第2話 消えたラヴィアンローズ

 次元戦艦、合成鬼竜でエアポートに乗り付けた一行は、未来世界の大都市、天高く浮遊するエルジオンへとやってきた。

 案内人は、未来生まれのシュゼットが務める。

「ラヴィアンローズか。懐かしいな。あれは確か、シュゼットと出会って間もない頃だったよな」

「なんだアルド。行った事があるのか。どんな店なんだ?」

「われも気になるぞ!」

「いや、あの時は色々あって、結局食べれなかったんだ。確か、フルーツタルトが美味しい店だったと思うけど」

 工業用ロボットの暴走で合成フルーツの供給がストップしていた事件である。思い返してみると、ティラミスとも似たような事件を解決していた。

「流石は闇の契りを交わせしパートナー。ですが、その説明では不十分ですわ!」

 ばっとワンピースの裾をはためかせ、シュゼットは闇のポーズを取る。

「ラヴィアンローズは広いエルジオンの中でも、トップオブトップに君臨するスイーツショップの女王! この街の全てのパティシエが一度は働いてみたいと夢見る、約束されし甘き楽園なのですわ! オススメは合成フルーツをふんだんに使ったタルトですけど、他にもジュレ―、ケーキ、マドレーヌ、プリンにアイスにシュークリームと、とにかく豊富なラインナップが売りなのです!」

 聞いているだけで胸焼けのしそうなアルドだが、隣のユーインは愉快そうに口笛を吹いた。

「そいつはますます楽しみだ!」

「アルドの時代もそうだが、先の時代にはわれの知らないデザートが沢山あるからな! え、食べ過ぎは感心しない? もう、プリン! 今日くらいはいいでしょ!」

 彼女の契約する天界の竜、プリン・ア・ラ・モードに小言を言われたのだろう。ティラミスが口を尖らせる。

「ふふふ。わたくしも楽しみですわ。皆さんには、素敵なお店を紹介していただきましたから。甘党の皆さんと一緒にスイーツを楽しむのは、一人で食べるよりも何倍も美味しいですし。これも、素敵な出会いを紡いでくれたアルドのおかげですわね」

 にこやかに言うと、シュゼットが足を止めた。

「さぁ、着きました! こちらがエルジオンの誇る究極のスイーツショップ、ラヴィアンローズの本店で……す……わ……?」

 楽しげだったシュゼットの言葉は、尻切れになって消えた。

「どうしたんだ、シュゼット?」

 アルドが尋ねる。仲間達も心配していた。

「あ……あ……あ……」

「あ?」

 ティラミスが小首を傾げた。

「ありませんわ~!?」

 エルジオン中に、シュゼットの絶叫が響き渡る。

「ラヴィアンローズの本店が!? 確かに絶対間違いなくここにあったはずなのに!?」

 エルジオンのあちこちで見かける高層ビルの連なりを指さして、シュゼットは言った。

「引っ越したんじゃないか?」

 冷静にユーインが言う。

「そんなはずは!? そのような事があれば、プレミアム会員のわたくしに連絡が届くはずです!」

「ならば、潰れてしまったのではないか? こっそり夜逃げをしたのであれば、連絡がないのも納得じゃ」

「あり得ません! ラヴィアンローズが潰れる事があるとしたら、この世界から甘党がいなくなった時だけですわ!」

「まぁ、そんなに人気のある店がいきなりなくなっちまうってのは、妙な話ではあるが……」

「おかしいですわ! こんなの、間違っています! 頭がどうにかなってしまうそうですわ!?」

 ツインテールを振り乱し、シュゼットが右に左に慌てふためく。

「落ち着くんだシュゼット。有名なお店なんだろ? だったら、街の人に聞いてみたらいいんじゃないか?」

 アルドの助言に、半泣きになっていたシュゼットはいくばくかの冷静さを取り戻す。

「確かに! アルドの言う通りですわ!」

 言うが早いか、シュゼットは風のように走り出し、手あたり次第通行人に話しかけた。

「すみません! あそこにあった、ラヴィアンローズの本店がどうなったか知りませんか!?」

「え、ラヴィアンローズ? なにそれ?」

 話しかけられた青年は、訳がわからないという風に目をパチパチさせた。

「え、ぁ、ごめんなさい。知らないのなら、大丈夫!」

 口ごもりつつ言うと、今度は若い女性に話しかける。

「ごめんなさい! お聞きしたいんですけど、ラヴィアンローズの本店がどこにあるか知りませんか?」

「ラヴィアンローズ? 聞いた事ない名前だけど、なんのお店なのかしら」

「えっと……有名なスイーツショップですけれど……」

 まさか、立て続けにラヴィアンローズを知らない人間に出くわすとは思わなかったのだろう。奇妙な出来事の連続に、シュゼットの頬から血の気が引いていく。

「えぇ? あたし、スイーツショップには詳しい方だけど。そんなお店、聞いた事がないわね」

「そんな!? ラヴィアンローズはエルジオンで一番有名なスイーツショップのはずですわよ!?」

「そんな事言われても知らないわよ。あなた、なにか勘違いしてるんじゃない?」

 不気味そうに言うと、若い女性は逃げるようにして去っていった。

「そんな……なにが起こっていますの……」

 わけがわからず、シュゼットはその場に座り込む

 見かねて、仲間達も集まってきた。

「大丈夫か、シュゼット!」

「えぇ……その、あまりにショックで……。だって、ラヴィアンローズがなくなってしまったどころか、誰も名前すら知らないんですもの。まるで、別の世界に迷い込んでしまったみたいで……」

「ゴスロリの嬢ちゃんが嘘を言うはずがねぇ。よくわからんが、とんでもなくヤバい事が起きてるのは確かだろうな」

 神妙な顔でユーインが髭を撫でる。

「シュゼット……おぬしの気持ち、よくわかるぞ! 大好きなスイーツショップがなくなるのは、己の半身を引き裂かれるのも同じ! いや、それ以上の苦痛であろう! さぁ、われの胸を貸してやる。存分に泣くがよい……」

「うぅ、ティラミス……ありがとう……うわああああん!」

 ティラミスに抱かれて、シュゼットは泣き出した。

 それぞれが茫然と立ち尽くす中、アルドは一人考えていた。

 こんな事は、前にもあった。

 規模は小さいが……しかし、この状況に説明をつけるなら、それしかない。

「もしかしたら、歴史改変が起きたんじゃないか?」

「レキシカイヘン? なんじゃ、それは」

「たしか、未来の人間がそれより過去の時代で悪さをする事で、歴史が変わっちまうって奴か?」

 アルドや他の仲間達の会話を朧げに覚えていたのだろう。ユーインが言う。

「あぁ。街の人達の反応は、ラヴィアンローズが元から存在しなかったみたいじゃないか。そんな事が起こるとしたら、歴史改変しかないと思う」

「うぅ、ぐす、ぐす……でも……だとしら、わたくし達のせいという事ですの?」

 アルドは首を振った。

「いや、違うと思う。難しい話だから、俺もちゃんと理解してるわけじゃないんだけど。歴史っていうのは元に戻ろうとする力があるみたいで、明確な意図を持って変えようとしない限り、滅多な事じゃ変わらないはずなんだ」

「それならばよいのですけど……わたくしのせいでラヴィアンローズが消えてしまったのだとしたら……あぁ! 申し訳なくて、生きていけませんわ!」

「おぉ、シュゼットよ。そのように泣くな。アルドは違うと言うておる。仮にそうであったとしても、その時はわれも同罪じゃ。責任を持って、そのレキシカイヘンとやらを正す手伝いをしてやるぞ」

「そうだぜ、ゴスロリの嬢ちゃん。同じ甘党仲間じゃねぇか! 辛い事を一人で背負い込んだってろくなこたぁねぇ。きたねぇおやじの背でよけりゃ、幾らでも背負ってやるさ!」

「……皆さん……ありがとうございます……」

 ぽろぽろと、甘露のように綺麗な涙をこぼし、シュゼットが頭を下げる。

「よせやい。どこかのお人よしの真似をしただけだ。なぁ、アルド」

 照れくさそうに言うと、ユーインはアルドの肩を叩いだ。

「ん、あぁ」

(誰の事だろう?)

 お人よしの青年は思うのだった。

「ともかく、なにが起きたのか確認しないと。原因は過去にあるはずだけど、ティラミスの時代は時間が離れすぎてるし。多分、俺達の時代で何かが起きたんだと思う。問題は、どこでなにが起きたかだけど……」

 そこから先は、アルドにも分からない。一体、どこに行き、なにを探せばいいのやら。

「そう言う事なら、俺に一つ、心当たりがあるぜ」

「本当ですか!? ユーインおじ様!?」

 降って湧いた光明に、シュゼットが顔を上げる。

「あぁ。100パーセントとは言えないが。いい線いってると思うぜ?」

「ユーイン! もったいぶらずに早く言わぬか!」

 じれったそうにティラミスが急かす。

「あぁ。信じられない話かもしれないが、俺が思うに、ゴスロリの嬢ちゃんが言うラヴィアンローズって店は、さっき俺達が行った酒場が元になってるんじゃねぇかと思うんだ」

「えぇ!?」

 驚いて、シュゼットが口に手を当てる。

「どうしてそう思うんだ?」

 アルドが尋ねた。

「名前だよ。ラヴィアンローズってのは、薔薇色の人生って意味だろ? あの酒場の名も、薔薇色の人生亭っていうんだ。偶然にしちゃ出来過ぎてる。こいつは、何か関係があると思わないか?」

「確かに」

 アルドは頷いた。

「きっとそうに違いない! さぁ、アルドよ! シュゼットの為にも、急いで元の時代に戻るのじゃ!」

 ティラミスの言葉に頷くと、四人は次元戦艦のもとへと急いだ。


 †


「おやじ! 無事か!」

 ぶち破りそうな勢いで扉を開くと、ユーインが叫んだ。

「あぁ……ユーインか。耳が早いな……」

 弱々しい作り笑いでマスターが言う。

「耳が早いって……やっぱりなにかあったのか!?」

 馴染みの店主である。ユーインの声にも心配が滲んでいた。

「なんだ。事情を知ってるわけじゃないのか」

「いいから話せ! なにがあったんだ!」

「まぁ、なんだ。お前にはちと言いづらいんだが……。俺は、デザート作りをやめる事にしたよ」

「な!?」

 数々の修羅場を潜った敏腕ブローカーも、この時ばかりは絶句した。

「そんな!? おじ様、あんなに楽しそうにデザートを作っていたのに!?」

「おぬし程の菓子職人が辞めてしまうなんてもったいない! それは、この世界から色が一つ失われる事と同じであるぞ!」

 甘党の乙女たちもショックを隠せない様子だ。

「おやじさん、どうして急にそんな事になっちゃったんだ?」

 アルドが尋ねる。

「あぁ。なんというか、みっともない話なんだが、俺は自分の限界を悟っちまったんだ」

「限界を悟る? どういう事だ?」

「お前さん達が帰った後だ。妙な格好をした若造が入って来てな、いきなりデザート勝負をしろと言い出したんだ。勝った方が負けた方の言う事を一つ聞くとか条件をつけてな。馬鹿げた賭けさ。俺は、興味ないから帰ってくれと言ったんだが、客の連中が面白そうだからやってみろと騒ぎだしてな。仕方なく、勝負を受ける事になった」

「まさか、あんた程の腕の男が負けたのか?」

 信じられないという風にユーインが言う。

「完敗だったよ。満場一致だ。店の連中は俺を贔屓するつもりだったみたいだが、奴のデザートを一口食ったら目の色を変えちまった」

「それで、相手はおじ様に、なにを命じたのです!?」

「……二度とデザートを作るなとさ」

「なんと卑劣な!?」

 ティラミスが叫んだ。

「くだらねぇ口約束だ! そんなの、律義に護る義理なんかねぇだろうが!」

「いやな。俺がデザート作りを辞めるのは、賭けのせいじゃないんだ。あいつは天才だった。あんなすごいデザート、一生かかったって俺には作れそうにない。そう思ったら……はは。なんだか、急に虚しくなっちまってな。俺みたいなくたびれた酒場のおやじでも、もしかしたら、ずっと先に名の残る、立派なデザートを作れるかもなんて甘い夢を見ていたが。いいかげん俺もいい歳だ。親父から継いだ店でいつまでも遊んでいるわけにはいかんしな。お菓子屋の真似事は、この辺が潮時だ」

「おやじ……つれねぇ事言うなよ! あんたがデザート作りを辞めちまったら、これから俺はどこでデザートを食ったらいいんだ!」

「すまんなユーイン。だが、もう決めた事だ。なに、これからは、あの若造がお前の心を癒してくれるさ。ちと性格は悪いが、デザート作りの腕前は本物だ。安心しろ」

「おやじ……」

 懇願するようなユーインの言葉に、マスターは申し訳なさそうに首を振る。

「引き留めてくれるのはありがたいが、俺なりに考えた上での答えなんだ。……流石に今日は色々と堪えた。店じまいにするから、そっとしておいてくれないか」

 触れれば降り出す雨雲のような横顔に、四人はそれ以上何も言えず、店を出る事しか出来なかった。


 †


「ラヴィアンローズが消えた上に、酒場のおじ様までデザート作りを辞めてしまうなんて……」

「まったく! 今日は甘党にとって、最悪の日じゃ!」

「けど、これでユーインの説は正しかったって証明されたな。酒場のおやじさんが立ち直れば、消えたラヴィアンローズも元に戻るはずだ」

「もう一つ分かった事がある。今回の騒動を起こしたのが、ふざけた小僧だって事だ! よくも俺の憩いの場をぶち壊しやがって! 絶対に見つけ出してとっちめてやる!」

 店を出ると、アルド達は口々に言う。怒り心頭のユーインは、今にも槌を振り回しそうな勢いだ。

「乱暴はよくないけど、話を聞いてみる必要はありそうだな。とりあえず、街を探してみよう!」

 頷くと、四人は走り出した。


 †


 それらしき相手はすぐに見つかった。

 武器屋や道具屋の並ぶ露店通りである。

 普段から賑やかな場所だが、その日は特に混み合っていた。おまけに、辺りはえも言われぬ甘い香りが漂って、ずっと遠くからでも分かるほどだった。

 蜜に誘われる虫のように、アルド達も吸い寄せられていく。

「美味いぞおおおおおおおお!」

「こりゃすごい! ほっぺたが落ちそうじゃわい!」

「お菓子作りで有名な酒場のマスターに勝っちゃったって噂は本当だったのね!?」

 例の若造が店を出しているのだろう。菓子を手にした客達が、蕩けた顔で口々に言っている。

 人だかりの中心には、なるほど、若造と言う他ない、キザっぽい青年が満足そうに立っていた。

「はっはっは! そうだろうとも! 僕は天才だからね! 今日から、この場所に店を出すつもりだ! 精々贔屓にしてくれよ!」

「あやつがそうか!」

 高笑いする青年を見つけて、ティラミスが指をさす。

「野郎、ぶっ飛ばしてやる!」

「ユーイン!? 乱暴は駄目だって! まずは話し合わないと!」

 槌を担ぐユーインをアルドが止める。

 その横を、闇色の影がさっと追い抜いた。

「シュゼット!?」

「見つけましたわよ! ラヴィアンローズの仇! 魔界に堕した精霊の生まれ変わり、闇のプリンセスのシュゼットが成敗してさし上げます!」

 堕天せし闇黒魔姫の涙を晴天に掲げ、シュゼットが決めポーズを取る。

 突然の闖入者に、青年は泡を食った。

「な、なんだお前は!?」

「よさないか! シュゼット!」

 大慌てでアルドは二人の間に滑り込んだ。

「シュゼットよ。その気持ち、よく分かるぞ。デザートの恨みは、それ程までに恐ろしいという事であるな」

 野次馬に混じり、神妙に頷くティラミスに向け、アルドは叫んだ。

「言ってないで、ティラミスも止めてくれ!?」


 †


「なるほどね。確かに僕は、酒場のマスターにデザート勝負を挑んだよ」

 シュゼットを宥めた後。ここに来た理由を話すと、青年は悪びれる様子もなく言った。

「どうしてそんな事を!?」

「はっ、君達に話す義務があるのかい?」

 シュゼットの問い掛けを、青年は鼻で笑う。

「なんだと! てめぇのせいで酒場のおやじはデザート作りを辞めちまったんだぞ!」

 青年の冷ややかな態度に、ユーインも熱を上げる。

「知った事じゃないね。あの程度の実力で天狗になっていた彼が悪いんだ。僕のせいじゃない」

「なにが天狗だ! おやじの努力も知らないで!」

「知る必要もないさ。デザートの世界は甘くない。結果だけが全てなのさ」

 ぎりぎりと、ユーインの歯ぎしりが響いた。このままでは本当に暴れかねないと、アルドが割って入る。

「俺からも質問がある。あんたは、未来人じゃないのか?」

 その言葉に、青年の目の色が変わった。

「へぇ……そういえばさっき、そっちの子がラヴィアンローズがどうとか言ってたね。もしかして、君達もそうなのかい? その割には、恰好が古臭いようだけど」

 アルドは首を振った。

「一人だけだ。色々と事情があって、俺達は時空を超える事が出来るんだ」

「へぇ、そいつは凄い」

「だから、もしあんたが元の時代に帰りたいなら、未来に帰してやることも出来る」

「アルド!?」

「お前、こんなキザ野郎まで助けてやるつもりかよ!」

 ティラミスとユーインが、信じられないという風に叫ぶ。

「俺だって嫌だけど、それとこれとは話が別だ。なにかの事故でこの時代に飛ばされてきたんだったら、帰してやらないと」

「はははは! 君は随分とお人よしなんだね。確かに、僕は自分の意志とは関係なくこの時代に飛ばされてきた。でも、帰る気はないよ。僕は、この時代が気に入ったんだ」

 はいそうですかと引き下がるわけにはいかない。帰りたくなくても、この時代にいられては困る理由があった。

「そういうわけにはいかない。あんたの行動のせいで未来が変わっちゃったんだ。これ以上この時代にいられると、なにが起こるか分からない」

 その言葉に、青年はシロップみたいに粘ついた笑みを浮かべた。

「……もしかして、それってラヴィアンローズの事かい?」

「あの店を知ってるのか?」

「当然さ。あの時代を生きるパティシエで、ラヴィアンローズを知らないのはモグリだ。それで、ラヴィアンローズはどうなったんだい?」

「消えてしまいましたわ! 綺麗さっぱり! 全部、あなたのせいですのよ!」

 シュゼットが叫んだ。

「そんな!? ラヴィアンローズが、消えただって!?」

 そんな事になるとは思ってもいなかったのだろう。さしもの青年も、驚きを隠せない様子だ。

「知らなかったんだろうけど、あんたが負かしたマスターの店は、ラヴィアンローズの元になった店なんだ。今からでも遅くない。マスターに謝るんだ。もしかしたら、それで歴史が戻るかもしれない!」

 マスターの自信を取り戻し、青年を未来に送り返す。それで、全ては丸く収まるはずだ。

「ふ……ふ……ふ……ふはははは! はーっはっはっは!」

 突然、青年は狂ったように笑い出した。

「謝る? 冗談じゃない! それに、君は誤解しているよ! 僕はね、あの酒場がラヴィアンローズの元になっていると分かっていて勝負を仕掛けたんだ! はははは! そうかい、ラヴィアンローズは消えたのか! 結構な事じゃないか! 前からあの店は気に入らなかったんだ! 消えてくれて清々するよ!」

 豹変ぶりに、アルドは唖然とした。

「この外道が……」

「許せない! やはり、わたくしの魔槍で成敗しなければ!」

「シュゼットよ! われも加勢するぞ!」

 三人の甘党が、グラッセのようにぐつぐつと怒りを滾らせ武器を構える。

 青年は欠片も臆した様子を見せない。

「おっと、いいのかい? 売れっ子パティシエの僕にそんな事をして。街の人間が黙ってないんじゃないかな?」

「なっ!?」

 言われて、アルドは辺りを見回す。野次馬達は、眉を潜めてこちらを指さしている。程なくして、人垣が割れ、甲冑に身を包んだ騎士が現れた。

「通報があって来たのですが、アルドさんでしたか。いったい、なにがあったんですか?」

 国王と顔なじみのアルドである。騎士団の人間の中には、共に旅をした者もいる。お陰で、アルドの顔を知る騎士の中にはこのように信頼してくれている者もいるのだが。彼に歴史改変について説明しても理解を得られるとは思えない。そうなってしまうと、状況はアルド達が悪者だった。

「その、これには複雑な事情があって……」

 上手い言い訳が思いつけばいいのだが。アルドには、そんな風に口ごもるのが精一杯だ。

 そんなアルドの様子を見て、青年は愉快そうに口の端を歪めた。

「あぁ、騎士さん。これは誤解なんだ。彼らは僕のお菓子を気に入ってくれてね。お礼に客引きのパフォーマンスをしてくれていたのさ。いやぁ、おかげでこんなに人が集まった。ありがとう、これはほんのお礼だよ」

 にこやかに言うと、青年はアルドに包みに入ったお菓子を手渡した。

「ふざけないで!」

「誰がそんな物!」

 シュゼットとティラミスが口々に叫ぶ。

「そう怒らないでくれよ。それを食べれば、君達も僕の正しさが理解出来るはずさ。だって、デザートの世界は美味しさだけが正義だからね! はーっはっはっは!」

「もう我慢ならねぇ……その腐った性根! 俺の槌でたたき直してやる!」

「やめろユーイン! ここは引くんだ!」

「けどよアルド!」

「冷静になるんだ! 賢いあんたなら分かるだろ……」

 グッと、ユーインの喉が鳴る。

「……ちくしょう!」

 悔しそうに叫ぶが、なんとか怒りを抑えてくれたらしい。

 逃げるようにその場を去る四人の背中を、青年の高笑いが嘲ていた。


 †


「わたくし、悔しいですわ!」

 ひと気のない路地まで来ると、堪えきれずにシュゼットが叫んだ。その声は涙に濡れ、踏みつぶされたパイのようにひび割れていた。

「われだって! これ程の屈辱を受けたのは初めてじゃ!」

 ティラミスも怒りに震え、足元からは天界の竜の魔力が怒気と共に立ち昇っている。

「ゴスロリの嬢ちゃんに竜の嬢ちゃん……めんぼくねぇ! カッとなっちまって、何も言えなかったぜ……こんなんじゃ、ネゴシエーター失格だ!」

 二人の保護者気分だったのだろう。ユーインは、歯痒そうに掌に拳をぶつけている。

「ユーインのせいじゃないさ。丸め込まれたのは、俺も同じだし」

「そうですわ! ユーインおじ様は悪くありません! 甘党に、悪い人はいませんもの!」

「そうじゃ! おぬしが悪いのは人相だけ! だから、そのように気を落すな……え? なにプリン? 今のはフォローになってない? ご、ごめんなさいユーイン! そういうつもりで言ったんじゃないの!?」

 ティラミスと天界の竜の不意打ちのようなやり取りに、ユーインは噴出した。

「ぷっ、ははは。いや、竜の嬢ちゃんの言う通りだ。いい年したおやじがめそめそしてても気持ち悪いだけだしな。ありがとよ、おかげで元気出たぜ」

「そ、そうか? そうれならばいいんじゃが……」

 ホッとしたようにティラミスが胸を撫でおろす。

 その様子を見て、アルドもホッとした。みんな、気のいい仲間である。出来る事なら、笑っていて欲しい。

「しかし、困った事になったな。あの若造、ラヴィアンローズに何の恨みがあるのか知らんが、一筋縄じゃいかないぜ」

「えぇ。あの様子では、酒場のおじ様に謝って頂くのは無理そうですわね」

「邪竜の類であれば、ちょちょいとやっつけて終わりなのじゃが……」

 この事件を解決するにはどうしたらいいのか。誰一人名案は浮かばず、焦げた砂糖のように苦々しい沈黙が立ち込める。

「……とりあえず、あいつがくれたお菓子を食べてみないか?」

 思いついて、アルドは言った。

「おいアルド。なにを言い出すかと思えば……俺は嫌だぜ! あんないけ好かねぇ野郎の作った菓子なんか、死んでもごめんだ!」

「わたくしもお断りします! いくら甘党でも、選ぶ権利はありますわ!」

「……われは食べるぞ」

 二人が臍を曲げる中、ティラミスは言った。

「確かにあの男は外道だが、デザートに罪はない。食べてやらねば、その為に費やされた命が報われぬ」

「あっ」

「……確かにな。俺とした事が、どうかしてたぜ」

 ティラミスの言葉で、二人も分かってくれたらしい。

「それじゃあ、食べようか」

 アルドは三人に包みを分けた。

「ふん。見た目はただのシュークリーム……いや、この生地はパイシューか。まぁ、なんでもいい。あんな下衆野郎の作ったデザート、美味いはずがないぜ。……あむっ」

 四人が同時にパイシューを頬張る。サックリと小気味よい音が路地に響くと、全員の目の色が変わった。

「美味ぇ!? なんだこのパイ生地は! 紙みたいに薄いのに、しっかりと歯ごたえがあって、噛めば噛むほどこうばしい香りと優しい甘さが口の中に広がってきやがる!?」

「驚くのは中身の方じゃ! なんなのじゃこの氷のように冷たいクリームは! こんなシュークリーム、われは食べたことがないぞ!」

「これは……アイスをパイ生地で挟んだシュ―アイスですわね……ですが、この味は……悔しいけれど、ラヴィアンローズのそれにも勝るとも劣らない美味しさですわ……」

「お菓子の事はよくわからないけど、確かにこれは美味しいな」

 本来なら喜ばしい事なのだが、その事実は、四人を余計に落ち込ませた。

「……完敗だ。こんなもんを食わされたら、おやじがデザート作りを諦めちまうのも無理はねぇ……」

 実際に、それ程の味だったのだろう。シュゼット達も、口惜しそうに黙り込んだ。

 らしくないとアルドは思った。

 こんなのは、まったくもってらしくない。

 三人は三人とも、アルドにとって、手綱を握るのも一苦労の元気な暴れ馬なのである。

「どうしたんだよみんな! まさか諦めるつもりなのか!?」

「そりゃ、俺だって諦めたくねぇよ……。あの若造には勝てなくたって、おやじのデザートは一級品なんだ。それに、おやじのデザートには、味だけじゃない、もっと大事な何かがあるんだ……辞めちまうなんて、勿体なすぎる」

「ラヴィアンローズもそうですわ! あのお店は、ただ美味しいだけのスイーツショップではありません。食べる人に寄り添って、人生を豊かにしてくれる……そんなデザートを出してくる稀有なお店なのです!」

「うむ。誇り高き召竜士のわれから見ても、マスターは立派な人じゃった。あんな性悪小僧に負けてデザート作りを辞めてしまうのは、間違っておる!」

「なら、その想いを伝えよう! 親父さんとラヴィアンローズだけじゃない。彼らの作ったお菓子を楽しみにしている沢山の人達の為に。俺達だけは、諦めちゃいけないんだ!」

 アルドの発破が、三人の折れた心を蘇らせる。

 視線を交わすと、四人は駆けだした。

 失われた未来を取り戻す為に。

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