スイートデイズ
斜偲泳(ななしの えい)
第1話 甘い日常
ミグランス王国の王都ユニガン。
活気あふれる城下町にとある酒場がある。
酒場と言えば、日々の暮らしにささやかな癒しを求める大人たちの憩いの場だが、どういうわけか、その日は少々不似合いな客が集まっていた。
もっとも、この店の主の特異な癖を知っていれば、不思議な事ではないのだが。
「はぅっ~~~!?」
カウンターの前で甘い悲鳴をあげたのは、酒など一滴も飲んだ事がなさそうな若い娘だった。渦を巻いた巻髪はカスタード色の金髪で、しなやかな四肢は良く焼けたパイ生地のように健康的な色をしている。先刻までは、あどけない童顔を精一杯澄ましてミステリアスな雰囲気を作っていた少女だが、カウンターの向こうにいるむさくるしい髭のマスターが差し出した料理を一口頬張ると、愛らしい雛が硬い殻を破って飛び出したかのように相好を崩している。
「サクサクのパイ生地が雲みたいに溶けて生クリームと混ざっちゃった!? あぁ、口いっぱいに広がる生地の香りが、ぽってりとしたミルクの風味と手を繋いで鼻を抜けていく。とっても甘いのに、すごくあっさりしてて、全然しつこくない!?」
普段の気取った口調はどこへやら。
召竜士の少女ティラミスは、年相応の可愛らしさで王国風四種のシューサンドの感想を歌い上げた。
「……これこそ、わたくしの求めた闇の至宝……」
隣では、ティラミスと対照的な、しかし、どこか鏡合わせのように似た所のある娘が、切なそうに肩を震わせた。ティラミスよりも若干緩い巻髪は煮詰めたブルーベリージャムのような深い紫色を宿している。シフォンケーキのように軽やかなフリルのあしらわれた黒いゴスロリ服の下では、搾りたてのミルククリーム色をした肌が、瑞々しい若さを誇っていた。
「しっとりとして濃厚なブラウニーは、食べる前からいい香りがして……。きっとこれは、魔界の祝福を授かっているに違いありません! 一口食べれば、ちょっぴりビターなチョコ生地が口いっぱいにほろりと溶けて、ラムに漬かったレーズンの甘さと風味が、大人の階段を登らせてくれますわ!」
感動でじんわりとプラム色の瞳を潤ませると、未来人の強化人間シュゼットは、舞台女優のように右手を掲げ、王家に仕えた伝説のシェフの逸品を再現したロイヤルブラウニーへの想いを綴った。
「はっはっは! そこまで気に入ってくれりゃあ、俺も馴染みの店を紹介した甲斐があるってもんだぜ!」
豪快に笑ったのは、酒場には似つかわしいが、麗しい少女二人とはまったくもって似つかわしくない、強面の男だった。伸ばしっぱなしの髪は雑に束ねられ、太い眉がこの男の雄々しさを物語る。サングラスの下に隠れた青い瞳は鷹のように鋭く、こんなものはじゃまくせぇとばかりに肩に羽織った上着の下では、分厚い腹筋が板チョコのように割れている。
「だがな、竜の嬢ちゃんとゴスロリの嬢ちゃん! このフルコースはまだ終わっちゃいないぜ! そうだろ、おやじ!」
勢いよく腕を振り、上着をはためかせると、呪いの武具を扱うブローカーのユーインは酒場のマスターに言った。
「おいおいユーイン。お前みたいなむさいおやじが、こんな可愛い娘さんを汚い酒場に連れ込んで、なにを張り切ってるんだ」
小さなカップが四つ並んだトレーを運びながら、酒場のマスターが苦い顔を浮かべる。
「うるせぇな。むさいおやじはお互い様だろ! ったく! この嬢ちゃん達はな、俺らの仲間の間じゃ名の知れた甘党なんだ。そんな二人が、俺のいきつけの店を褒めてくれてるんだぜ? こんなに嬉しい事はねぇじゃねぇかよ!」
「はいはい。わかったわかった。まったく、酒も飲んでない癖によく吠えるおやじだ。嬢ちゃん達、悪いことは言わないから、こんなうさん臭いおやじとつるむのはよした方がいいよ」
冗談半分に言いながら、マスターはカウンターに四つのカップを並べた。
「どうぞ。貴重な王軍鶏の卵を使ったプリンだ」
「プリン!? なななんと! それはわれの大大大好物であるぞ!」
「あ! ティラミス、ずるい! 抜け駆けは許しませんわ!」
子犬のように飛び付くティラミスをシュゼットが追いかける。仲睦まじい様は、どこか姉妹のように見えた。
「心配ないよ、おやじさん。ユーインは、確かに見た目は怪しいし、やってる事も危ないけど、根はものすごく真面目で優しい奴だからさ」
言ったのは、この奇妙な一団のまとめ役を務める青年、アルドだった。
「おまけに、こんな面して大の甘党だしな。まったく、ヘンテコな野郎さ」
からかうようにマスターは笑うが、嫌味な感じは全くない。むしろ、幼馴染のような親愛の情が感じられた。
「だから、うるせぇっての! 俺だって、その辺はわきまえてるつもりだ。お前の店じゃなかったら、酒場にこんな若い嬢ちゃんを連れて来たりしねぇよ」
不貞腐れたように見せながら、サングラスの下で照れを滲ませ、ユーインが言う。
「それよりアルド。お前、全然食ってねぇじゃねぇか。もったいねぇ。食わないなら貰っちまうぜ」
「あぁ。そうしてくれると助かる。ごめんよ、おやじさん。おやじさんのデザートはすごく美味しいんだけど、ここに来る前に古代……って言っても分からないか。ティラミスのオススメのお菓子屋さんにも行ってて。流石にちょっと胸やけがしてるんだ」
「いやぁ、サウルスの至宝だったか! ありゃおやじの作るプリンよりも美味かったぜ!」
「おいユーイン。失礼だぞ」
「はっはっは。かまわんよ。俺も、はっきり言って貰った方が励みになる。なぁユーイン。そのサウルスの至宝とやら、もし手に入れる機会があったら、俺の分も頼めるか?」
「そう言うと思って、おやじの分も買ってある。こいつはいつも世話になってる礼だ。とっといてくれ」
不意にユーインは優しい目をおやじに向けると、恐竜の卵の殻を利用した容器を渡した。
「へぇ。こいつは。卵の殻を使った容器か。面白いな。しかし、なんの卵だ? やけに大きいが」
「は! そんなの、恐竜に決まってんだろ!」
ユーインは言うが、おやじは冗談だと思ったらしい。
「はいはい、そんじゃあ、店を閉めたらゆっくり味合わせて貰うよ。あぁそうだ。アルドの旦那。あんたに一口だけ、食べて貰いたいデザートがあるんだ」
「いや、でも、俺、胸やけが……」
「いいじゃねぇかアルド。一口だけって言ってるんだ。食ってやれよ。残したら、俺が綺麗に片づけてやるからさ」
「そうか? そこまで言うなら……」
だとしても、残すのは申し訳ないと思いつつ、マスターの面子を立てる意味で、アルドは了承した。
「すまんな。あんたみたいな客の為に考えた新メニューなんだ」
そう言うと、マスターは一切れのパイののった皿を差し出した。
(う……アップルパイか……。これはちょっと重そうだな……)
内心でアルドは思った。甘いものは嫌いではないが、特別好きというわけでもない。サウロスの至宝と四種のシューサンドで、アルドの胸はいっぱいだった。
「う、美味そうだな! 頂きます!」
そんな思いはおくびにも出さず、と本人は思っているのだが、正直者のアルドである。顔いっぱいに苦い物を浮かべながら、えいや! とパイに齧りついた。
「……あ、あれ? 美味しいぞ……」
「おいおい。親父の腕は知ってるだろ。美味いのは当たり前だ」
呆れたようにユーインは言うが。
「そうなんだけど……なんていうか、すごくあっさりしてて……甘さと言えばほとんどリンゴの味だけなんだけど、薄いパイも脂っこくないし、しょうがのせいなのかな? すごくさっぱりしてて、胸やけが消えていくみたいなんだ……」
気がつくと、アルドは一切れを完食してしまった。
「ちぇ。食っちまいやがった。期待して損したぜ」
「ごめんユーイン。でも、それくらい美味しかったんだ。さっきまで、本当に胸がいっぱいだったのに。すごいな、おやじさん」
まるで、魔法にかけられた気分である。
「うちは酒場だからな。ユーインみたいな甘党は珍しいんだ。普通の料理も勿論出すんだが、俺のわがままで、どうしてもデザートの方に力が入っちまう。それじゃあお客さんに申し訳ないから、甘党じゃない人でも美味しく食べられるデザートを研究してるんだ。ちなみにこのパイは、二日酔いにも効くんだぜ」
「へぇ。そうなんだ。イーファが聞いたら喜びそうだな」
「あ! ズルいぞアルド! われに内緒で美味しそうな物食べて!」
「そうですわ! いくらアルドが闇の契りを交わした盟友だとしても、独り占めは許しません!」
「そうだそうだ! おやじ! 俺達の分も出しやがれ!」
「はっはっは。わかったわかった。今持ってくるから、ちょっと待っててくれ」
嬉しそうに微笑むと、マスターは店の奥に消えていった。
「まだ食べるのか!?」
甘党ではないアルドは、ただただ驚くばかりである。
†
「は~! 食った食った! やっぱりおやじのデザートは格別だぜ!」
会計を終えると、引き締まった腹をぽんぽん叩きながらユーインが店を出てきた。
「流石はユーインおじ様のおススメのお店。とっても美味しかったですわ」
「うむ。サウルスの至宝に勝るとも劣らない、素晴らしいデザートの数々であった!」
満足そうに、二人の乙女もついてくる。
「それで、次は未来に行けばいいのか?」
胸焼けも収まり、気分のよくなったアルドが三人に尋ねた。
「えぇ。最後はわたくし、魔界に堕した精霊の生まれ変わり、闇のプリンセス、シュゼットがオススメする、究極のスイーツショップ、ラヴィアンローズをご紹介いたしますわ」
「いいねぇ。未来のデザートか! 想像しただけで涎が出て来やがる」
「まったくだ。これも、アルドのお陰であるな。感謝するぞ」
ユーインとティラミスが口々に言う。
「みんなには、いつもお世話になってるからな。これくらい、お安い御用さ」
「お安い御用ねぇ。時空を超えるデザート食べ歩きの旅なんて大層な事をしておいて、よく言うぜ」
「だが、そういう優しい所がアルドのよい所でもある」
「ですわね。お礼に、アルドにはわたくしの一番のおススメを食べさせて差し上げますわ」
「いや、本当に、流石にもう甘いものはお腹いっぱいだって!」
本来なら、それが普通の感性なのだが。
生憎、今日のメンバーは大の甘党ばかり。
強面のおやじと甘党娘に笑われて、アルドは肩をすくめるしかない。
「それじゃあ行こうか」
と、降参気分で歩き出す。
時代を超えた三人の甘党が、仲良く後追う。
後には、ユニガンの平和な活気だけが残された。
かに思えたのだが……。
どこからともなく、奇妙な格好をした青年がやってくる。
手負いの狼のように目をギラギラさせた青年は、酒場の看板を睨みつけて呟く。
「……見つけたぞ……ここが薔薇色の人生亭か……」
放置され、どす黒く焦げ付いた鍋底の砂糖の如し怨嗟を吐くと、青年は店の中へと入っていった。
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