第8話
スィーとダダンが森を抜ける頃には太陽は完全に姿を隠し、月が煌々と辺りを照らしていた。想像通り森は夜型だったが、スィーがうるさい! と一喝すると、月明かりも相まってただただ美しい静穏な森が広がるだけだった。
「抜けたー! よっしゃあ!」
「ふう、疲れたな」
ダダンは直ぐに振り返り、子どもたちが来るのを待っていた。あの距離ならばもうそろ抜けてくるはずだ。
「……?」
「行くぞ」
「いや、子どもたちが」
「行くぞ! ……おい! ダダン!」
スィーの言葉を無視して、ダダンは森へと戻っていった。子どもたちが出てこない理由は直ぐに分かった。出口ギリギリで、枝や蔦、根っこに絡め取られていたのだ。
魔法の得意な弟も、口を塞がれては呪文を唱えられない。力の強い姉も、両手両足を拘束されていた。森はギャギャギャと不気味な笑い声を上げた。
二人の元へ行こうにも、思うように距離が縮まらなかった。ダダンを拘束しようとする枝や蔦を切り刻み、叩き落とし、近くの木々を尻尾で貫いた。
子どもたちは少しずつ、だが確実に森の中へと引きずり込まれていく。
「クソ! クソ!」
ダダンは火の魔法をまだ習得していない。使えるのは回復魔法と水の魔法だ。もう少しで風の魔法が使える所まではきたが、今使えないのなら意味が無い。
水の魔法はこの森と相性最悪だ。使っても相手を潤すだけだろう。
「ンー! ンー!」
「ンーー!!」
「ハッ!? ガァッッ」
死角から木がダダンに向かって倒れてきた。子どもたちの声によって直撃は免れたが、ぱっくりと足を切ってしまった。止めどなく流れるダダンの血を、木々の根っこが吸い上げていく。
ギャギャギャ!! と森が歓喜にざわめいた時。
「フレイム!!」
とてつもなく大きい声が響き渡ったかと思うと、大きな炎が外の方から巻き起こり、器用に森だけを燃やしていく。
「誰の許可を得てその血を飲んだ。思い上がるなよ雑種共が」
子どもたちに纏わり付いていた枝や蔦たちもスィーの炎に焼かれ、二人は地面に倒れ伏した。
ダダンはぐったりとしている二人を抱き上げて全速力で森を抜け出した。足の痛みはどこかへ吹っ飛んでいた。
森の外ではスィーが仁王立ちしていた。怒鳴られると思い身体を強ばられせたが、意外にもスィーは声を荒らげることはなかった。
「回復しろ」
「……ヒール」
命令通り、ダダンは子どもたちに回復魔法をかける。スィーはダダンを睨みつけ静かに怒りを込めて言葉を吐いた。
「お前の足の事だ」
「ヒール!」
回復魔法を唱えるが、ダダンの足の出血は止まらなかった。ダダンが知っている回復魔法は
下級魔族たちは上位魔法を知らない。周りの戦闘から呪文を覚えていたダダンは、自分の足を治す魔法を唱えることが出来なかった。
「ホーリーブレス、だ」
「へ? は、ほ、ほおりぃぶれす」
「違う」
「ほぉりーぶれす!」
「違う」
「ほーりーブレス!」
「違う!」
「ホーリーブレス!!」
魔法が発動しダダンの足が見る見るうちに治っていった。痛みもなく、傷跡も全く残っていない。しかし、思わぬ疲労感がダダンを襲った。魔力が枯渇しそうになっていた。
今にも地面に膝を着いてしまいそうだったが、子どもたちを抱えている為どうにかこうにか踏ん張った。
スィーは無言で歩き始めた。ダダンは静かな怒りの方が怒鳴られるよりも恐ろしいのだと、身をもって理解した。
行き先を聞ける雰囲気でもなく、ダダンは静かにスィーの後ろに付いていった。スィーの後ろ姿をこんな風にまじまじと見るのは、初めての事だった。いつもは隣を歩いている為、スィーの赤い髪や、愛らしい上目遣いばかり見ている。
スィーの背中は、何故だか寂しそうに見えた。それはダダンの願望だろうか。
どんどん歩いていくと土が踏み固められた道はコンクリートで舗装された道に変わった。急に道が広くなったように感じた。それは道幅もそうだが、灯りが増えたからである。ダダンは辺りを見渡した。
街に到着したのだ。大きな街だった。きちんと整備され、荒れ狂う者など少なくともダダンの視界の範囲には居なかった。光があちらこちらから漏れ、生きる者の営みが溢れている。
ダダンが景色に目を奪われている間に、スィーとの距離が開いていた。疲労困憊の身体に鞭を打ち、大股で歩いていく。
外を優雅に歩く魔族たちにチラチラと視線を寄越されるが、へろへろのダダンはスィーに付いていくのに必死で気付かなかった。
スィーが足を止めたのは、一軒の店の前。迷うことなく扉を開け、中へと入っていった。
カランコロンと音がなり、客が来たことをお店に伝えた。ダダンは驚いて、扉にくっついている鐘を見た。ダダンがもし両手が塞がっていなければ、何度も扉を開閉するくらいにはその音が気に入った。
「いらっしゃい」
受付には性格の良さそうな毛量の多い老いた魔人が立っていた。顔は髪と髭に覆われて目しか見えない。その目尻にはいつも笑っているのか皺が深く刻まれていた。
受付の高さはスィーが背伸びをしてやっと頭の先がちょこんと出るくらいだった。魔族用の宿屋にしては小さめである。老魔人は小さなお客さんと目を合わせるべく、ぐぐっと前に身体を倒した。
「見ての通りだ」
スィーは扉の前でぼけーっと鐘を眺めてるダダンを視線で指した。
「ほっほっほ、何泊ご希望かな?」
「決まってない」
「ここは前払いじゃが……。まあ追加で支払って貰えれば良いかのう」
「……換金場所は?」
「ここの道を王城に向かって進んだ所にあるぞい。何だ、金なしか! ほっほっほ」
「お前、これの価値分かる?」
受付台に片腕を置いてぐっと身体を持ち上げる。失った左腕の部分の余った服がひらひらと舞っていた。そのひらひらを突き出してスィーは問うた。
「……良い布を使っておるな。ほっほっほ、良い良い、換金は明日にしなされ」
良い物を見たと受付の老魔人は笑い、スィーに部屋の鍵を渡した。扉の魔法陣を解くための、部屋と対になっている鍵だ。
スィーが階段を上がっていくと、やっとダダンは鐘から目を離し慌ててスィーの後を追った。部屋に入り、ダダンは子どもたちをベッドに下ろすと、広々とした清楚な内装に感動する間もなく、倒れるように眠りについた。
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