二人の道。


 九月になったとはいえ夏の空気はさっぱり抜けておらず、厳しい暑さは未だ健在のまま。朝だというのに室内は既に蒸し蒸し、やる気が片っ端からしおれていく。少しは涼しくなっても良い頃合いのはずなのに、これが地球温暖化なのか。多分違うな。


「おっはよ~っ、お兄さ~んっ!」


 オレの部屋の扉が蹴破られ、喧しいお姫様が飛び込んでくる。無意味な強行突破は蝶番ちょうつがい部分が壊れるのでやめていただきたい。


「はいはい、おはよう。そしてうるさい」

「ぶぅ~、いいもんいいも~んっ。子供は元気なのが取り柄なんだからねっ!ちょっとは多めに見るのが大人の役目でしょ~?」


 口先を尖らせて、姫は屁理屈をこねくり回している。人のエロ本を勝手に読むようなヤツが子供を名乗るなよ、と言いたい。何度でも言いたい。


「そんなことより、始業式に間に合うのか?」

「ふっふ~ん、そんなおバカなことしないから大丈夫でぇ~すっ」


 そう、今日は夏休み明け。

 長かった休暇が明けて、学業を再開する日だ。その証として姫はピンク色の魔改造デコランドセルを背負っている。

 大多数の子供からしたら友達と再会出来る嬉しい日。一ヶ月以上の期間抑え込まれた学校生活への期待が大爆発。その一方でオレみたいな陰キャでいじめられっ子からしたら恐怖の季節の幕開けだ。また終わりの見えない苦痛の日々を過ごさないといけないのか、憂鬱ゆううつさ加減が許容量を突破しそうになる初日。学期始めに自殺者が増えるのも頷ける。

 そしてそれは姫にも通じることであって……。


「本当に……学校へ行って平気なのか?」


 一番の懸念はいじめのこと。

 夏休み中の人道を外れた苛烈かれつさを思い返すと、新学期からの学校生活に不安しかない。やめた方がいい気がする。


「あったり前でしょ。あんなヤツらに、もう負けたくないもん。それにあたしは一人じゃないんだから」


 それなのに姫は胸を張っていて、「大丈夫だ」と自信満々な様子。たとえいじめられたとしても折れるつもりはない、そんな頑丈剛健鉄壁なはがねの意志を感じた。


「……澪さんがついてくれているからか?」


 ずっと頼らなかった自身の母親と、ようやく心を通わせることが出来た。そのおかげでこれからは一人で抱え込まずに済むようになったのだ。

 悲劇のヒロインも真っ青な、とんでもない悪路あくろを歩いてきた保護者だ。一緒にいて心強いことこの上ない。


「ママだけじゃないよ。お兄さんだっているじゃん」

「オ、オレもか?」

「だって、お兄さんのおかげだし」

「……ん?」


 別にそんな大したことした覚えはないぞ。

 一緒に遊んだりデートみたいなことしたり、あとはエロ本の提供くらい。たったそれだけだ。結局のところ、オレは問題解決の役には立っていない。ほとんど振り回されてばかりだったと思う。


「お兄さんがママにお話してくれたおかげなんだもん、その通りでしょ?」

「……ああ、そういうことね」


 自縄自縛じじょうじばくだった姫の心をほどく、そのとっかかりを作ったという意味か。

 確かにそれはオレのおかげと言えるかもしれないけれども、その実態は人が秘密にしていることをバラしただけだ。しかもラブホテルで。

 誇れるようなことじゃない。


「……あの時はごめんね、お兄さん」

「なっ、なんで急に謝るんだよ」

「ほら、あたし最初は意味分かんなくて怒っちゃったから……その、『大嫌い』とか言っちゃったし……」

「あー……言ってたね、そういえば」


 色々うやむやになっていてすっかり忘れていた。

 あの時の姫はマジギレなんて可愛い言葉じゃ表せない大暴れバーサーカー状態だったなぁ。そのせいで姫は右手をケガしたし、パソコンモニターは新調するハメになった。もっとも、秘密をバラされたら誰だって怒るはずだ。むしろその程度の被害で済んだだけ良しとしよう。


「あっ、あれは嘘だからねっ!べ、べべ別に嫌いになんかなってないんだからっ!」

「そりゃそうだろうな」


 本当に嫌いになっていたらわざわざ登校前に立ち寄ったりなんかしない。口では嫌いと言いつつも実は……なんていう古典的なツンデレムーブだ。けれども、あの時は本気で嫌われる覚悟をしていたけどな。こうして、姫と下らないことを言い合える仲でいられてほっとしている。


「それに……もまだ有効だからねっ」

「あの……?」

「あ、あれだよ……っ、はお兄さんにって話」

「ぶふぅっ!?」


 思わず吹き出してしまった。

 そういえばそんなやり取りもしていた。勢いで言っただけって扱いでそのままなかったことになりそうだったが、本人はしっかり覚えていたようだ。ということは、やっぱり気の迷いじゃなくて本気だった訳で、しかもその思いは今も変わらず……。


「あっ!だからって勝手に手を出してきたら、ホントに嫌いになっちゃうからねっ!」

「しないわっ!」

「でもでもぉ~、あたしがお兄さんに悪戯いたずらすることはあるかもねぇ~?きゃははははははっ!」

「それもやめろっ!」


 おい、大きくなるまで待つって話はどこにいった。お前の方が待てなくてどうするんだよ。

 いくら愛があってもオレが捕まるだけだから勘弁してくれ。


「そ、それより、時間は大丈夫なのかよ?もう結構時間たつし、新学期早々遅刻ってのはマズイんじゃないか?」

「ホントだ、そろそろ行かないと」

「……あ。そういえば、宿題はちゃんと持ってきているよな?」

「もっちろんっ!」


 夏休み明け一発目で忘れ物、しかも折角せっかく頑張った宿題を提出出来ずに赤っ恥なんて嫌過ぎる。特に小学校低学年といえば慌てて忘れた、なんてミスは日常茶飯事。気を付けるに越したことはない。何事も詰めが甘くては台無しだ。

 ……って、ちょっと待て。


「その宿題、ちゃんと終わらせてあるよな……?」


 姫が夏休みの宿題をやっているところ、一度も見ていないんだが。


「……あ」

「その反応……まだ白紙だな」

「や、やだなぁ、あたしを疑うのお兄さん?」

「ちょっとずつ後退しながら言うな」

「き、きき気のせい気のせい」

「めっちゃ後ずさりしてるから」

「ぐぬぬ……」


 はい、終わらせていないこと確定。

 課題はコツコツやらないといけないのに。それどころか終わらせずに提出するなんて、どんなに勉強が嫌いなんだよ。

 ダメだこりゃ。


「い、行ってきま~すっ!」


 しかも逃げ出したし。

 帰ってきたら地獄の宿題タイム突入ってところか。

 まぁなんというか、ご愁傷様しゅうしょうさま

 

「しゃーない、手伝ってやるか」


 姫の身の回りにはまだまだ問題が山積みだ。

 卑劣ひれつないじめ。

 貧困と生活環境。

 あと、オレとの関係も。

 そのどれもが困難を極めるものばかり。その全てを乗り越えるにはまだまだ時間がかかりそうだ。

 それでも一歩ずつやっていこう。

 もう惰性だせいで生きている人生なんかじゃない。

 立ちはだかる壁も口を開けて待つがけも、目指すべき先だって見えているんだ。

 オレと姫、二人の道を行こう。


 とりあえず、まずはやり残した宿題から。




 完。



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人生カースト最下層な陰キャに、ウザ絡み系ロリはキツイのです。 黒糖はるる @5910haruru

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