ミズキくんのためにできること

クラン

本文

 ミズキくんはなんにでもなれたね。


 五歳のミズキくんは、お絵かきの天才だったね。ミズキくんママに連れて行ってもらった動物園で、閉園までカバを見てたね。ミズキくんママが少しイライラしだしても、ミズキくんはおかまいなしでベンチに座ってたんだよ。自分よりも背が高いピンク色の柵越しに、カバはときどきアクビをしたり、ぶああって鳴いたりしたね。幼稚園でミズキくんが描いた絵は、先生にもほかの子供にも難しかった。だって、ピンクの棒が並んでるだけだったんだもの。でもそれは適当に描いたんじゃなくて、あの動物園のカバの柵を忠実に描いたんだよね。ミズキくんはカバよりも柵のほうに興味があったんだね。ヘンな子、って言われちゃってお絵かきが嫌いになっちゃったミズキくんは、でも、やっぱり、なんにでもなれたんだよ。


 十歳のミズキくんは、まるで家具職人だった。図工の時間で作った本棚、誰よりも角がつるつるしてたんだよ。ほかの子と同じくらいガタガタの本棚で、板のあいだから釘が見えたけど、でも、指が嬉しくなるくらい滑らかだったね。一生懸命やすりをかけるミズキくんは、ときどき指を舐めてたんだ。気づかれないようにこっそり、素早く。ミズキくんは、粉状になった木を口に入れたくて、それで頑張ったんだよね。みんなはそういうミズキくんを、あんまり知らない。


 十二歳のミズキくんは旅人だった。冒険小説に出てくるような、無鉄砲な好奇心をもってたね。少しだけ拗ねていたのは、ミズキくんママに色々言われたからなんだよね。公園の土管でひと晩過ごすのは、すごく勇気のあることだよ。秋のはじめの風に、ミズキくんは負けなかった。知ってるかな。ミズキくんが帰ってこないから、ミズキくんママは警察に電話したんだよ。次の日のお昼に帰ったとき、怒られたでしょ。そういうのは言わなくても横顔で分かるものなんだ。


 十三歳のミズキくんは、アイドルだった。正真正銘、そうだった。なんにでもなれたミズキくんだけど、それは、ミズキくんママの夢だったんだよね。ミズキくんはママのことが好きで、だから頑張ったんでしょ。けど同じくらいママを嫌いな気持ちがあって、だからわざと駄目なふりをしたり、収録中にいなくなったり、大人たちを困らせたんだよね。テレビで笑ってるミズキくんは、みんなの知らないミズキくんで、たぶん、ミズキくん自身もそれが誰なのか分かってなかったんじゃないかな。


 十五歳のミズキくんは、バンドマンだった。大人たちに混じってギターを鳴らすミズキくんは、誰が見てもカッコよかった。上手くはないと言われてたみたいだけど、二倍も年上の大人と一緒に演奏するミズキくんが一番カッコよかったんだよ。上手いとか下手とか分からない人にも、そのカッコよさは伝わるんだ。上を脱いで、汗に光る肌を見せびらかして。そういうときのミズキくんは、まるで動物みたいだったよ。ステージライトの光が緑でも赤でも、いつだってミズキくんの肌は夜の動物って感じがしたね。痩せてたし、ヒョウが一番近かったかも。


 十七歳のミズキくんは、色男だった。相手が男の子でも女でも、誰だって虜にできたんじゃないかな。実際ミズキくんは、見境なかったよね。なにか探してたんでしょ。手を繋いだり抱き合うだけじゃ分からないものがほしくて。ミズキくんが舌で全身を舐めるの、あれってやっぱり探し物をしてるみたいだった。


 十八歳のミズキくんは、文豪だった。はじめて書いた小説をミズキくんママに内緒で、昔お世話になったテレビ業界の人に送って、それから出版されたんだよね。怒ったミズキくんママがホテルに来て、もう、散々だったね。だって、ミズキくんは裸だったし、ベッドの上だったし。でも、終わるまでそこで見てろババア、はちょっとひどかったよ。そんなふうに言われたら、ミズキくんママもいい気持ちにはならない。間違いだった、って言ったミズキくんママの顔、白かった。あれって、なにが間違いだったんだろうね。ミズキくんは今まで一回も間違ってなんかいなかった。ミズキくんはなんにでもなれて、だから、ミズキくんがどうなろうとそれは、ちっとも不思議じゃない。正しいと言えば全部が正しくて、でも、同じ意味で全部間違っているなんてことは成り立たないよね。でもあの日、間違いがひとつあったとすれば、ミズキくんママを殴ったことだよ。あれは本当によくなかったね。床に空き瓶を転がしたままにしてたのもよくなかった。


 それからのミズキくんは、空っぽの抜け殻だった。目の色がなくなって、筋肉が落ちて、肌艶が悪くなったよね。なんにでもなれるのは、そういうものにだってなれるということなんだね。きらきらしてるだけが可能性じゃないんだね。なんにもしないで家にいて、ごはんを作ってテーブルまで連れていってあげないと食べないのは、ちょっと深刻だったよ。でも、そうなるだけの理由だったんだよね、家族がいなくなっちゃうのは。うるさいだけのテレビは捨てて、定期購読してた週刊誌も契約を打ち切って、それなのにどこからか取材がきたのは困ったよね。家の前に必ず人か車がいるのは、さすがに落ち着かなかったね。


 二十歳のミズキくんは、詩人だった。厳密には空っぽだったときから詩人だったんだろうけど、名実ともにそうなったのはやっぱり二十歳の冬だったね。一年以上書き溜めた詩をネットに載せて、それがびっくりするくらい色んな人に色んなふうに広がっていったよね。非難もされたけど褒めてくれる人も何人かいて、そのうちのひとりが編集者さんだったね。出版できたのはその人のおかげだよね。どのくらい売れればヒットしたかなんて、詳しくない人には分からないけど、話題になってすごくすごく売れてるってみんな言ってた。わざわざ出版社に、親殺しホモのクソポエマーは今すぐ首を吊れ、なんてハガキを送ってきた人もいたみたいだけど、そういうのはネットにいくらでもある文字のひとつだったよね。だから、深刻に受け止める必要なんて全然なかった。全然なかったのに、別れようだなんて、ひどいよ。このときからミズキくんは、名優だったんだよね。


 ミズキくんは、ずっと一緒にいた彼氏をふる役柄を演じたね。


 ミズキくんは、悪いふりをして恋人を脅す役柄を演じたね。


 ミズキくんは、迫真の演技で包丁を突き付けたね。


 ミズキくんは、恋人の胸に包丁が刺さって、びっくりして尻もちを突いちゃって、それはとってもキュートなリアクションなんだけど、大根役者だったね。ミズキくん。ミズキくんはどうして、恋人がやけになって自分から刺されにいくと思わなかったのかな。でも本当のことを言うと、恋人のほうも、死んでやるとまで思ったわけじゃないんだよ。人は全然本気じゃなくても、なにかをしてしまうものなんだ。ミズキくんがミズキくんママを殴ったのも、きっとそういうことなんじゃないかな。


 ミズキくんは、稚拙な殺人犯だったね。返り血を洗い流す前に家じゅうを歩き回って、独り言を呟いて、死体処理の仕方をネットで検索してたね。がんばれ、って思ったよ。ミズキくんは悪くないんだから、ここはひとつ、がんばってほしかった。なんとか恋人の死体をバレずに処理して、詩人としての生活を送ってほしかった。男の子でも女でも好きに抱いてくれていいから、だから、幸せになってほしくて、願ったんだよ。がんばれ、って。


 でも、無理だったね。お風呂場に死体を運んで切り刻む発想はよかったかもしれないけど、包丁じゃ骨は切れないよ。途中で何度も吐いて、すごく、つらそうだったね。かわいそうだと思ったよ。ごめんね、って思ったよ。こんなことになるくらいならすんなり別れていればよかったね。嘘。そういうのは絶対に、無理。


 それからのミズキくんは、容疑者だったね。ミズキくんが一度も冤罪だって言わなかったのは、でも、なんでだろうね。本当に、ミズキくんは悪くないのに。


 ミズキくんは、囚人になったね。毎日働いて、それから、本ばかり読んでるね。寝る前には一時間くらい、高い窓にかかった鉄格子を見上げるよね。

 だからぼくは、夜のあいだだけでもいいから、鉄格子をピンク色に変えたいんだって、ずっと思ってる。



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