村を治める殺し屋、あるいは
野澤勇
プロローグ
「反抗期はもうやめたのか」
父は、長年連れ添ってきた妻である僕の母の病死を、頭か心かで処理をするのに精一杯なのだろう。先の台詞からは、自らの悲しみは必死に隠しながらも、一年間以上もまともな会話が
「うるせえ。最初で最後だ」
「そうか。……じゃあ大事に飲まないとな」
父は、僕が母と二人暮らしをするアパートへたまに夕食を食べに来ては、アルコールなら味など二の次、な飲み方をしていたくせに、今は言葉通り大切なものを扱う手つきで
母の葬儀を終えた会場からの帰り道、父の運転する車に乗せられ、彼の家に来ている。この家に上がるのは今日が初めてのことだった。男が一人で暮らすには広すぎると感じる二階建ての一軒家は、大分使い込んでいるように見える電子レンジを除いて、装飾どころか冷蔵庫やテーブルセットもなく、一層寒々しく感じた。母の名義のアパートの一室も最低限の家具家電を揃えただけのものだったので、今更ながらにして父と母の性格に共通点を見付けた。
両親が別居をし始めたのは最近のことではない。というよりも、僕が物心ついた時には既に今の生活だった。同居をしている状態から離別することを別居とするならば、そもそも同居の期間を覚えていないため、母はどうか分からないけれど、少なくとも僕にとっては父が別の家で暮らしている状態に不自然さを全く感じていなかった。それに、父と母は結婚の手続きも踏んではいない。世の中でいうところの、母はシングルマザーだ。
血のつながりがある実の父親は隣でちびちびとぬるい
「これからどうするんだ?」という父の質問は、「一緒に暮らさないか?」と聞こえる。
「金さえあれば何とでもなる」と、何故こんな聞こえの悪い台詞しか口にできないのか自分で自分が不思議でならず、父が「それは心配しなくて良い」と言ってくれても、しぼむどころか罪悪感は
「高校卒業までは学費と生活費はどうにかさせてもらうよ。これは母さんとの約束だから、反抗期だろうがなんだろうが従ってもらう。それと、大学進学は、少しでも希望しているんだったら絶対に
「何を偉そうに」と喉まで出かかった言葉を殺し「悪くない」と言った。
「へえ。悪くないんだ」
「……何?」
「いや、偉そうにすんな、とか言われると思ったんだけど」
「うるせえ。悪くないからそう言っただけだ」
「それで、学校で進路希望聞かれてると思うけど、何て答えた?」
と、今度は僕が言い淀んでしまった。
進路希望調査のことを父が知っている、そのことを、どう受け止めれば良いのか。母の代わりを務めようとしてくれている? それとも、単に学校から保護者宛てに直接連絡があっただけ、だろうか。前者は絶対にありえない。と考えてしまうのも、きっと反抗期の呪いのせいに違いない。「父親面すんな」も「あんたには関係ない」も、無言でこの場から立ち去ることも考え付くが、全てが
「そうか。まあ、そうだな。うるせえよな」と呟く父の声が寂しく聴こえたのは、僕の後ろめたさ
その後、父は何度か空のとっくりを傾けては水滴だけを猪口に垂らし、僕は二倍にふやけたカップの麺をいたずらにつつき、互いの、主に僕の今後の生活について点々と話をした。
そして翌日から、中学生ながらにして、一人暮らしが始まった。
俺は、幼少の頃から身体が弱かった。正式な病名が付くような
病弱で、いじめられっ子。そういったこともあってか、週に二、三回くらいの
一度だけ、反抗期に決死の思いで反抗をし、「どんな仕事してんだよ」と尋ねたことがあった。「金の心配がないって本当かよ」と、言う必要のない台詞を言い訳がましく付け加えながらだ。父は、喜びが漏れ出ないように頑張って平静を
そんな生活が、例えば一年間、いや半年間でも続いていたら、もしかしたら俺は父の暮らす家に引っ越すことを決意していたかもしれない。もしくは父に、少しの間だけでもこの家に引っ越してきたらどうか、と提案することもできたかもしれなかった。それくらいに、父の
でも、そうはならなかった。
平凡にも
父が、失踪してしまう。
そしてこの「失踪」は、俺の希望的観測だ。
父の兄弟とかいう男から段ボール一箱を受け取ったが、その男は箱を指して、遺品、と言った。父の遺体が見付かっていないにも関わらず、だ。だから俺はその男を信用しないことにした。しかし、決定的な証拠がないから、という理由だけが死亡説を否定する唯一の材料であることも事実ではあった。
死亡説、という単語を思い浮かべるときには、決まってあの時の台詞が一緒に思い出される。「うるせえ。最初で最後だ」という、母の葬儀の日に
もう少し、もう少しだけ、大切な人と別れることの恐怖心が強くて鮮明だったならば、あるいは父と酒を
父の失踪をきっかけに、俺の人生は大きく
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