第1話

高校を卒業し、地元には戻らないと決めて、ここを離れたのはもう数十年前のことだった。


緑に生い茂った森に囲まれ、賑わいとは遠くかけ離れた地域。バスの本数は1時間に2本、コンビニや本屋に行くにも、車で1時間近く運転しなければならない。娯楽の無いこの地域でよく多感な中高生時代を過ごしたものである。




幼い頃から、田舎特有の人との距離感が苦手であった。物理的な距離は遠いくせに、心理的な距離が近いと言えばいいのだろうか。家と家は離れているのに、やたら隣人との関係を気にしないといけなかった。マンションの隣室でもないくせに、誰もが耳をそばだてているのだ。良いことも悪いこともすぐ地域で駆け巡る。回覧板を持っていく時に渡されるお菓子も、かけられる言葉も幼い自分には負担だった。周りの視線から、親からも逃れたい一心で電車と新幹線を経由して、遠くの都市に生活の拠点を変えた。移動に半日はかかる都市を選んだのは、万が一にでも故郷の人とつながることの無いようにであった。




次男である自分がここに戻ってくることはもうないだろうという一心で離れたつもりだった。戻ってきたのは、衰弱した親の面倒を見るためだ。昔の考え方でいうなら、長男が引き継ぐであろう実家だったが(この考え方に捉われている時点で俺も固定観念に縛られているということであろう。)、長男である兄の正一は、約8年前に海外に貿易の仕事の関係で居住地を移し、そのままそこで家族を作った。数年前に父が他界したことで、そのまま体調を崩した母の面倒を見るには、海外に仕事と妻と生れたばかりの子をもつ彼とまだ家庭を持っていない俺とでは分が悪かった。




介護ホームに入ってもらうという選択肢もあったが、過疎化した地域の介護ホームは空きが無い状況であった。もう少し、町に出れば受け入れてくれる施設もなくはなかったが、母親自身がこの地域から離れることを嫌がったため、ここへ俺が戻ることになった。ちょうど、離職中で次の会社が決まっていない状況だったのもあるが、兄の正一が物理的な援助はできないからと資金の援助を申し出てくれたおかげで、その決心もついた。




引っ越してきてからしばらくの間は、ショートステイという形で日中の短い時間であれば、預かってくれるシステムを利用して、母の世話と職探しを並列して行う生活を続けていた。母の出迎えで施設へ毎日足を運んでいるうちに、何の縁か、人手が足りない介護ホームで働くことになった。


都市で生活していた時よりも楽しみはなくなったが、都会の喧騒からかけ離れたことで、精神的にも身体的にも安定したようであった。約2年前から、施設に空きが出たのを機に母親の世話は全面的にヘルパーさんに任せることになった。


幼い頃に感じていた周りの視線もそこまで気にならなくなり、緑に囲まれて過ごせることに心地よささえ見出していた。


例え、この先母親が亡くなった後も、このままここで生涯を終えても良いかもしれないと思い始めていた。同じ職場で気になる女性もでき、毎朝の小学生の登校の風景を見ては将来の家族の絵を思い描いたりしていた。

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