 息を弾ませて『えすかれーた』の鞄を追い抜いていくと、降り口で待ち構えていた彼女は無事鞄を回収できた。

 後から乗ってきた他の客に白い目で見られていたので、アデリーナはペコペコと謝る。

「こっちが二番線? 反対側が一番線……。ええと三号車の指定席……」

 アデリーナはホームを帝国方向へと歩き出した。

 ホームは屋根がある以外は露天なので寒かったが、雪もないので歩きやすかった。固い、切り出した石のような地面にはゴミ一つ落ちておらず、とても清潔だった。よく見れば構内には随所にゴミ箱が置いてある。

「すごいなぁ……国営の施設は……。あれ? そういえば鉄道の運営って帝国だっけ公国だっけ……? でも、共和国にもあるって聞いたし、王国の都にも小さい列車が馬車と一緒に走ってるって司祭様がおっしゃってたし……」

 そのうち、彼女は階段の背側に配置してある、色とりどりな装飾を施された箱を見つけた。

 背はアデリーナより少し高く、ガラスをはめ込まれた窓のようなものが三段重なっている。窓の中には、赤や緑の円筒形のものが並んでいた。その下には『あたたかい』や『つめたい』と書かれたプレートが貼り付けられており、少額の額面が併記されている。

「何これ?」

 おいてあると言うことは何か意味があるのだろう。よく見ると緑色の筒の下には『緑茶』と書かれていた。

「これって飲み物の販売機……? すごーい」

 要するに少額貨幣を投入することで、好みの飲み物が手に入る機械だと知り、彼女は感心した。

 アデリーナは鞄を足元に置いて、財布を取り出す。そして銅貨を数枚とりだして投入。額面が書かれた部分が光ったのを確認すると、『緑茶』を押した。

 何かが落下する音が鳴り、足元の籠の中に緑色の筒が転がり込んできた。

「わー。これ帝国のお茶? え? あ! 温かい! うそ!」

 驚愕の事実。どう考えても人が入っているとは思えない。なのに、今煎れたばかりのような暖かさのお茶が出てきた。記録によれば太古の昔、大陸の反対側にあった大帝国では、硬貨を入れると一定時間水が出てくる機械があったそうな。要するにこれは、その子孫とも言える。

「……どうやって飲むの。これ?」

 陶器では無い。金属でも無い。なんだかペコペコした軽い容器。アデリーナは困ったが、販売機のピラーに開け方の説明が書かれていたのを見つけてホッとした。

 説明のとおり白い頭部をひねると、パキパキという変な音が出て頭が外れる。

「ふーん……。なんだか若草みたいな香り。そして、本当に緑なのね……」

 彼女は一口、口を付けた。

「……淡泊な味だなぁ……。公国のお茶とは全然違う。渋さも味も、香りもあっさりしてる」

 アデリーナはごくごくと飲み出す。喉を伝って、温かさが体を巡る感覚がする。犬ぞりで冷えた体にはこれはありがたかった。

『二番線。13時10分発。サプサン四号、カイゼリヒハウプシュタット行きが、七両編成で到着いたします。この車両は三号車から五号車までが指定席となっております。途中、ビゼマニェゴロド、アンナニミィゴロド、ナメロスシュタット、バウアンドルフ、終点カイゼリヒハウプシュタットに停車いたします。黄色い線の内側にお下がりください』

『えー。二番線にサプサン四号到着いたします。黄色い線の内側にお下がりなって、お待ちください。繰り返します。二番線、サプサン四号到着です』

 それを聞いてアデリーナはマスクで鼻と口を覆った。煤煙を心配したのだ。

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