村を治める殺し屋、あるいは

野澤勇

プロローグ

「反抗期はもうやめたのか」

 贔屓目ひいきめに見て、そこに思春期ならではの親を下方に評価したがる習性も考慮して、それでも尚、父の声は、渋くて格好良かった。

 父は、長年連れ添ってきた妻である僕の母の病死を、頭か心かで処理をするのに精一杯なのだろう。先の台詞からは、自らの悲しみは必死に隠しながらも、一年間以上もまともな会話がかなわなかった息子の扱いに戸惑い、でもその息子が意気を消沈しょうちんさせていて、つまり母との決別に自分と同じ悲しみを抱えていることに喜びを感じており、苦く、複雑で、痛々しいくらいに暖かい響きが聴いて取れた。

「うるせえ。最初で最後だ」

「そうか。……じゃあ大事に飲まないとな」

 父は、僕が母と二人暮らしをするアパートへたまに夕食を食べに来ては、アルコールなら味など二の次、な飲み方をしていたくせに、今は言葉通り大切なものを扱う手つきで猪口ちょこを運び、口に当てていた。それを直視できずに視界のはしとらえていると、自分自身の反抗期が邪魔で仕方なくなってくる。生物学的見地によりそのメカニズムの説明がついたとしても、あらがい難い反抗心は呪いに等しかった。

 母の葬儀を終えた会場からの帰り道、父の運転する車に乗せられ、彼の家に来ている。この家に上がるのは今日が初めてのことだった。男が一人で暮らすには広すぎると感じる二階建ての一軒家は、大分使い込んでいるように見える電子レンジを除いて、装飾どころか冷蔵庫やテーブルセットもなく、一層寒々しく感じた。母の名義のアパートの一室も最低限の家具家電を揃えただけのものだったので、今更ながらにして父と母の性格に共通点を見付けた。

 両親が別居をし始めたのは最近のことではない。というよりも、僕が物心ついた時には既に今の生活だった。同居をしている状態から離別することを別居とするならば、そもそも同居の期間を覚えていないため、母はどうか分からないけれど、少なくとも僕にとっては父が別の家で暮らしている状態に不自然さを全く感じていなかった。それに、父と母は結婚の手続きも踏んではいない。世の中でいうところの、母はシングルマザーだ。

 血のつながりがある実の父親は隣でちびちびとぬるいかんめている人物で間違いないし、実の母も、間違いなく、今日骨の粉になったその人だ。僕の理解力が十分に育っていなかったからというより、興味がなかったからというより、自分の環境を不自然なことと認識していなかったため、両親が名字を統一させなかった経緯を詳しくただしたことはない。想像だけれど、母が僕を出産した当時は本当の意味で父とは離別していて、僕が物心つくまでの数年の間に二人は関係を修復させたのだと思われる。見たところ両親は、一般家庭と言って差し支えないくらいには仲がむつまじく見えたからだ。また、ほどよく喧嘩もしていた。それらを含めて、いつでも名字の統一と同居の環境を整えることはできたのだろうが、そうはならなかったのは、父の仕事の都合と、これも想像だけれど、僕の思春期に原因があると思われた。そうでなければ、居に微塵みじんもこだわりを持つように見られない父がただ広いだけの家に居座る意味がないからだ。

「これからどうするんだ?」という父の質問は、「一緒に暮らさないか?」と聞こえる。

「金さえあれば何とでもなる」と、何故こんな聞こえの悪い台詞しか口にできないのか自分で自分が不思議でならず、父が「それは心配しなくて良い」と言ってくれても、しぼむどころか罪悪感はふくれるばかりだった。

「高校卒業までは学費と生活費はどうにかさせてもらうよ。これは母さんとの約束だから、反抗期だろうがなんだろうが従ってもらう。それと、大学進学は、少しでも希望しているんだったら絶対に妥協だきょうしないように。俺、それなりに金持ってるんでね」父はそこまでを淡々と述べた後、ところで……と少し言いよどんでから、「その、あれだ。リキヤは、頭は良いのか?」と聞いてきた。

「何を偉そうに」と喉まで出かかった言葉を殺し「悪くない」と言った。

「へえ。悪くないんだ」

「……何?」

「いや、偉そうにすんな、とか言われると思ったんだけど」

「うるせえ。悪くないからそう言っただけだ」

「それで、学校で進路希望聞かれてると思うけど、何て答えた?」

 と、今度は僕が言い淀んでしまった。

 進路希望調査のことを父が知っている、そのことを、どう受け止めれば良いのか。母の代わりを務めようとしてくれている? それとも、単に学校から保護者宛てに直接連絡があっただけ、だろうか。前者は絶対にありえない。と考えてしまうのも、きっと反抗期の呪いのせいに違いない。「父親面すんな」も「あんたには関係ない」も、無言でこの場から立ち去ることも考え付くが、全てが幼稚ようち陳腐ちんぷでダサい言動だと知っており、でも、最適解が見つからない不快感から、「うるせえ」などと最も言いたくないことを口にしてしまう。

「そうか。まあ、そうだな。うるせえよな」と呟く父の声が寂しく聴こえたのは、僕の後ろめたさしだったからだろう。だが、進路希望の用紙を氏名以外空欄で提出したのは当時の母の容態で頭がいっぱいだったから、などとは口が裂けても言えない。

 その後、父は何度か空のとっくりを傾けては水滴だけを猪口に垂らし、僕は二倍にふやけたカップの麺をいたずらにつつき、互いの、主に僕の今後の生活について点々と話をした。

 そして翌日から、中学生ながらにして、一人暮らしが始まった。


 俺は、幼少の頃から身体が弱かった。正式な病名が付くような疾病しっぺいかもしれないが、食べても食べても太らず、身長もクラスで一番か二番目に低かった。吐いたりすることもなく食は細くないのに、である。多分、俺の身体はタンパク質とかを捕まえる機能に乏しいようだ。肋骨は浮き出ていて胸は薄く、筋力は平均並みを維持するのが精一杯だし、それがやせ型の特徴であるかは定かではないけれど、とても寒がりだ。学校の同級生からは、母の名字である田丸をもじったマルタという皮肉混じりのニックネームで呼ばれてからかわれていた。……からかわれていた? いや、いじめられていたのだと思う。

 病弱で、いじめられっ子。そういったこともあってか、週に二、三回くらいの頻度ひんどで、父は俺の住む家に顔を出した。特に会話を強要されることはない。顔を合わせないことも少なくない。ただ、美味しい弁当と生活費を置いていくだけだ。俺が風邪で寝込んだ時には、付きっ切りの看病こそしないまでも、アイスクリームを買って来てくれたり、リンゴをすりおろしてくれたりもした。

 一度だけ、反抗期に決死の思いで反抗をし、「どんな仕事してんだよ」と尋ねたことがあった。「金の心配がないって本当かよ」と、言う必要のない台詞を言い訳がましく付け加えながらだ。父は、喜びが漏れ出ないように頑張って平静をよそおっていて、でもそれが見ているこちらが恥ずかしくなるくらいに下手くそな装いで、お互いがひたすらに照れたことを覚えている。一時でも将来の夢にデザイン関係の仕事を志望したのは、この時の父の、自身の仕事を誇らしく話す顔と声がとても良かったからだった。「今のリキヤは俺のやることなすこと全部に否定的になってるかもしれないけど、そのうち俺の仕事を理解してもらえる日が来ると信じてる」と言って渡された父の作品集は、いずれ何ともなしに表紙をめくる日が来るのかな、とかすかに期待しながら、自室の本棚の飾りになった。

 そんな生活が、例えば一年間、いや半年間でも続いていたら、もしかしたら俺は父の暮らす家に引っ越すことを決意していたかもしれない。もしくは父に、少しの間だけでもこの家に引っ越してきたらどうか、と提案することもできたかもしれなかった。それくらいに、父の甲斐甲斐かいがいしさに素直に感謝することができていて、それと、自らが子供であるとあきらめることにも成功しつつあった。


 でも、そうはならなかった。

 平凡にも手堅てがたく成長していける環境、が完全に崩れ去った代わりに、血反吐ちへど多寡たかで成長度合いが決まり、それがおざなりになることで死と直結する殺伐とした環境を、強烈な後悔と抱き合わせで手にすることになった。

 父が、失踪してしまう。

 そしてこの「失踪」は、俺の希望的観測だ。


 父の兄弟とかいう男から段ボール一箱を受け取ったが、その男は箱を指して、遺品、と言った。父の遺体が見付かっていないにも関わらず、だ。だから俺はその男を信用しないことにした。しかし、決定的な証拠がないから、という理由だけが死亡説を否定する唯一の材料であることも事実ではあった。

 死亡説、という単語を思い浮かべるときには、決まってあの時の台詞が一緒に思い出される。「うるせえ。最初で最後だ」という、母の葬儀の日にしゃくをした際の俺の台詞。照れ隠しだかなんだか知らないが、どうして最後などと言ってしまったのか。そして、反抗期の適齢は知らないが、統計の一般論など無関係に、自身の遅すぎる成長が悔しくてたまらなかった。それに、どうして、いつまででも無条件で父は俺のそばにいると思い込めたのか。母を失った悲しみも冷めやらぬうちだったのに。

 もう少し、もう少しだけ、大切な人と別れることの恐怖心が強くて鮮明だったならば、あるいは父と酒をわすことだってできたかもしれない。「未成年に飲ませるなよ」「反抗期が終わったらそいつはもう大人だ」「なんだよその理屈」などと、絶対にかなうことがないむなしい空想ばかりが、色をせても尚ずっと頭にこびり付くことになる。


 父の失踪をきっかけに、俺の人生は大きくかじを変えた。中学何年生だったか忘れたけれど、それが自分の最終学歴となり、父を探すことになる。父の遺品は手掛かりにならない。通帳や何かの権利書などの書類に混じって、父の最後の作品が一点だけ無造作に箱に収められているだけだった。でも、手掛かりなどなくても構わない。希望的観測でも何でも、生きていると証明できないのと同じく、死んでいると証明することもできない。ならば、探せば良い。それだけのこと。

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